銀朱VS瑠璃
銀朱の目線で書いてみました。
緑の国から女王、沙緑が訪れていた。沙緑は真朱のみと会談すると言い、銀朱は在室を許されなかった。どこまで人を馬鹿にすればよいのか。
あの澄ました顔のいけ好かない女王に、下げたくもない頭を下げ、出迎えた。それなのに銀朱の方を見ようともしなかった。もちろん、女王からの言葉がなければ、身分の低い者が女王に話しかけることはできない。銀朱はなにも言えずに女王が自分の前を通り過ぎるのを見ていた。
沙緑というあの女は、この蒼い国を牛耳る銀朱を完全に無視していた。まるで真朱の、一介の侍従のように思ったのか。
その女王の態度は他の官僚たちを動揺させた。その心の中には、他の国の王族には銀朱は認められていないのかという疑念もあった。真朱もそれをとりなそうともせず、銀朱のことを紹介しようとさえしなかった。
許せなかった。怒りが爆発しそうになっていた。それを抑えるようにして、人知れず銀朱はその場から去る。向こうがこっちを無視するのなら、その場にいなくてもわからないはず。
その場で毒を放つのを防ぐためだった。あの女王なら、銀朱の毒をすぐに嗅ぎつけるだろう。とりあえず、あの女王がここを去るまではおとなしくしているほかなかった。
沙緑は、四十代半ばの熟練の女王だ。昔から隣国として蒼い国との友好を保っている。
今回の訪問は、苦情を訴えるというのは表向きで、黒い森の診療所から出られない王と、銀朱の言いなりになっている王妃の様子を見に来たと容易に推測できた。
その会談の場に銀朱が入れないのなら、タンを警備という名目で、差し向けようとしたが、それも即座に断られた。タンが銀朱とつながっていることをよく承知しているらしい。
沙緑は、もしものために警備が必要ならばとタンの部下を見回して、いつもタンの側にいる潤という男を選んでいた。この能力の欠片もない飄々(ひょうひょう)とした潤をだ。
タンを拒否し、潤を中にいれるということは、中の会談が銀朱に筒抜けになることを防ぐという意味もある。緑の女王はそんなことまでわかっているのかもしれなかった。
面白くなかった。このまま会談が終わるまでじっとして待ってはいられない。
銀朱は後宮へ足をむけた。メイドたちを苛め、会談が終わった真朱を待つつもりだった。そして今宵は真朱も無事では済まさぬという怒り。
銀朱が真朱のいない後宮へ入っていくと、カスミがわずかに驚いた顔を見せる。しかし、すぐにいつもの平静な表情になり、一礼した。
「酒だ。いつものワインを持ってこい」
カスミはうなづき、厨房へ消える。
会談終了後、真朱がここへ来て、くだを巻いている銀朱を見た時の驚愕する顔が見たかった。きっとその顔は恐怖に変わるだろう。今宵、銀朱を邪険にした罰だ。
ポーカーフェイスのカスミがワインを注ぐ。カスミ以外のメイドたちは銀朱を恐れていた。もうこの食堂に入ってきた時から皆が息を飲むのがわかった。銀朱はそんな怯えや恐れの感情を楽しんでいた。自分への能力の蓄えにもなる。
今宵はどのメイドをからかってやろうかと小娘たちに目を向けた。子ヤギのようにびくびくしていた。何事もないように装っているカスミでさえ、その心は動揺していた。
銀朱の過ぎた悪戯をとめられるのは唯一、真朱だけなのだ。今は真朱がここにいない。そう、真朱はいつもいいところで自分が盾になる。そうすることでメイドたちを庇っていた。
ワインを煽る。今夜はトコトン飲んでやろうと思った。
その時、いいことを思いついた。真朱が会談中ということは、あの側女、瑠璃というあの小娘は手が空いているということだ。今宵は瑠璃をここへ呼んで、なぜあの小娘は特殊なのか、銀朱の毒が利かないのはなぜか探ってやろうと考えた。瑠璃を攻略するいいチャンスだ。
カスミに目をむけた。
すぐさま、カスミは銀朱の元へ近づく。
「瑠璃というあの娘をここへ」
メイドたちは、瑠璃と聞いて、緊張がゆるんだ。今宵のターゲットは自分ではないという安堵感。
しかし、カスミは難色を示した。
「申し訳ございません。瑠璃は真朱さまが直接雇用なされました教育係でございます。ここで勝手に呼びつけて給仕の真似などさせましては、後に真朱さまが・・・・・・」
カスミはそれ以上、口が利けなかった。カスミまでがこの銀朱に意見をするとは意外だった。その舌をしびれさせる。
カスミは唯一この後宮へ銀朱が連れてきた女官だ。真朱の世話をさせるために。だからカスミだけが銀朱を恐れずにいた。今まで銀朱の意図を読み、よく仕えていたのに、初めて瑠璃のことで、首を縦に振らなかった。
「カスミよ。そちまでがこのわしに逆らうか。この国を復興させたのは誰だと思う。このわしだ。それなのにあの女王はわしを邪険にした。その気を紛らせようとしているだけなのだ。ただ、今宵はここで真朱を待つ、それだけだ。瑠璃もここに呼んで一緒に真朱を待つということならばいいであろう」
一方的に銀朱が言った。カスミには返事をする余裕もなかった。舌だけではなく、毒がカスミを覆っていた。
《カスミよ。そなたはわしの・・・・・・。そのそなたがわしに逆らうのか》
毒の幕でカスミを覆い、締めつけていた。カスミの額から汗が滲み出ていた。しかし、気丈な女だった。うめき声一つ洩らさなかった。
《わしの命令ぞ。真朱には文句を言わせぬ。瑠璃を呼べっ》
そう思考を送り、カスミを毒の幕から放り投げた。その体が床に投げ出された。周りのメイドたちはそんなカスミを見て再び震え上がった。
「あ・・・・、誰か、瑠璃殿をここへ・・・・」
カスミは立ち上がれなかった。他のメイドが瑠璃を呼ぶために、食堂を出ていった。
瑠璃はすぐに食堂へやってきた。恭しく頭を下げる。以前に会ったときよりは礼儀を身につけていると見える。
瑠璃は動揺していた。なにしろカスミが床に横たわっていた。誰一人助けようとしない状態。そんな場所へ自分が何のために呼ばれたのか不安な心。
そういう感情は美味だ。瑠璃に給仕をさせることにした。
「肉だっ。肉を即座に用意しろ。わしの好みの焼き加減でな」
銀朱は血の滴る牛肉しか食べない。瑠璃が、厨房からほとんど生に近いステーキを運んできた。その肉を一切れづつ切るごとに血が滴る。
「瑠璃とやら」
銀朱は肉を咀嚼しながら話しかけた。
「はい」とかすかな声で返事が返ってくる。
「今宵、真朱は初めて王妃らしいことをしているな」
瑠璃はすぐに何と返事をしたらいいのかわからなかったらしい。少し間が空き、かすかな声で「はい」と言った。
「緑の国の女王が来ているのだ。知っておるだろう、沙緑というあの女王」
瑠璃の頭の中に沙緑という文字が浮かんだ。そしてなぜかどこかの年より女性の顔、すぐにそれが今の沙緑の顔になった。
「ほう、会ったことがあるのか」
意外だった。緑の国の田舎娘だと言っていた。瑠璃の中の沙緑は、瑠璃を真っ直ぐに見ていた。直接、謁見されたことを物語っていた。
「はい、一度だけあります。威厳のあるきれいなお方でした」
「今、その女王が来ている。あのお飾り人形の真朱には会い、この国を復興させたわしをのけ者にしたのじゃ。このわしを・・・・・・」
そういうと再び銀朱に怒りが蘇ってきた。
酒の力で少しは和らいでいた怒りも今度は酒の力で倍増していく。気に入らなかった。あの女王の顔。それを当然として澄ました顔でいた真朱も。
無性に腹がたった。怒りが頂点に達し、テーブルの上の皿を手で払う。皿が床に落ち、ガシャンというものすごい音が響いた。それは食堂のドアの外に控えていたタンをも驚かせ、中の様子を確かめに入ってきたほどだ。
メイドたちが泣きはじめた。カスミも動けないままだ。
その時の銀朱は、皆が自分を恐れていることも気にくわなかった。
「どいつもこいつもわしを・・・・・このわしを・・・・」
銀朱は、泣いて怯えているメイドの一人に目をむけた。たちまちそのメイドに苦悶の表情が現れた。今宵は銀朱のやりたい放題だ。例えそのメイドの息の根をとめようとも誰も阻止できないのだ。
タンが銀朱のそんな思考を読んだ。顔色が変わった。
「タンよ。そちは外にいろ。呼ばれるまで入ってくるな」
「はっ、しかし、銀朱さま・・・・・・」
「そちまでが逆らうか」
銀朱に睨まれた。タンは怯み、哀れな犠牲者となりそうなメイドたちを見た。そして仕方がないのだという思いを胸に、それらに背を向けて出て行った。
銀朱は鼻で笑う。メイドたちを見た。
しかし、ふと足元で何かしている瑠璃に気が付いた。瑠璃は臆することなく、床に散らばった肉片と皿を片づけていた。
その頭の中では、銀朱のことを哀れな人だと思っている。その同情の心、それはそれで銀朱のプライドを傷つけるものだ。銀朱のことをかわいそうだと思うことが許せなかった。
毒を瑠璃の背中にむけた。けれど瑠璃は気が付かない。さっさと片付け、今度は布で汚れた床を拭いている。やはり瑠璃には毒が利かなかった。
銀朱はそれを屈辱として受け止めた。ギリリと奥歯を咬む。
瑠璃が床を拭くその手に目をとめた。毒が利かなくても痛めつける方法はあると考えた。即座にその瑠璃の手を踏みつけた。
「あ」
座った体勢の銀朱の足の力はそれほどではないが、瑠璃の驚きは満足がいく。その手を放さないようにますます足に力を込めた。
「わしの毒が利かないのなら、こうしてやれば痛みを感じることができるであろう。ヒャハハ、もっと早くからこのことに気づけばよかったのじゃ」
銀朱は瑠璃の手の甲をグリグリと靴でひねる。瑠璃が苦痛を感じていた。
「ヒャハハ、こうすれば瑠璃も皆と同じ。わしを恐れ、ひれ伏すことになる」
銀朱は瑠璃の手を踏みながらも、周りの者たちに毒を放った。誰一人邪魔だてする者はいない。
瑠璃が少し体をずらし、靴の下の手を外そうとしていた。しかし、そうはさせない。ぐっと力をこめた。
瑠璃がわずかに呻いた。その心に意識を向けた。
【痛いっつうの。最低よ。こんな奴、人の上に立つ器の人じゃない。姑息だし、弱い者いじめなんて本当にやな奴。女王に無視されて当然】
そういう心、いいぞ。その通りかもしれぬ。どんどん負の心を満たすがいい。恨むがいい。全部吸い取ってやる。
【性格悪い。こういう奴ってみんなを服従させても心の中は満たされないのよね。そして夜も眠れなくなるの。誰かがいつ裏切るかわからないから】
それは納得できる。的を得た考えだ。
銀朱は自分の力を見せつけて、皆をひれ伏すことを選んだ。自分の弱みを握られれば、即座に上から落とされるという恐れはあった。だから、誰も自分を裏切られないように毒で制し、コントロールしているのだ。
瑠璃の心は続く。
【ってか、かわいそう、本当にかわいそうだな。心が休まる暇もない。ぐっすり眠ることもできない。安眠できないからイライラするのかも。そんな力づくで得た地位なんて、砂の城にいるみたい。かわいそうにいつ崩れるかわからないから、いつも怯えていなきゃいけない】
恨みの心は苦みがあり、それはそれで美味だ。しかし、かわいそうだという心はそれらを台無しにする。強い酸のようにすべてを溶かしていく。
もっと痛みを味わせるために、靴に力を込めて左右にねじった。
瑠璃が呻いた。そうだ、かわいそうだなどと考えていられないようにするのだ。もっと怒れ、それをわしにぶつけるのだ。
だが、瑠璃はまだかわいそうだと考えている。痛い目に合わされる相手をなぜ哀れに思うのか。不可解な小娘よ。
【哀れな人、誰にも理解してもらえない、だから、だから・・・・】
その瑠璃の心は、銀朱の毒を溶かしていた。
カスミがその体を起こしていた。普通ならもう少し時間がたたないと痺れは取れないはずだ。
焦った銀朱は立ち上がり、瑠璃の手の上にその体重を乗せた。その骨が折れてもかまわなかった。瑠璃がいけないのだ。自業自得だ。
しかし、瑠璃はさらに考える。
【力で相手を屈服させるなんて、そうしないと誰も自分を認めてくれないなんて。なんて哀れなお爺さん。こんな年になっても人生を悲観し、周りを傷つけるなんて、こんなこといつまで続くんだろう】
お爺さん? 誰がお爺さんだというのか。今の銀朱の肉体は三十代前半のはずだ。誰も銀朱を老人だと思っていない。それなのになぜ、瑠璃は老人だと思うのか。銀朱の中で、白磁の意識がもたげた。秘めている部分だ。
銀朱がそう疑問に思った。
悲鳴が沸き起こった。辺りをみると、メイドたちが明らかに銀朱を見ていた。そして恐れと驚きの混じり合った感情。メイドの頭の中の自分を見た。そこにいる銀朱の姿は別人だった。
カスミの頭の中も見る。それらは皆同じだ。カスミ達の目に映っている銀朱は、艶のない白髪の、目のくぼんだ老人だった。数々の皺も深く刻まれているのが見える。
自分の手を見た。その手は醜い皺だらけの茶色い斑点の浮かんだ手。茶色に干からび、歪んだ爪。
「ぐああ。なんだ、これは」
銀朱は自分の身になにが起ったのかわからなかった。しかし、瑠璃の心がなにかに触れたことがわかっていた。その姿で瑠璃を睨みつける。この小娘がいけないのだ。
「この魔性の娘めっ。くそっ、タン、タンはおるか」
タンが即座に入ってきた。銀朱はすぐさまタンの肩を抱く。タンはその状況もわからずにそのまま立ち尽くし、その生気を奪われていた。銀朱が見る見る間に若返る。そしてタンは三日三晩、働き続けた肉体労働者のような疲労を顔に出していた。目も虚ろになっていく。
そしてその後、銀朱が周囲の者に記憶をなくす毒を放った。今見たことはすべて忘れてもらわなければ困るのだ。瑠璃だけがまだそのまま銀朱を見ている。瑠璃には毒が利かないからだ。
「よいな、このことを少しでも他言したらお前の命はないと思え。もちろん、真朱にも死んでもらう」
瑠璃はわずかにうなづいた。
今から数人の生気を吸わなくては元の体には戻れそうになかった。タンのは一時しのぎでしかない。銀朱は急いで後宮を去る。




