チュートリアル2
□ 天城秋悟
どれぐらい経ったのだろうか。俺はエレベーターで下り始めに感じる様な、少しざわつくような違和感を感じて顔を上げた。そんな俺に気付いたのか、犬が話しかけてくる。
「どうかしたのかワン?」
「……いや、何か一瞬ぞわっとした気がしたような……。何かしたか?」
「……特には何もしてないワン。経過観察プログラムが出来たところで、何かするのはこれからだワン。」
犬が珍しく言いよどんだが……犬の表情なんて大きく変わらないと分からないな。それにしてもかなりの時間が経ったと思うんだが、冬華遅いな。おかげで所々エラーが出て分からないながらも、ゲームシステムの気になるところは読みこむ事が出来た。あとは実践してみないと分からない。俺は気を取り直す為に紅茶を一口飲んでから尋ねた。
「プログラムが出来たってのは分かったけど、俺は何をするんだ?」
「分かってるワン。ちゃんと説明するワン。」
今度はちゃんと説明しろ、と目に力を入れて睨みつけてるときちんと応じた。無駄に高性能な犬である。説明をしてくれるなら聞こう、と耳を傾ける。
「最初にしてもらったのと同じように水晶に触ってほしいワン。これは経過観察プログラムをアバターに付属させるためだワン。」
「ほうほう。」
「そしてそのデータを基にしばらく経過観察をして、異常が無ければそれでいいワン。」
「まぁ、経過観察ってそういうものだよな。」
「そうワン。異常が無さそうでも万が一に備えるワン。」
まぁ、医者もそうだよな。大した事がない病気なら薬を処方されて、その薬が無くなっても症状が続いていればまた来て下さい。って感じの診断が多い気がする。今回だと……俺は診断を受けて、異常が無い。念の為経過観察用の薬、プログラムだけどを処方されて、異常が無ければ特に何もなし。うん、納得だ。ただ……
「もし異常があったらどうするんだ?」
「直せる異常なら直すワン。どうしても直らなかったら一部のサービスが受けられないかもワン。でも、そういう事が無いようには善処するワン。具体的には上司に報告ワン。」
「なるほどな。 ん? 管理AIのお前に上司が居るのか?」
「ちゃんと教えたワン。管理AI23号だって。他のAIが上司だワン。」
「……なんか世知辛い気がするんだが。」
「そうかワン? 担当を分けて管理をするだけだワン。」
「あぁ……何か納得した。」
そりゃ担当がきちんと管理してるかっていう管理も必要だろう。ゲーム内なのに会社というか、社会が形成されているというか。上司って言われるから世知辛く感じるんだ。
「納得したなら水晶に触るワン。」
「分かった分かった。」
俺はぺたっと水晶に触れる。特に変化はなさそうだ。そういえば、最初に触った時も何も感じなかったな。でも、その後犬が調べれてたんだから、何も無さそうに思えてもちゃんと出来てるんだろう。どれぐらい触ってれば良いのか、俺は犬に尋ねる。
「なぁ、これ。どれぐらい触ってれ……」
──connect Mother System ready.
──Personal System Change ready.
──Install Standby.
──Transfer The Log ready.
──All The Processes So Far Are Put In A Standby State And Disconnect.
──Hide Subsequent Logs.
尋ねようとした俺の視界に急に文字列が描かれた。意味を把握するべく追おうとするもすぐに消えてしまい、断片的にしか分からなかった。呆気にとられる俺に犬から終わりの声が掛けられた。
「もう手を離しても良いワン。」
「いや……今の、なんだ?」
「説明したワン。経過観察用のプログラムを入れたワン。」
「あ……あぁ、あんな、感じになるのか。そう、か……。驚いた……」
突然の出来事に緊張したのに、ただのプログラムのインストールだと説明されて一気に力が抜けた。目を閉じて項垂れていると、ぴこんという音と共にウィンドウが表示された。おそらく冬華が言っていたものだろうと思うが、OKボタンを押して良いのか分からない。分からない事は分かる者に聞けばいい。
「なぁ、たぶん冬華、あー、妹からの共同チュートリアルのウィンドウが出てきたんだけど、これは承認しても大丈夫か?」
「大丈夫だワン。ただ、その子が来たらこうやって喋る事はしないワン。管理AIとしてプレイヤーに関わるのは最小限にしたいワン。理解して欲しいワン。あと、別に目を開けてもウィンドウが消えたりしないから大丈夫だワン。」
「そうか、分かった。理解もしたよ。」
確かに運営と親しいプレイヤーなんて誹謗中傷の的だろう。俺はそんなものになりたくは無い。家族にそれが向かうのも嫌だ。と思いながら目を開ける。半透明のウィンドウが変わらず視界に表示されているのでOKボタンを押す。空間表示とかまたすごいな。いや、直接視界に映しているのか。あとは冬華が来るまでに、少し質問をしていたら良いだろうか。
「そういえば、俺はどれぐらいの期間、経過観察されるんだ?」
「ゲームを続ける限りずっとワン。特にアップデート後には必ず観察される事になるワン。異常が出ていないか、不利益を被っていないかワン。これは不当な利益もそうだワン。」
なるほど。不利になるかもってだけじゃなく、不当に良い思いをしていないかも大事だ。皆が普通に遊んでいる中で俺だけチートなんて面白くないし、周りも面白くないだろう。特に廃ゲーマーの上地兄妹が何か言って来そうだ。そうなると面倒くさい。
「それなら犬はここにいない方が良いんじゃないか? うちの妹は割と可愛いもの好きだぞ?」
「そうなのかワン……でも、もう遅いワン。」
そんな犬の嘆きの様なものを聞いていると、背後からぶおんと風切り音の様な音がしたので俺は振り向いた。そこには不思議な色をして渦巻く楕円形と、よくある推理ものアニメの犯人のような、のっぺりとした青い色の人型が居た。
「なんだ……これ……?」
「兄さん、いくらアバター設定前とはいえ妹に『これ』とは酷いです。」
「冬華……なのか?」
「直結している私以外に誰がここに来れるのですか?」
そんな風に正論で諭される。そうは言うけど、そんな全身タイツみたいな状態の知り合いを判別出来たら、それはそれで嫌だと思うのは俺だけなんだろうか。そんなやや憮然としている俺を置いて冬華らしき人型はぺたりと水晶に触れた。
「そんな兄さんの為に先にアバターを設定します。」
「おいっ 悪かったって」
「プレイヤー名称設定『フユ』、プレイヤーアバター設定『βテストをロード』」
俺がぽろっと零してしまった言葉の所為で、冬華がさくっと進めてしまう。のっぺりとした人型で表情も見えないけど、不機嫌ということは声音で分かる。止めようと手を伸ばしてみたものの、その手の先で冬華の人型にノイズが走り、そのノイズが大きくなっていく。俺は慌てて声をかけた。
「冬華!?」
「兄さん、慌てなくても大丈夫です。」
すぐにノイズに規則性が生まれ、大きいノイズが集まり、線のようになった。線は冬華の頭の上から下へとゆっくりと下がっていく。まず見えてきたのは青とも白とも見えるような不思議な色合いの髪、次が日本人にしてはありえないような白い肌をした額、そして青い瞳。顔の造形は確かに妹の冬華だ。けれど、色彩が違うだけで別人のようだ。よく、化粧をしたら別人っていうのを聞くが、まさにその通りな光景だった。頬を少し赤く染めて冬華が俺を睨んでいた。
「兄さん? そんなに見られると少し照れます。」
「あ、あぁ……悪い。」
俺はなんとかそれだけを返す。本当に別人だ。雪の精とか言った方がぴったりな容姿だ。服もどうやって着ているのか分からない様な服になっている。ギリシャ神話の神様が着ている様な、そんな服が余計に外見の神秘性を強くしている。それに、いつの間にか機嫌が直ってるみたいだ。
「ふふ、何か照れますね。さて、今度は兄さんのアバターを登録しましょう。」
「お、おう」
「水晶に触れて下さい。」
「おう。」
俺は言われた通りに水晶に触れる。もう何度も触れているんだが、今度はどうなるんだろうか?
──チュートリアルを開始します。
──プレイヤー名称を設定して下さい。音声認識は『プレイヤー名称設定』に続けて設定したい名前をどうぞ。キーボード入力をご希望の場合はサイトにあるボタンを押して下さい。
いたって普通の日本語が視界に映る。俺はやや安堵しながら視界の文字列に従う。
「プレイヤー名称設定『アキ』」
──プレイヤー名称を『アキ』に設定します。
──アバターを設定します。データベースに接続。該当するβテストプレイヤー無し。アバター設定画面をロード。接続プレイヤーと設定画面を共有化。画面を表示します。
「うわっ!?」
目の前にウィンドウが表示された。突然表示しないでほしい、心臓に悪い。ウィンドウには左側に各部位名と現在の色、右側に人型、たぶんこれが俺のアバターになるんだろう。なるんだろうが、俺はどうしても納得できない項目を見つけた。冬華も見つけたのだろう、俺に怖々と問いかけてくる。
「兄さん、これ、女性型アバターですよ?」
「……分かってる。これどうやって男性型に変更するんだ……」
とりあえず画面左の部位名称の上にある『女性』の文字を押す。
──当ゲームは性別の変更を行っておりません。
「はぁ!?」
「……こっちでも変更は出来ませんでした。」
「なんで!?」
俺はすぐに犬を睨みつけた。これは不利益だ。絶対に不利益だ! 俺は男だ!!
「……兄さんどこを見……うわぁ。かわいい。」
犬がくーんと泣いて後ずさっていく。逃がしてたまるか。不利益を被らない様にするって言ったはずだ。俺はゆっくりと近づいていこうとして、冬華が先手を取って抱き上げていた。いつの間に近づいたんだ……。
「βテストの時はここに犬なんて居なかったと思うんですが……。あなたはどこから来たんですか?」
犬の顔を自分の目線まで持ち上げて、冬華が犬に尋ねる。どうせ返事はしないだろう。
「もう少ししたら、ここは少し危なくなりますから、気を付けて下さいね。」
そう言いながら冬華が犬を抱き直し、すっぽりと腕の中に閉じ込めた。左手でしっかりと保持しつつ、右手で耳の裏側を撫でている。あれでは俺が文句を言えないじゃないか。
「冬華、その犬をこっちに寄こせ。」
「兄さん、犬に文句を言っても仕方ないでしょう。たしか、姉さんが、脳波の関係上性別の詐称は無理だ、と言っていましたよ。詐称の手段が無いわけでは無いですが、根本的な性別の詐称は出来ない様になっているはずです。」
「ぐっ……。でも、その犬はだなぁ。」
「パーソナライズの時に何かあったのかも知れませんね。早すぎましたから。もしくは兄さんの脳波が女性と認識されるほどの女性脳なのかもしれませんし。」
「むぐ……。」
「姉さん達も待っていますし、変更できない以上、そのままでやりましょう。諦めて下さい。」
冬華が犬をあやしながら、論破、仮説展開、観念させるとコンボを決めて来た。たしかに冬華がいる以上、あの犬はまったく喋らないだろう。しかしこの場に居るのだ。今後に期待したい。何とか修正してくれる事を願う。確か不利益を被った場合は上司に連絡すると言っていたはずだ。
「はぁ……。分かりたくないけど、分かったよ……。確かに皆待ってるしな。はぁ……。」
「アバターの設定は私がやりますよ。兄さんは次の初期装備カタログから装備を選んで下さい。私の装備もお任せしますので一緒に選んでおいて下さい。」
「分かった。」
冬華にそう答えて俺はまたぺたりと水晶に触れる。
──初期装備カタログを展開します。スキル構成ごとのお勧めデザインもありますので検索してみて下さい。
ふむ。初期スキルによってお勧めのデザインなんてものもあるのか。冬華にも聞いてみよう。とりあえず、俺は女性型アバターになるわけだが、断固としてスカートは穿きたくない。だから冬華も装備を選べと言ってくれてるのだろう。姉とコンビじゃなくて良かった。それだけが救いだ。俺はページをめくって初期装備を選んでいく。装備スロットは全部で7か。基準は男物。これに尽きる。ジーンズ生地に見える様なズボン、黒い長袖シャツ、茶色のノースリーブジャケット、茶色のブーツ、黒い指出し手袋っとこんなところか、あぁ、後は黒い皮のベルトかな。予想外に黒系ばかりになってしまったけど仕方ないだろう。自分の分はこれで良い。
「そういえば冬華、初期スキルは何にするんだ? お勧めデザインとかあるらしいし、希望はあるのか?」
「初期スキルは弓を取ろうと思っています。希望としては動きやすそうなものってくらいですね。」
「分かった。」
魔法スキルの方が外見とあってる気がするんだけどな……まぁ、人それぞれな部分だろう。俺はさらにカタログをめくっていった。
-アキ-
装備一覧
頭:なし
内着:布の長袖シャツ
外着:皮のジャケット
胴:皮のベルト
腰:布の長ズボン
腕:皮の指だしグローブ
足:皮のブーツ
装飾:なし
予想外に長くなりそうです。
冬華は意外とチョロ子です。兄に虫が付かなくなりそうなのでご機嫌です。
秋悟は理不尽を呑み込み慣れているので「しょうがないか」と受け入れています。
犬は異常が無かったのにいきなり性転換しているのを見て内心大慌てです。
次回はチュートリアル3:初めてのモンスター。(まで行けるといいなぁ)