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真朱・母の見舞い

「カスミ」

 真朱がそう呼ぶと、隣室に控えていたカスミがすぐに現れた。

「はい」

 

「わらわは母のところへ行く。すぐに支度を」

 そう言うと、いつも感情を顔に表さないカスミに驚きの色が出ていた。

「今からでございますか」


「もちろんじゃ。母が怪我をされて、出向かない娘がおろうか」

 真朱は、立ち尽くしているカスミの前を通り、衣装部屋に入る。カスミが手伝わないのなら、自分で着替えるつもりでいた。それを見て、カスミは真朱の決心が固いことに気づいたのだろう。

「わかりました。銀朱さまにそうお伝え申し上げます。どうかそれまでここでお待ちください」


 それは真朱の計画の内だった。カスミなら、すぐに銀朱に知らせると思っていた。カスミも銀朱のお気に入りの女官だった。カスミならきっとうまく言ってくれるに違いない。

 許可が下されたら、すぐに出発できるよう、外出用の裾の短いドレスに着替えた。そしてその様子を見るために、カスミの後を追う。

 もしも銀朱が反対しても、真朱にはとっておきの切り札があった。それを使うために、銀朱のところへ行くのだ。

 そのまま後宮を出た。衛兵たちや行き交う女官たちが、真朱を驚いた顔で見ていた。


 銀朱がどこかの部屋で怒鳴っていた。廊下にまで、ピりピりと毒気が漂っていた。この様子ではカスミもどうすることもできないだろう。銀朱はかなり機嫌が悪いらしい。カスミに怒鳴ることは初めてだったからだ。

 そこへ真朱が遠慮なく入っていった。

 銀朱は真朱をギロリとにらみつけた。カスミが動けず、怯んでいた。

「なんだっ。母の見舞いだとっ。小賢しい。何をたくらんでいる。そんなことで簡単に王妃が王宮の外へ出るものか。瀕死の状態だとしてもそう簡単に帰れるものではない」

 そこには青朽葉もいた。真朱の推測からすると、緑の国との問題を話していたのだろう。この機嫌の悪さからすると、一向に解決の糸口がつかめないらしい。

 真朱にはいい考えがあった。この銀朱をイエスと言わせる方法を。


「国交も大変でございますな。あの緑の女王さま、やり手でございます。それよりもわたくしは母の見舞いへ参ります。夕方には戻ってこられるかと存じます。それに今夜は晩餐会もないはず。午後のひと時を、久しぶりに実家で過ごすのもよい気分転換になると思いまして」

 わざとそうのんびりと言ってみた。

 案の定、銀朱は怒りを募らせる。その毒は煙のように発生し、真朱を取り囲んだ。その毒を思わず吸い込んでしまい、むせ返った。

 銀朱は、咳き込んでいる真朱を冷たい目で見て言った。

「そなたはわしの言うことだけ、聞いていればよいのだ。余計な口出しなどするでない」


 真朱は息をつまらせていたが、やがて気を落ち着かせて言った。

「もし、わたくしのわがままを聞いてくだされば、この真朱が緑の女王、沙緑さまの接待を致しましょう。懐かしい王の友人として快く迎えてみせます」

 ふいに銀朱の毒が止まった。しかし、相手は気を許してはいない。真朱を見下すようにしてみていた。こんな小娘に何ができるのかと言わんばかりだった。

「わたくしは沙緑さまと一度面識がございます。今回の緑の国との問題、なんとかしてみせましょう。それが条件です。母への見舞いがだめなら、わたくしは沙緑さまには会いませぬ」

 そう言って、わがままを言う子供のように、プイっと顔をそむけた。


 銀朱はいろいろ考えを巡らせている様子だった。真朱が、銀朱のコントロールなしで会い、話をうまく収めると言いだしていた。沙緑の前では銀朱の小細工はすぐにばれてしまう。毒気を消して、真朱が会えば、それに気づかれずに済むのだ。

 銀朱は、その考えに心を動かしていた。


「わかった。今日の午後、外出許可を出そう。母御に会ってくるがいい。ここにいるタンとその配下の者、衛兵たちも連れて行くのだ。そして、夕方には戻ってくるように。よいな」

 ガードと言っても、真朱のことが心配なのではなく、外で何か余計なことをしないかどうかを見張るためなのだろう。

 話は終わった。


 真朱は強気だった。

「では、今すぐにここを出ます」

 銀朱の答えを待たずに、クルリと背を向けていた。

 さすがの銀朱も何も言えずにいた。今は真朱の言うなりになるしかないのだ。


「タン、王妃を頼むぞ」

 銀朱がそうタンに申しつける。タンとその配下の者たちが慌ただしく整列する。

 いい気分だった。今まで一方的に銀朱に抑え込まれていた。今は真朱が緑の国の女王に会うことで、その立場は逆転と言っていいほど優位に立っていた。


 すぐに馬に乗った衛兵たちに取り囲まれて、真朱を乗せた馬車が宮殿を出た。カスミもついてくる。

 真朱は、キャンベルリバーの街の変わりように驚いていた。ざっと見ただけでも人口は今までの何十倍と言っていいほどの人が増えただろう。大勢が行き交っている。見慣れぬ建物や店も増えていた。


 昔、この辺りまで、愛馬の茜に乗って走ってきた場所である。疾走しても時々人に会うだけだった。しかし、人ごみを抜け、十五分も走ると、そのごちゃごちゃした風景はのどかなものに変わっていく。

 真朱は、本来の、母を見舞うという目的を、忘れそうになるくらい心を躍らせていた。あの限られた空間、宮殿だけの生活から、こうして外へ出られたのだ。


 馬車はやがて真朱の実家の庭へと入っていった。この辺りは変わっていなかった。それに安堵を覚えた。

 馬車が止まった。家の中から父と兄のカーマインが出て来た。

「真朱さま、ようこそ。わざわざおいでいただきまして、誠にありがとう存じます」

 堅苦しい挨拶をしていた。いつもの真朱なら、そんな他人行儀な言葉に淋しく思っただろう。しかし、今はウキウキしていた。母に会えることと銀朱からの解放感からだった。


「お母上さまは、寝室ですか」

「さようにございます」

 真朱は、カスミとタンの顔を見た。にっこり笑いかける。


「よいな、ここはわらわの家、家の中までの護衛は不要じゃ」

 そして、誰よりも先に家の中へ入っていった。ここではなにも遠慮することはない。自分の育った家だった。

 真朱はドレスの裾をつまみ、階段を駆け上がる。階段上の大きな部屋に入っていった。


「真朱さま」

 すでに母は起き上がっていて、ベッドに座り、満面の笑みで迎えてくれた。母の心の中には、真朱のことを疑うモノはなかった。王妃という立場の娘が、帰宅など気軽にできないとあきらめていたのに、見舞いにきてくれたことを心から喜んでいた。

「お母上さま。お怪我はどうですか。まだ痛みますか」

 真朱が、母に跪くようにしてその手を取る。

「よくここまで来られましたね。わたくしのために、嬉しく思います」

 母は涙ぐんでいた。真朱が来てくれたことに感動していた。真朱も涙がこみ上げてきた。母がそんな真朱を抱きしめた。躊躇ない仕草、そこからは娘を思う心しか感じられなかった。

 来てよかったと思った。



「あっ、と思ったときはもう階段の下に落ちていました。痛みに動けなくてね。そこへ隣のお内儀さん、瑠璃さんが来てくれて、黒い森へいって守り役まで呼んでくださったんです。その時はお父さんもいなくて難儀を致しました。まったく、必要な時に不在だったなんて」

 父への不満も聞いた。それもこうして無事だったから、言えることだ。そしてその隣のお内儀に感謝している様子だった。オリーブは何をしていたのだろう。今も家にはいない様子。

「オリーブはどこです。この家のために来ているのでしょう」

 多少、怒りを抑えながら母に言った。

 しかし、母は不思議な物を見るかのような表情になった。

「オリーブ? ああ、確かそんな名前の・・・・、ああ、あの侍女ですね。いつの間にか、どこかへ行ってしまわれました」

 おかしな反応だった。母の頭の中を見ても、オリーブの存在が消えていた。

 その代りに、若い女性の顔が浮かんできていた。輝くような笑み。たぶん、この人が隣のお内儀なのだろう。


「瑠璃さんと申されましたか。お母上様を介抱していただいているのは」

「あ、そうです。瑠璃さんはわたしのために食事を作って持ってきてくれます。本当に助かっております」

「そうですか。その方にもお礼を申し上げなければなりませんね」


 真朱がそういうと、母は相好を崩す。

「そうそう、瑠璃さんは真朱さまの茜に乗れるのです。真朱さま以外の人を乗せない、あの変わりものの馬、茜に乗ってカーマインを連れてきてくれました」

「茜が、その瑠璃殿と兄までを乗せたというのですか」


 それまでの真朱は、瑠璃という隣のお内儀に感謝はしたが、それほど興味を示さなかった。ただの親切な隣のお内儀としか思っていなかった。しかし、あの茜が心を許し、その背に乗せた瑠璃という娘に会ってみたくなった。

 茜は真朱がかわいがっていた馬だった。真朱が王宮に入るとき、裏の少女に託した馬だったが、その家の者たちも引っ越していったと聞いた。その次に茜は隣の老夫婦の世話になっていた。

 そんなふうにたらいまわしにされ、茜は人間不信になってしまったらしい。茜は誰もその背に乗せない馬になっていたと聞いた。

 真朱と心が通じ合う馬で、いつか許されたら王宮に引き取ろうと思っていた。その瑠璃も能力者なのかもしれないと考えていた。


「瑠璃さんは、緑の国の家族に引き取られて育ったそうです。お姉さん夫婦と許婚の方と住んでいらっしゃいます。まだ結婚はしておりませんが、もう夫婦も同然ということで、私たちはお内儀さんと呼んでおります」

 母は饒舌だった。よほど瑠璃を気に入っているのだろう。


 開け放たれた窓から、外の護衛たちの声が聞こえてきた。兄のカーマインと話をしているのだった。そこへ女性の声も混ざっていた。カスミではない。カスミは衛兵たちと気安く話などしない。

「ああ、瑠璃さんの声。来てくれたみたいです」

 真朱はそっと立って、窓から外を眺めた。

 二十名ほどの護衛の待つ庭に、一人の女性がいた。手にはバスケットを下げ、衛兵の中の一人と話をしていた。

「あら、竜胆様の声も。ああ、そうそう。竜胆様はカーマインと同じ衛兵隊に所属されていると聞きました。真朱さまの護衛の中におられたのですね。竜胆様は瑠璃さんの許婚でございます」

 瑠璃は既婚の帽子をかぶり、好奇心旺盛のクルクル動く目で楽しそうに話していた。かわいらしい女性だった。瑠璃と話しているのが竜胆なのだろう。小柄な青年だった。どこかで見たことがある? 一瞬そう思ったが、すぐに思い直す。きっと宮殿内で見かけたのだろう。


 それよりも、その二人を見ている兄のカーマインが気になった。兄から嫉妬の念が渦巻いていた。その重い念は、煙が地を這うようにして、竜胆の足元に巻き付くように動いている。それを竜胆は何気なく動いてかわしていた。能力者かと思ったが、それらしいサインはない。

 あの兄が、隣のお内儀を好きになっていたと知り、そんな面があったのかと思い直した。以前より兄に親しみを持った。好きになってはいけない相手、しかし、気になってしまう。兄の中に、そんな複雑な心理が渦巻いていた。

 

 

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