チュートリアル4
□ 天城秋悟 ─アキ─
「お前はまた勝手にっ!」
「まぁまぁ、兄さん。これから戦闘ですから、落ち着いて下さい。」
「俺を落ち着かせないのはお前だ! ったく。」
「そんなに怒る様な事ですか?」
冬華はこっちの気も知らず、暢気に尋ねてくる。さっきから、というよりもこのゲーム関連でゆったりと場面転換した記憶が無い。こっちにだって心構えの時間ぐらいは欲しいものだ。俺は息を長めに吐いて、気を落ち着けてから答える。
「俺は未経験者だ。経験者のペースで進められても困る。」
「そうは言っても、さくさく進めないと皆を待たせてしまいますよ?」
「未経験者連れで組んでるんだから無理やり進めなくても同じぐらいに終わるだろう?」
「……廃ゲーマーの上地兄妹ペアと振り回しに慣れた姉弟ペアですよ?」
こっちの意見を伝えたものの、正論によって叩き潰された。確かに廃ゲーマーのあの兄弟は終わるのが早いだろう。そしてこっちで現在進行形に振り回してくれている妹の様に、あの姉が春夜を振り回していないはずが無かった。つまり、他のペアが早く終わりそうだから、待たせないためにはこっちもさくさく進めないとならない。ということらしい。
「分かったよ。悪かった。」
「最初で時間掛かりましたからね。」
それは俺の性転換の事か? だったら俺は悪くないと思う。
「分かった分かった。で、ここでは何するんだ?」
これ以上女性型アバターである事を意識したくない。俺は話題を変える為に今、する事を尋ねる。
「このフィールドではノンアクティブのモンスターしか出ません。武器を装備するまでは出現もしません。兄さんから装備して下さい。装備の仕方は分かりますか?」
「あぁ、装備は問題ないと思う。それにしてもモンスターねぇ……。」
俺は自分の装備ウィンドウを出すべく、指を左下へと振った。スマホのフリック動作と同じ感覚で大丈夫なはずだ。出てきたウィンドウの装備の項目を押して副武具を選択し、『初心者の盾』を選ぶ。左手の手首から甲が光り、丸い盾が手首に装備された。盾の中心部に皮のベルトがX字に張られていて、その交差部が俺の手首がある。それに手が当たる辺りにハンドルが付けられていて、それを握り込んで保持する様になっているみたいだ。
「へー。盾の裏側ってこんな風になってるのか。そういえば盾をどう持ってるかなんて、あんまり考えた事無かったな。」
「そういえばそうですね。兄さん、後で私にも見せて下さいね。」
そう言いながらも冬華は右手を動かしていて、少しの間を置いて左手が光った。俺が盾だった様に冬華も弓を装備したのだろ……う?
「なぁ、冬華。それ、弓か?」
「……言わないで下さい。そういえば、初期の弓を見るのは初めてです。」
俺が思わず聞いてしまった様に、冬華も手の中の弓に困惑を隠せない様だ。冬華の手に握られているのはアルファベットのMの様になっている弓だ。ただし、ショートボウにしても小さい。キューピッドが持ってる弓をそのまま取りだして来てる様な感じのサイズだ。もう一度言う、冬華が使うには小さい。おもちゃの弓って言われる方がしっくりと来る。と言うか、引いたら壊れるんじゃないのか?
「まぁ、射れれば、良いです。すぐに違うのに買い換えます。若葉ちゃんも初期の弓を見せてくれれば良かったのに……。」
「少し我慢が出来るなら俺が作る。っていうのも有りだろうけど、買い替える方が早いな。」
「そう、ですね。買い替えたのを初期装備だと思うようにします。それはそれとして、作ってくれるなら作って下さい。」
「買い替えた後でさらに。か。まぁ、がんばってみるよ。」
冬華は俺の返事を聞くと長めに息を吐き、右手をさらに動かし始めると、今度は腰のあたりが光る。微妙に形容しがたい筒がベルトにぶら下がっている。丸みのある台形で楕円状というか、正式な名前は聞けばわかるだろう。丸めたクレープの先が無い様な形状の……って矢筒か。まぁ、弓だけでどうするんだよって話だよな。
「その筒、なんて形なんだ? あと矢は何本ぐらい貰えたんだ?」
「形、ですか? ん~? とりあえず矢は『初心者の矢』っていうのが500本貰えてますよ。全く知らない訳ではないのでこの本数で大丈夫でしょう。」
そう答えながら冬華は腰を捻って、自分の矢筒を覗きこもうとしているが、全然見えないみたいだ。ベルトを手前に回せば良いと思うんだが、何をしてるんだろう。俺は冬華の後ろに回って矢筒を持ち上げる。
「これで見えるか?」
「あぁ、ありがとうございます。これは楕円錐台って形ですね。私の体格的には大きめですけど、これに500本も入るもの何ですかね?」
「それこそファンタジーって事で良いんじゃないか? 俺には4本しか入ってる様に見えないし。」
「そうですね。私にも4本にしか見えません。」
俺が持ち上げた矢筒にはどう見ても4本しか入っていない。それに、冬華と合わせれば大きめに見えるが、横幅的にはA4の紙の縦と同じぐらいだろうか。これに500本も入るわけが無い。
「とりあえず、戦闘準備が終わったなら、ここのモンスターの事を教えてくれ。」
「モンスターですか。見たら分かると思うんですが。あそこにもうポップしてますよ。クリーム色がエッグ、白いのがハードボイルド、カラフルなのがバルーン系ですね。」
「うーん。俺にはぼやっとしか見えないんだが。もう少し詳しく。……あ。」
口に出してから気付いた。やばい。急いで理解する脳みそを働かせなければ。
「クリーム色をしているエッグですが、名前の通り卵のモンスターです。生卵なので、中の黄身を外に出す事で倒せます。突属性攻撃は効果が薄いですね。打属性攻撃が一番効果的でしょうか。斬属性は殻で逸れる事が多かったです。ビギナー中のビギナーでしか戦う機会が無いので当然の気もしますが、上手く切れれば倒せます。なので、盾で殴る兄さん向きのモンスターとも言えますね。私は剣の腹で殴りつけて倒していました。それと、白いハードボイルドですが、こちらも名前の通りゆで卵です。ちなみに何故か殻は纏っていません。なので斬属性向きですね。黄身の体積が6割を切ると倒した事になります。若葉ちゃん曰く、矢が50本刺さってても動いてた。だそうです。私は切り捨ててたので苦労が良く分かってません。それからカラフルなバルーン系ですが、それぞれ色名足すバルーンというモンスターです。だからといって明確な違いは無いそうです。こちらは突属性向きで、一撃で割れます。代わりに打属性だと100回殴っても倒せなかったと聞いています。斬属性は上手く刃を立てれれば倒せますね。突いたら一撃でしたけど、切ろうとするとなかなか切れませんでした。なので弓を持ってる私向きになります。それぞれの特徴から兄さんがエッグの相手をして、私がバルーン系、ハードボイルドは無視するのが効率的には良いでしょう。1,2回なら色々試すために相手をしても良いと思います。聞いてますか? 兄さん?」
……妹よ。詰め込み注意だって事をそろそろ理解して欲しい。えーと、とりあえず俺はエッグを倒せば良いんだな?
「分かった。とりあえず動いてみよう。弓の射程ってどれぐらいだ?」
「初期は2mぐらいですね。乗り換える直前の若葉ちゃんが5mぐらいの射程でした。」
2mって短くないか? 俺の聞き間違いだろう。危険はそんなに無いみたいだし、とりあえずやってみよう。俺は冬華と一緒にモンスターがポップしてる辺りに向かって歩きだそうとして、記憶の片隅に落ちていた動物の鳴き声で足を止める。
「わんっ」
「ん?」
「あー。あなたが居ましたね。」
そう言いながら冬華がしゃがみ、犬の前足の脇に手を入れ、少し持ち上げる。
「この水晶のあたりに居れば怖い事は無いですから、おとなしく待っててくれますか?」
「わん。」
「付いてきたら踏むかもしれないからな。待っててくれよ。」
「くぅーん。」
すっかり忘れていた犬を置いて、再度歩き出す。
「そういえば兄さん。あの犬はどうしたんですか?」
「それを俺に聞かれてもな。俺が聞きたいぐらいなんだが。」
あの駄犬が運営側っていうのは、黙ってた方が良いんだろうしな。俺に説明できる事などないんだ。
「あの犬、このまま飼えませんかね?」
「俺は嫌だ。もう少し大きい方が良い。絶対踏む。」
「大型犬も良いですね。私はラブラドールよりはゴールデンレトリバーの方が良いです。犬も猫も多少手間が掛かってもふさふさのもふもふが良いです。」
「なるほどね。そういう意味ではあの犬はふさふさのもふもふだったな。」
「なので飼いたいです。」
さっき嫌だって言ったはずだ。確かに俺もどうせならふわふわもふもふが良いというのは分かる。分かるが、あの駄犬は無理だろう。それに本当に踏みそうだからな。小型犬は怖いんだよ。せめて中型犬にして欲しい。欲を言えば寄りかかれる大型犬が良い。
「連れ出せるか分からないしなぁ。まぁ、連れ出せるって分かってからで良いんじゃないのか?」
「そうですね。ここから連れ出せたら飼います。いえ、連れ出して見せます。」
決定事項なのか。まぁ、いい。そんな事を話しつつ、モンスターが近くなって来たので俺は足を止める。
「この辺りからなら弓で射れるんじゃないのか?」
「無理ですよ。弓の初期射程は2mぐらいとさっきも言ったじゃないですか。」
「2mって……俺の聞き間違いじゃなかったのか……弓って遠距離武器だろ?」
「遠距離武器ですね。初期はそんなものですよ。」
さらっと酷い扱いな気がするんだが。以前取ってた若葉ちゃんも、今取ってる冬華も良く分からなくなってくるな。遠距離武器の射程が2m。それはもう遠距離武器じゃない。そのまま歩いて行く冬華に続いて俺も歩みを再開する。
「もっと近づかないと駄目なのでささっと行きましょう。兄さんが5匹ぐらい倒したら私もさくっとやりますよ。」
「別に戦闘ぐらい特にレクチャーされなくてもやれると思うぞ。」
「それはそうでしょうけどね。まぁ、良いじゃないですか。」
何か含みがあるような気がするんだが気のせいだろうか。少し悪意、いや、悪戯心みたいなものが目に映っている様に見える。
「まぁ、いいか。じゃあ俺からやるな。」
「はい、兄さん。がんばって下さいね。」
もう手が届くぐらいの距離にいる、というよりある。かなり大きい、俺の胸ぐらいまでの高さの卵に向かって右の拳を打ちつけた。
そのままもう一度殴りつける。さらに一回。目の前の巨大卵は何事も無かったようにそこに在る。
「……この卵、硬すぎないか?」
「そりゃ硬いでしょうね。」
「こんなの割れるのか?」
聞きながらも何度か拳を打ちつけてみてはいるが、全く変化が無い。罅ぐらい入ってもよさそうなものなんだが。うーん。
「というか何か手が痛いんだが、これはどういう事なんだ?」
「そりゃ痛いでしょうね。完全無反動って訳では無いですから。」
「そりゃ痛みの一部がフィードバックするのは知ってるけどさ。その一部の痛みが戻ってくるほど殴って罅すら入らない卵ってどうしたら良いんだ?」
「それは簡単ですが、その前にログを見てみて下さい。」
言われて俺はログウィンドウを表示する。そこにはびっしりと同じ文字列が表示されている。
──Attack arms is No Aptitude. Damage canceled and Delay occurs.
──Attack arms is No Aptitude. Damage canceled and Delay occurs.
──Attack arms is No Aptitude. Damage canceled and Delay occurs.
──Attack arms is No Aptitude. Damage canceled and Delay occurs.
──Attack arms is No Aptitude. Damage canceled and Delay occurs.
「なぁ、このログに出てるのは何だ?」
「こっちでログが見えるわけでもないのに無茶言わないでください。たぶん適性武器じゃないからダメージ入らないってメッセージじゃないですか?」
そういえばヘルプにそんな事書いてあったな。スキルを習得する事で攻撃判定が生じるとかなんとか。今の状況と考えると、スキルを持っていないと攻撃判定が出ない。攻撃できないって事になるのか。それってスイッチプレイヤーにきつくないか?
「マルチ武器ってしんどくないか?」
「別系統武器を複数使おうとしたらしんどいですね。関連がある武器ならどうにか出来ますよ。」
「ふーん。まぁ、生産職になる俺にはそこまで関係無いか。」
「そうですね。1つの系統だけでどうにでもなりますよ。」
βテスターの発言だからな。1つの系統だけでどうにかなるっていうならどうにかなるんだろう。でもそう考えると結構リアリティがあるな。剣と槍を二つ使おうとすれば大変だしな。それじゃあ言われたとおり盾で殴ってみますか。
「よし。盾で殴ってみるか。」
気合いを入れる為に口に出しながら、虫を払うような感じで外に向かって払うと卵はあっけなく割れた。割れたんだけど、欠けたという方が正しい気がする。
「これ、どうしたら良いんだ?」
「さっき言いましたよ?」
「うーん……」
さっきねぇ。あのだらっとした解説の中身か。俺はエッグを倒せば良い。って部分で理解を諦めたんだよな。なんだっけ、確か打属性攻撃が有効で、黄身が外に出ると死ぬんだっけ。そんな事を思いつつ俺は今しがた上部分だけを壊してしまったエッグを見つめる。
「傾けて中身を出せば良いのか?」
「それでも良いですし、下部を割っても良いですし、真ん中を割っても良いと思いますよ。」
「ふむ」
俺はおもむろに蹴りつけてみる。いわゆるヤクザキック的に。しかし、殴った時と同じく何も起こらない。傾くなり倒れるなりして黄身が出てくれれば良かったのに。
「所持スキルの武器じゃないとどうにもならないのか。」
「いえ、ナイフだけは判定が出ますよ。すぐには手に入らないですけど。」
「まぁ、現状は盾で殴れば良いと分かってれば大丈夫だ。」
俺は少し腰を落として卵をそーっと押してみる。ここで割るとどうしても汚れる気がするのだ。それを避けるためにもなんとか横に倒したい。そのままゆっくり押していくと綺麗に傾いて中身の黄身が流れ出ていき、少しすると零れた黄身も含めて光り、砕けて粒子となって消えていった。
──Tutorial Target count......1
そんなログと共にリザルトウィンドウが表示された。
遅くなりました。
卵を割ってべとべとを期待する解説好き妹
何か裏があると慎重になる流され兄
忘れ去られた上に置いていかれる律儀な犬。
次回はチュートリアル終わりたいですね。