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真朱・瑠璃がきた

 瑠璃が後宮へきてくれた。

 瑠璃は真朱に、外国のことを教える教育係りという役職でいる。瑠璃の寝泊まりする部屋も、本来なら後宮に務める女官たちの長局に入るのを、特別に真朱のすぐ隣の部屋にした。

 真朱がこんなにいろいろと主張するのは初めてだった。銀朱に何か言われるかと思っていたが、ただの新しい侍女が増えた程度にしか考えていなかったらしい。瑠璃のことには、何も言われずにいる。ほっとしていた。


 真朱は最近、連日のように銀朱と共に公式の晩餐会に出席している。そのため、瑠璃と一緒にいられる時間は昼に限られているが、それでも二人で庭を散歩したり、時には瑠璃が弁当を作り、宮殿の裏にそびえる森の中へ行って、ピクニックを楽しむこともあった。


 瑠璃は、時々思い出したように、自分の育った国のことを語ってくれた。それはどこか遠い国にように思う。緑の国で育ったというが、真朱の知っている緑の国とは、別の印象を受けていた。しかし、瑠璃が作り話をしているのではないこともわかっている。真朱にとって、その話がどこの世界のことでもかまわなかった。瑠璃が一生懸命に話してくれることがたのしいのだ。


「人とは便利になると、それ以前までやっていたことが不便と考えてしまう。ただ、少しだけ手間や時間がかかるだけなのにな。簡単に早く済むことがいいことではないと思うぞ。その不便さも楽しんでしまえば、人から不満の心が減るとは思わぬか」

 瑠璃の話から、土地から土地まで飛べる飛行機や、なにやら便利な機械の話になる。真朱もそんなものがあったら楽しいと思う反面、なくても生活できる今の環境でもいいと思う。


 瑠璃はそんな真朱の言葉に賛同する。

「ご飯を炊く時ね、炊飯器があったらどんなに便利だろうって思ってた。土鍋で炊いた時、ずっと火のそばに付いていなきゃいけなかったけど、そのご飯は炊飯器よりもおいしかった。感動したの。手間をかければ、その分、ちゃんといいことが返ってくるんだって」


 瑠璃はすぐに真朱の意見も認めてくれる。自分の見方をフレキシブルに変えることができるのだ。それは決して優柔不断などではなく、自分が本当に納得し、実感してそう考えてくれていた。



 その日の晩餐の会合は、銀朱とキャンベルリバー市長、他の市長たちが集まることになっていた。今夜は真朱はいなくてもいいと言われていた。

 久しぶりに真朱は食堂に一人、座って食事をしていた。

 ふと、そこへ瑠璃を呼ぼうと思った。

「カスミ、ここへ瑠璃を呼びたいと思うのだが」

 カスミはすぐに頭を下げ、他の侍女に瑠璃を呼んでくるように言いつけた。


 改めて、カスミという女官を不思議に思う。女人というものは、何か自分の愛情を注ぐ者の間に新たなる存在が入り込んでしまうと、わずかでも妬みや嫉妬が生まれるものだ。しかし、真朱が探る限り、カスミにはそういう感情はない。真朱が幸せだと感じていることがカスミの幸せだと思っている。

 なぜ、カスミはこんなに真朱のことを思ってくれるのか、それがよくわからなかった。


 瑠璃が来たころには真朱も食事を終えていた。

 二人でお茶を飲みながら、他愛のないおしゃべりを楽しむ。真朱がこの食堂でこんなにリラックスしていることは初めてだった。笑い声も湧き上がる。

 給仕をする侍女たちもその雰囲気に柔かな表情をしていた。真朱がこんなに笑う所を初めて見るのだろう。そんな驚きの心も漂っていた。


 そんな春のような温かな雰囲気の場に、水を差すように入ってきたのは銀朱だった。たちまち、食堂の温かな雰囲気が一変していた。ピリッとさすような毒気と寒い空気が床を這っていた。

「おや、なんと珍しい。真朱さまがお笑いになっている。いや、まさかな。真朱さまはお笑いにならない。誰か他の者の笑い声だったか」

 嫌味な言い方だった。

 壁に立つメイドたちも体を震わせていた。皆が一生懸命に顔を歪ませないように耐えていた。しかし、突然の銀朱の毒はつらい。


 銀朱は真朱の向かいに座る。カスミがすぐにワインを持ってくるように指示した。皆が厳しい顔つきで、慌ただしく動いていた。すぐに銀朱のお気に入りのワインが開けられ、そのグラスが置かれた。

 銀朱は、真朱の隣に座っている瑠璃に気づいた。


 真朱は後悔していた。銀朱と瑠璃を会わせてしまったことだ。やはり、いつ銀朱が現れるかもしれないこんなところに瑠璃を呼ぶのではなかった。

 銀朱は、面白いモノを発見したかのようなねっとりとした目で、じっと瑠璃を見ていた。それで、ここに瑠璃がいるから、真朱が笑い声をあげていたと気づいていた。


「おや、これはこれは。見慣れぬ顔だが、わしが忘れていた顔だったのか。王妃とこのテーブルに同席する身分とはどなたであろう」

 瑠璃はきょとんとしていた。瑠璃は銀朱を知らなかった。真朱は余計なことを瑠璃に吹き込みたくなく、銀朱のことはもちろん、どんな風に扱われているかも言ってはいない。


 そこへカスミが小声で言う。

「瑠璃殿。こちらはこの王宮の最高責任者、銀朱さまであらせられます。ご挨拶をなさいませ」

 瑠璃はそう言われて、慌てて椅子から立ち上った。その勢いがつき過ぎて、椅子がバタンと派手な音を立てて後ろに倒れた。

「あ、ごめんなさい」

 他の侍女がその椅子を起こす。瑠璃は銀朱にぺこりと頭を下げ、言った。

「瑠璃です。よろしくお願いします」


 こういう時は瑠璃のことを本当に外国人だと思う。しかも庶民なのだ。改まった挨拶を知らない。真朱とは敬語を使わなくていいと言ってあったから、なおさらだった。

 銀朱は驚きを隠さず、不快を現わしていた。毒がじりじりと床を這う。そしてニヤリと笑った。こんなに面白い女は初めてだと思っていた。それがしかも真朱の側女なのだ。ここを突かずにいられない。


「なんと。おもしろい娘だろう。瑠璃か、よい名である。野山を駆ける野生の女人のようじゃ。それで、そなたはここで何をしておるのだろう」

 メイドたちが怯えていた。銀朱の怒りを感じ取っていた。メイドたちは主人の顔色に敏感なのだ。


「あ、私は、真朱さまのお話し相手で・・・・」

 真朱が慌てて言い直す。

「瑠璃は、わたくしの教育係でございます。外国に住み、その興味深い話を聞かせてもらっております」

 銀朱はギロリと真朱を睨んだ。余計な口出しはするなと言わんばかりに。真朱の舌がしびれていた。口をはさんだからだ。


「ほう、瑠璃殿は外国育ちと、どちらの国にいたのでしょう」

 真朱にはわかっていた。銀朱はそう質問しながらも、瑠璃の頭の中を見ていた。真実と言うことが食い違わないか確かめている。もし、わずかでも違っていたらそこをつく。


 瑠璃の頭の中はコンクリートの街と夥しい車の列。そこを渡る人々の群れ。

「緑の国にいました。人が多くて、皆がせわしなく歩くんです」

 瑠璃の目が時々宙を泳ぐ。銀朱が一方的に瑠璃に働きかけていた。すべてを隠さずに言わせるつもりだった。こうなったらもう誰も、銀朱のコントロールからのがれられなかった。


「ふん、これが緑の国か。わしの記憶とはずいぶん違うようだ。あの国は大きいし、いろいろな民族が暮らしている。瑠璃の住んでいた街はなんという街か」

「東・・・・京でございます」

「はて、そんな街があったか」

 銀朱が首を傾げていた。

「あ、すみません。東経とうけいにございます。暮らしていたのは田舎の方だったので、学校とかは電車を乗り継いでいました」


 瑠璃の口調が戻っていた。目も真っ直ぐに銀朱を見ている。そう答えてにっこり笑いかける余裕もあった。さっきまで銀朱に頭の中を見られ、目も虚ろな状態だったのに、今はもうそこから脱していた。


 銀朱もそれに気づく。真朱でさえ、銀朱のコントロールからのがれられないというのに、瑠璃が簡単に脱していた。銀朱は、瑠璃を能力者なのかと探る。しかし、瑠璃は普通の人間だ。その心の中は、銀朱に対して、口の利き方がまずかったかなと反省しているようすだった。 


 今度は銀朱があからさまに瑠璃へ毒を送り込む。麻痺させてコントロールしようというのだ。しかし、瑠璃はコントロールされない。それどころか毒に対しても気づいていないようだった。普通ならもうすでに麻痺されて、立っていることもやっとだろう。しかし、瑠璃は平気だった。

 銀朱が焦っていた。こんな人間がいたとはと驚愕していた。

 銀朱は怒りをぶつける。その毒が食堂にも蔓延していた。周りのメイドたちが苦悶の表情を浮かべていた。真朱もその刺すような痛みに耐えかねている。


 それでも瑠璃は全く気付くことはない。ただ、銀朱がにらみつけているから、自分がなんの粗相をしたのかと心配していた。

《叱られる。どうしよう。帰されちゃうかも、どうしよう。やばい》

 そんな軽い反省の心。銀朱の怒りはますます強くなった。


 壁に寄り掛かっていたメイドの二人が、毒に耐えきれず、座り込んでいた。他の者たちも次々に膝を落とす。食堂の外へ逃げ出すものもいた。あのカスミでさえ、苦悶の表情を浮かべている。汗もかいていた。真朱も手足の感覚すらない。

 瑠璃が座り込んだメイドを抱き起こそうとしていた。

「大丈夫ですか」

 その者を心配している様子。瑠璃は全く毒を感じていない。銀朱はムキになっていた。このままでは皆が毒にやられてしまう。

 真朱がテレパシーを送った。


《おやめください。これ以上は他の者たちが耐えられません》

 さすがに銀朱も大人げないと思ったのだろう。次の瞬間、毒気が消えた。皆が金縛りから解けたかのように体の力を抜いた。その場に倒れるものもいた。


「えっ何? どうしたの」

 瑠璃だけが平気で、周りになにが起ったのかわからないでいた。

 銀朱は瑠璃を睨みつけると言った。

「面白くない。瑠璃か。覚えておくぞ。今宵はあちらへ戻る」

 そうして食堂を出て行った。いつも気配りをしているカスミでさえ、そのドアを開けることさえできないでいた。

 真朱の舌はまだ痺れていた。それを洗い流すかのように、冷めかけていたお茶を飲み干す。それでようやく舌が動くようになった。


「銀朱の、銀朱の放つ毒じゃ。あの者は気にくわないことがあると、あのように毒を放つ。瑠璃は大丈夫だったのか」

「毒? えっ」

 全く気付かなかったらしい。それと同時に瑠璃が、やはり自分の行動がまずかったんだと反省していた。その様子が真朱へ笑いを誘う。すると瑠璃も反省をやめて、一緒に笑った。


「あはは。やっぱり私ってだめだな。私がいけなかったんですね。怒らせちゃった」

 その笑いが、体に残っていた毒を体から外へ吐きだしていた。

「本当に不思議なお人よのう。あの銀朱の毒に晒されて平気だったのは瑠璃だけ」


「ん、毒っていうか、あの威圧感はありましたよ。でも、どこにでもいる気難しいお爺さんって感じだから、気にしないでいようって思ったんです」

「お爺さん?」

「え、かなりお年を召した方だと思ったんですけど。お爺さんは言いすぎましたか? 時々若く見えたけど、この人ものすごく年取ってるって・・・・あ、私、また失礼なことを言っちゃったみたい」

 瑠璃はそう言って、ペロリと舌を出した。どうやらそれが瑠璃式の反省のようだ。

 瑠璃は頼もしかった。


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