瑠璃と真朱
子供姿の白磁が王と王妃の二人を目の前にしていた。それを見て、守り役たちがぼそぼそという。
「長兄はそんなことを心に秘めていたのか」
宍が言った。
「わしたちはなんでも完璧にこなす長兄がうらやましかった。年もそう離れていないのに、ずっと大人だと思っていた。近寄りがたかった」
「そうじゃ、父や母も一目置いていた。いつも我らには白磁のようであれ、と言われていたからな」
「周りの側近たちも侍女たちも白磁様は手がかからないといつも褒めていた。わしたちは周りからため息をつかれ、いつも叱られてばかりいたからのう」
「うむ、琥珀などは一番母上に心配をおかけしていた。こんな子が黒い森に入って修行に耐えられるのかと」
「ええい、うるさい。雄黄だって同じだ」
「いや、宍も澄ましているが、一番失敗が多かった」
白磁は弟たちの本音を聞いていた。その表情から白磁が打ちのめされていることがわかる。人は自分のことがよく見えないようになっている。白磁は自分が弟たちから、うらやましいと思われていたなどと露ほども思わなかったらしい。
「うっるせえなっ。三つ子は今だって同じだろう。年老いても手がかかるんだからな。要するにはっきり思っていることを言わないからいけないんだ。そういう事から誤解が生じた。能力者ほどその本心を隠すから、オレみたいにどんどん言っちまえばいいんだよっ」
三人の守り役は紫黒に向き直る。
「紫黒に言われたくはないぞ」
「そうじゃ、紫黒は言わなくてもいいことまで言う。言いすぎだ」
「その態度もでかすぎる」
「王のことをシアンと呼び捨てにする」
口々にかみついてきた。
「うっるせえ。お前ら三つ子がダメな子供だったから、親たちが大変だったんだ。それでかまってもらえなかった兄がひねくれたんだろうっ」
そう紫黒が怒鳴ると三人が黙った。
紫黒はやっと静かになったとばかりに、さらに付け加えた。
「まあ、ダメな子供ほどかわいいって言うけどな、あれは本当だったんだ」
そう言って高らかにアハハと笑った。
「何を言うか。紫黒も同じだろう。親代わりのわしたちの手をかなり煩わせた」
「全くだ。毎日のようにひどい悪戯をしておったわい」
「なるほど、ダメな子供はかわいいとはよく言ったものじゃ」
三人が紫黒の真似をして高笑いした。
「うるせえっ、今はオレのことじゃないんだ」
シアンと瑠璃の水晶玉の光が増す。
目の前の母、王妃が腰をかがめた。
「さあ、白磁。おいでなさい」
王もその後ろに立つ。その笑顔は白磁が飛び込んでくるのを待ち受けている。
「父と母の元へ」
そう言われても白磁は戸惑っていた。どうしていいのかわからないのだろう。すべては罠だと思っていた。父と母は間違いなく幻想だ。そして子供でいる自分も幻想なのだ。
「さあ」
王妃がにっこり笑っていた。
きっと白磁も心が揺さぶられているのだろう。それでも首を振っていた。自分のプライドが捨てきれないのだ。
瑠璃にはその気持ちが伝わってきていた。飛び込みたい心とそんな子供じみたことをする自分が許せないという心が戦っていた。
「白磁。あなたはわたくしたちの誇り。ずっとこうしたかったのです」
王妃が膝まづき、近寄った。それでも怖じ気づいていた。
白磁はもう子供の心に戻っていた。もう王になりたい心、お金への執着心もない。今はその腕の中に飛びこむ勇気がないだけ。再び自分が拒否されたらどうしようという恐れの心があった。甘えたいのに甘えられないそんなジレンマがまだあった。
瑠璃もじれったくなったが、先に紫黒が爆発した。
「なにやってんだよ、このチビっ。さっさと腕の中に飛び込んでいけよ。そうしたいんだろっ、このバカ」
紫黒にバカと言われて、子供の白磁はむっとした。
「弱虫だな。できないんだろ」
そう挑発されてやっと、やってやるという心が生まれた。白磁は、素直に親の愛情が欲しくて飛び込むというよりも紫黒の言葉に反応して飛び込んでいた。
王妃がその小さな体を抱きしめた。王も片膝をつき、その背を抱き込むように包み込んだ。
瑠璃はやった、と思った。これで白磁の心が少しでも晴れてくれれば、シアンは死ななくてもいいかもしれない。
皆もそう思い、注目していた。
すると白磁の姿に変化が見られた。その体からオーラが放たれ、白磁はさらに小さくなっていた。幼子になり、王妃の腕の中には赤ん坊がいた。
白磁が若返り、赤子に戻ったのだ。王妃の腕の中で無邪気に笑っていた。
「うっそ」
驚いていたのは瑠璃だけではない。シアン、真朱でさえもぽかんとしてみていた。
「あんな奴でも赤ちゃんの時はかわいいもんだな」
紫黒がのんびりと言うから、瑠璃が吹きだした。
白磁はさらに小さくなり、王妃の腕の中で消滅していった。跡形もなくなっていた。
「消えた? 白磁がいなくなったのか」
紫黒は信じられない様子でつぶやいた。
目の前の王、王妃の映像は消え、白磁を取り巻いていた空間もなくなっていた。
「白磁は封印されてからその身を殺し、恨みの念だけで体を再生させ、生きていたかのようにしていたのだ。その恨みが浄化され、消えたのだろう」
そうシアンが説明した。
白磁が消えた。どんどん若返って、思い残すことなく浄化された。
「ってことは、シアン。サビは? どうなんだよっ」
そうだ、白磁の恨みの念がこもっていたサビ。それだけが取れず、シアンの体をむしばんでいた物。
そこにはシアンの実体が立っていた。
「サビは消えた。それは白磁の恨みだったからね」
瑠璃は改めてシアンを見た。実体はこんなに近くで見たことはなかったからだ。黒い森の診療所でも直接、会うことはできなかった人。
その容姿は病のせいで痩せているが、以前は偉丈夫であったと思われる。シアン色の髪に少し艶が戻っていた。瑠璃を見て爽やかな笑顔を向けた。
「やった。シアン」
紫黒が飛びついていた。瑠璃もほっとした。白磁が消えたから、白磁を取り巻いていた空間は消え、元の寝室に戻っていた。
しかし、カスミが小さな悲鳴を上げた。
そこには真朱の体が横たわっていた。
「真朱ちゃん、どうしたの」
瑠璃がその体を抱き起こした。しかし、その顔は真朱ではなかった。
「え?」
カスミがその体に縋り付いた。
「マロン、あなたなのね。マロン」
カスミの心から伝わってきた。マロンはカスミの妹だった。しかし、その意識はかろうじて生きているだけだった。マロンはわずかに目を開け、カスミを見て笑ったかのように見えた。
マロンは再びその目を閉じ、息を引き取った。
そうだ。白磁の術のおかげで生きていた人もいる。カスミの妹も、そして真朱もだ。
「私のわがままであなたを無理やり生かしていた。ごめんなさい」
カスミは涙ながらにそう言って、その体を抱きしめた。瑠璃もその手をギュッと握った。今まで真朱がいた体だった。カスミの妹の冥福を祈った。
「じゃあ、真朱ちゃんは? ねえ、真朱ちゃんはどこへ行っちゃったの」
白磁が消え、真朱の魂の欠片が入っていた体は元のマロンに戻った。その魂の欠片はどこへ行ったのか。
まさか、もう・・・・・・。
「上だ」
琥珀が見つけた。
真朱はその実態がなく、宙に浮かび、その姿は消え入りそうだった。しかし、その表情は何も恐れてはいない。むしろ、こうなることを望んでいたような笑顔を向けてきていた。
「真朱ちゃんっ」
「瑠璃、わらわは白磁に生かされていたのじゃ。白磁が消えた今、わらわも消える。それでよい。マロンの体を貸してもらい、つかの間を過ごした。それは決して楽しかった日々とは言えぬが、生きていてよかったとも思える」
「真朱ちゃん、そんなこと言わないで」
「瑠璃、わらわはもう一度消えた身なのじゃ。このまま去るのがわらわに残された道。どうか、シアン様と幸せになってほしい」
「いや、そんなっ」
瑠璃が真朱の体に触れようとした。しかし、その手は空を切る。届かない。
シアンが手を伸ばし、やっと真朱の手に触れる。すると真朱の体のシルエットが少し濃くなった。その影が目の前に降りてきた。
「シアン様、元気になられたこと、嬉しく思います。本当によかった」
真朱は笑顔を保っているが、その目には涙が光っていた。
瑠璃は考えていた。シアンが触れただけで真朱の影が濃くなった。ということは、何かの力を利用すれば真朱は消えないかもしれないと考えた。
では、瑠璃の持っている王妃の水晶玉を真朱に渡したらどうなるのかと。
そう考えて、瑠璃の心にわずかな躊躇があった。それを手放したら、瑠璃は王妃にはなれないからだ。
そんな自分勝手なことを考えていた。欲張りな自分が嫌になる。今、目の前で消え入りそうな真朱がいるのに、自分は王妃の水晶玉を手放すことが惜しいなどと考えるなんて。
元々は真朱にもらったものだ。今の瑠璃はそれがなくても生きていかれる。水晶玉で真朱が少しでもここに留まることができるのなら、それを真朱に返すべきだと考えた。だって真朱は瑠璃と同じ魂を持つ人なのだから。
瑠璃は左手に王妃の水晶玉を出した。
「真朱ちゃん。これ、真朱ちゃんの物。返すね」
真朱が目を見開いた。
瑠璃が借りていた本をさっと手渡すように、それを真朱の手に渡していた。瑠璃色に輝いているその水晶玉を出され、真朱が反射的にそれを受け取っていた。手の中の玉を見て驚いていた。
たちまち、水晶玉は瑠璃色から真朱色に染まる。以前は赤みが強かったが、色が落ち着き、穏やかな真朱色になっていた。
瑠璃が思った通りになった。真朱の影はぐんと濃くなった。まるでそこに実体があるかのようだ。
真朱は困惑していた。
「これは王妃の証。瑠璃の物」
玉を返そうとする。
「違う。もともとは真朱ちゃんがもっていた物でしょ。返すよ」
「いや、受け取れぬ。わらわはじきに消滅する」
「だ・か・ら、真朱ちゃんに必要なわけ、でしょ」
瑠璃が真朱の手を取った。差し出している水晶玉を握らせる。それは真朱の中に入った。その輝きが真朱の中に取り込み、実体になっていた。真朱は甦った。
これには守り役たちも驚いていた。
「こんなことがあり得るのか」
「ううん、信じられぬ」
「瑠璃さまのやることにはついて行けぬ」
「まったくじゃ」
真朱はまだ、それを受け取ることに納得していない様子で、助けを求めるかのようにシアンをみた。
「シアン様、なにか瑠璃にお言葉を。わたくしはこれを受け取れませぬ」
シアンは真朱を見た。その小さな肩を包み込むように手をかける。
「のう、真朱。ここは瑠璃の言う通りにしよう。そなたはその水晶玉があれば、まだもう少しこの世に留まれる。そう、半年くらいは大丈夫だろう」
真朱の目から大粒の涙が零れ落ちる。激しく首を振った。
「いえ、この水晶玉はわたくしが瑠璃に託した物。今更わたくしが持つことなどできませぬ。瑠璃は、わたくしの代りに、王妃になるためにこの時代にきたのです」
真朱は、心からシアン王を愛していた。瑠璃にもそれが痛いほどわかる。もう真朱はシアンがサビからのがれられたから、この世を去ってもいいと思っていた。
真朱は生まれてからずっと王妃になると決まっていた。シアンを本当に愛しているのは真朱なのだ。
「私のことはいいの。私は身代わり王妃みたいなものだったし、本物は真朱ちゃんなの。王妃になるために生まれてきたんだからね」
瑠璃がそう言ってシアンを見つめる。
シアンも瑠璃の意をくむ。大丈夫とシアンに伝えた。
「真朱よ、改めて言おう。その命が尽きるまでわたしの側に、王妃としていてほしい。この病み上がりのシアンの手助けをしてほしい。わたしにはそなたが必要なのだよ。今の国民が何を訴えているのか、欲しているのか、そなたとわたし、それらを敏感に感じ取るためにエンパス(共感能力)になってここにいる。真朱、お願いだ」
しかし、真朱はまだ躊躇していた。
「シアン様、大変うれしいお言葉、ありがとう存じます。しかし、瑠璃も、シアン様のことをお慕い申していたのです」
瑠璃は真朱にそう言われてドキリとした。
王妃とわかった時、シアンの姿を映像で見た時から確かに惹かれていた。瑠璃はこの人を愛するために生まれてきたのだと思った。瑠璃もシアンを愛する心を持っていた。王妃の魂が王の魂を求めるからだ。
しかし、その記憶を消され、ずっと竜胆こと紫黒と一緒にいた。いつしか、紫黒のことが好きになっていた。二十一世紀での時も一緒に修羅場をぐぐりぬけたのは紫黒だった。迎えにきてくれたのも紫黒の体に入った王だった。
ふと気づくといつも紫黒がそばにいた。決してやさしいことを言うわけではない。紫黒と瑠璃はいつも口喧嘩をしている。けれど、その存在が心に平安を生むとわかっていた。
瑠璃が王妃としている限り、紫黒とは絶対に結ばれない運命なのだ。そのことが今まで瑠璃の心にストッパーをかけていた。
瑠璃はちらりと紫黒を見た。紫黒も見ていたから二人の目があった。ドキリとした。そうだ、このときめきは紫黒だからなのだろう。
シアンはそんな瑠璃の心を見透かしていた。
「真朱、瑠璃はこのわたしよりも弟の方が好みらしい。わたしはフラれた様子」
「は? それはいったいどういうことでございますか」
真朱は驚いて瑠璃を見た。皆がその言葉に瑠璃と紫黒を見ていた。
「えっ、私、そんなこと、やだ」
「ってか、オタク、もうそろそろ、その心の叫びを押さえること、覚えろよな。全部、思ってたこと、聴こえる」
瑠璃は紫黒にそう言われて息を飲んだ。冗談でしょ、と思う。
「冗談じゃねえ、隠せって言ってんだろ」
「紫黒くん、なんで早く言ってくれなかったのっ」
紫黒はまた瑠璃に目をむく。
「まあ、よいであろう。二人とも同じ気持ちなのだから」
シアンがそう言った。
「え? 同じ気持ちって、紫黒くんが、まさか」
瑠璃がマジマジと紫黒を見る。紫黒は照れ臭いのか明後日の方向を見た。
「おい、シアン、余計なこと言うなよ」
「よいではないか。紫黒もずっと瑠璃のことが好きだったのだろう。二十一世紀で会った時から」
「え、本当に? ねえ、紫黒くんが・・・・」
瑠璃は信じられない気持ちでいた。紫黒が、瑠璃のことを好きだったとは思っていなかったからだ。いつだってどこかで線を引かれていた。瑠璃が意識すると突っぱねられていた。悲しい想いをしたのだ。
「瑠璃、わたしも申し訳ないことをしたと思っている。わたしは、真朱から簡単に瑠璃に乗り換えるようで心苦しく思っていたのだ。白磁と決着がついたら謝るつもりでいた。最後には瑠璃に王妃の水晶玉を返還してもらおうとも考えていた。たとえ真朱がこのように蘇らなくてもな」
「そんなこと、できるんですか」
「できる。さあ、真朱。瑠璃は紫黒を好いていた。紫黒も瑠璃のことをずっと思っていた。瑠璃が王妃の水晶玉を放棄すれば紫黒と一緒になれる。それでも真朱はその玉を受け取ることを拒否するのか」
真朱は涙ながらに首を振る。それは王妃になることを受け入れるという意味。
「真朱、私の王妃よ。限りあるその生命の火が消えるその時まで愛すると誓う」
シアンがプロポーズの言葉を言っていた。
真朱は涙でぐしょぐしょになっているが、嬉しそうな笑顔になった。
「シアン様、真朱もシアン様を心から愛しております。この身が消え入る日まで、ずっとシアン様のお側におります」
シアンが真朱を抱き寄せ、小柄な真朱に合わせて身をかがめた。そのくちびるに誓いのキスをした。
どう白磁を直接殺さず、恨みを残さないで消滅させるかがテーマでした。これがわたしが考えた白磁を癒し、昇天させる方法です。
人を憎んだら、その憎しみは自分へも返ってくる、人を叩けば叩き返される。それが戦争にもつながるんだと思います。




