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竜胆

 瑠璃がこの家を出てから、早一か月が過ぎていた。今までどんな時間に帰っても家に明かりがつき、いい匂いのする台所から、瑠璃が笑って出迎えてくれていた。そんな当たり前の生活に慣れていた竜胆は、まだ誰も帰っていない家に帰ると、胸の中に寂しさを覚えていた。


 キャンベルリバーの冬は厳しい。そろそろ雪の季節なのだ。今夜は潤と白藍の帰宅は遅いと聞いている。

 竜胆は暗い家の中に入った。この古い家には広い台所には大きな石のオーブンがあった。それは家の中央に位置し、そこへ火を入れておくことで、いつでも料理を温めることができるし、家を温める暖房にもなっていた。

 いつも昼過ぎには隣の紅桔梗がこの家を訪れ、このオーブンに火を入れてくれていた。だから、家の中は温められていた。そしてテーブルにはパンが置かれ、冷蔵庫には和え物のサラダとチキン料理が入っていた。

 ありがたかった。紅桔梗は連日のように、竜胆たちに夕食の差し入れをしてくれていた。瑠璃のおかげで命拾いをした、そのお返しだという。


 竜胆は早速、自分の食べる分のパンをスライスして、天板にチキンと一緒に並べる。その上にチーズと黒コショウをのせ、オーブンの中へ入れた。わずか数分で温かい料理が食べられる。

 それを静まり返った家で一人食べる。もう慣れなくてはいけないのに、慣れきれない竜胆だった。誰もいないからなのか、それとも瑠璃がいないからなのか。瑠璃がいないからだと思わないように努力していた。


 竜胆は食事が終わると使った皿を洗う。その時、潤からのテレパシーを受け取った。

《今から帰る。悪いけど、白藍さんと二人分の食事、用意してもらえるかな。ずいぶん遅くなってしまって、白藍さんも疲れていてね。何かちょっと食べたら、すぐに床につきたいと言っている。隣からいただいたパンだけでもいい》

《潤さん、今夜は紅桔梗さんが作ってくれたチキンがある。それも温めとくよ》

《おう、上等だ。サンキュ》



 キャンベルリバーの王宮には衛兵用の寄宿舎もあった。夜間勤務の時はそこで交代するまで仮眠をとることもできた。それでも竜胆は、できるだけ家に帰るようにしている。家なら潤と気兼ねなく能力を使ったりできるからだ。能力を隠すことはそれほど大変ではないが、寄宿舎では二人部屋になり、常に他人が一緒にいることになる。一緒の部屋に寝ていると、相手の感情や考えが漏れてくることもあり、それも気づまりだった。


 白藍は二人の能力のことを知っている。しかし、気にとめないように設定されているため、不思議にも思わないし、別段、特別な事として意識に残らなかった。だから、別の能力者が白藍の頭の中を探っても、気にも留めていない記憶を拾うことは難しいだろう。


 白藍は一切れのパンとわずかなチキンを口にし、風呂に入った。その風呂上がりの肩を潤がもむ。白藍は王妃の衣装の刺繍で肩がパンパンなのだ。

「ああ、気持ちいい。潤さんって本当にマッサージ、上手よね。潤さんのような夫がいて本当によかった」

と笑う。

 潤も大げさに言った。

「白藍さんの専属マッサージ師ですから」


 白藍は大きなあくびを噛み殺し、立ち上がった。

「体が温まっているうちに寝るわね。ありがと。おやすみ」

 そう言って、潤にキスをし、竜胆に二、三回手を振った。白藍は重い足取りで階段を上がっていった。

「白藍さん、かなり疲れているね」

「うん、でもあの人、あの仕事を生き甲斐にしているから、つらいならやめろと言ってもきかないよ」

「まあ、わかるけど」

 皆、家に帰って、その本音をもらす。自分をさらけ出すことで、次の日へのステップになるのだ。


「それよりも、今日は面白いモノが見られたよ。紫黒はどこにいた?」

「あ、夕方からは表門の付近にいた。あそこは寒かった」

 紫黒は両肩を抱き、震える真似をした。

「そうか」

 烏羽の不敵な笑み。


「瑠璃ちゃんが、銀朱と顔を合わせたんだ」

「えっ、ついに・・・・。大丈夫だったか」


「ん、その言葉遣いと態度に銀朱の怒りをかっていた」

 紫黒はやはり、と顔を曇らせる。

「瑠璃ちゃんは強い。驚くほどにね。あんなに強いとは思ってもみなかった」


「えっ、一体何が起こったんだ」

 烏羽は、あの時、瑠璃が銀朱の怒りをかっていた食堂のドアの向こうにいた。皆が銀朱の毒に苦しんでいたのに、瑠璃は全くその影響を受けていなかったことを見ていた。


「すごかった。どうなるかと見守っていたけどね。まわりが倒れる者まで出ているのに、あの真朱さまでさえ、どうにもならなかったあの毒に気づこうともしないんだよ」

 烏羽がその時の映像を送ってくれた。

 しかし、紫黒はそんな瑠璃を危ぶむ。

「あまりあからさまに瑠璃が平気だともっと深く探られるかもしれない。もし、王妃の水晶玉が見つけられたらどうする」

「大丈夫。瑠璃ちゃんには隠そうとする心がないんだ。その心は開けっ広げすぎて、見えそうで見えない。深くつながった洞窟のようなんだ。その奥底を探ることは容易ではないよ。特に瑠璃ちゃんは構わずに、どんどんいろいろなことを考えているから、その考えにも邪魔されて、奥底なんて見えないかもね。いやあ、おもしろかった」


 そう聞いて少し安心した。二十一世紀の人間は、頭の中を読まれることに無頓着だった。そんなことをされているという思いがないからだ。紫黒に言わせれば、鈍感だということ。そして意識せず、次から次へ漠然と考える。今のことを悩んでいるのかと思えば、昔の失敗したことを悔やみ、明日のことをつまらなく思ったりもする。悩んだり、悲しんだり忙しいのだ。そんな頭の中を読む方も、それに惑わされ、その本人が何を考えているのかわからなくなる。さらにその考えをどけないと本心がさらけ出されないのだ。


「興味深いのはね、瑠璃ちゃんが銀朱、いや、つまり白磁のことだけど、老人って言った。かなりの老人だと思っていることだよ」

「それって、本物の白磁の姿なのか」


「たぶんね」

「危険じゃないかな。瑠璃が銀朱の本当の姿を見ていたってこと。あいつがそれに気づいたら、瑠璃のこと、疑うだろう」

「まあ、白磁もそれほど自分をさらけ出してはいないよ。あの時は怒りと驚きで自分を見失っていたからだろう。でも、次からはそうはいかないと思う」

 瑠璃のすごさはわかったが、それだけに瑠璃が注目されていた。それが裏目に出なければいいのだが。


 烏羽が、再び診療所にいるシアンと繋がる。

 リビングが森の診療所になった。ベッドの上に腰掛けて、笑っているシアンがいた。

 紫黒は笑い事じゃないと思う。瑠璃のことはいつもひやひやさせられていた。


「今日の銀朱たちの会話だけど、いよいよ緑の国の沙緑様を迎えるようだ。真朱さまが会うと言ったからね」

「ああ、行方不明者の保護金を違法に受け取っていたことか」

 シアンは全てを知っていた。

「沙緑どのは銀朱とは話をしないよ。今回は真朱だけがその相手をするしかない。真朱がそれで責められてもかわいそうだ」

 

「沙緑さまもこっちの事情は知っているだろう。それなのに責めるのかよ」

 紫黒が叫ぶように言った。

「ん、まあ、表向きはそうなるだろう。沙緑どのも銀朱の前ではそういう態度をとるしかない。しかし、大丈夫だ。沙緑どのはわかっているから。近頃、銀朱があまりにも調子に乗りすぎているから、懲らしめのための苦情なのだよ」

 紫黒はシアンに目をむけた。

 やつれていた。以前にも増して元気がない。

 早く銀朱を封じ込めて、シアンへの病を取り除かなくてはならないと思った。


「残念だな。瑠璃がここにいれば喜ぶのに」

 シアンに会いたいだろうと思っていた。

 シアンは相変わらずその笑みを絶やさない。しかし、意外なことを言った。


「瑠璃とはもう会わない方がいいのかもしれない」

「えっ、なぜ?」

 なぜ、会わない方がいいというのだろうか。聞き返したが、はっきりと答えないシアン。

「今の言葉は忘れてくれ。それよりも瑠璃には宍、雄黄、琥珀がついている。いざという時はこの三人が駆けつける。だから、そんなに心配しなくていいぞ」


 紫黒は守り役の三人の顔を思い浮かべた。

「ああ、あいつらか。大丈夫かよ。老いぼれてるから、いざって言う時、飛び出せないんじゃないか」

 いつもの毒舌を放つ。


 すると、あちらもいつものように返事が飛び込んできた。聞いているらしい。

《何を言うかっ。育ての親同様のわしたちに対して、おいぼれとはなんじゃっ》

《そうじゃ、いつもわしたちをコケにして》

「うっるせぇなぁ。悪口じゃねえよ。本当のことだろうが」

《なお悪いわっ。そちの口の悪さには呆れかえる》


「あ~わかった。褒めりゃいいんだろ、褒めりゃさ。なんて頼りになる守り役さんたちなんでしょ。いつも三人で一人分の活躍、期待してます」

 再びものすごい文句を言われていた。

「ああ、うるせえ。わかった、オレ、もう寝る」


 紫黒は強制的に診療所の映像を消した。

 二階の自分の部屋へ行く。瑠璃がもし、危ない目にあったとしても、あの三人が馳せ参じてくれると思うと安心していた。



竜胆たちが住んでいる家は、スイスの農家をイメージしています。一度だけ訪れたことがあったその家には家の中央にタイル張りの暖房があり、台所ではオーブンとして使用していました。寒い地方ならではの工夫に感心しました。その家に、ウサギが食用として飼われていたのです。

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