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真朱・シトリン宮殿

 何のために、この世に生を受けたのだろう。一体、何のために生きているのだろう。

 そんな疑問が常にある。今の真朱は、あの男のために、生かされていた。


 このシトリン宮殿が完成し、銀朱も忙しくなった。そう頻繁には後宮ここへ来ることもなくなっていた。しかし、連夜のように各町の有力者たちを招き、晩餐会を催していた。その度に、真朱は引きずりだされる。その場には、きれいに着飾られ、にっこり笑った真朱が必要だった。話しかけにもきちんと対応する、人形ではない真朱。下卑た大人の冗談にも恥じらいを見せ、はにかんで、さらりとかわすこともする。それらはすべて銀朱がコントロールしていた。

 真朱は血の通った操り人形だった。

 それは周りの人間たちも同じだった。 銀朱のいるところでは、皆が毒という霧に取り囲まれ、操られていた。

 かわいそうに、あの若い侍従長タンも例外ではなかった。ただ、あの者は自分が銀朱の毒によってコントロールされていることに気づいていない。それだけが唯一の幸いとも言えた。


 今、蒼い国の殆どの街、本物の王宮のある首都、ビクト以外は銀朱の手に落ちていた。銀朱は、キャンベルリバーの市長、青朽葉を重臣にし、市民から徴収する税金を引き上げていた。それに、この蒼い国の国民が、必要な時に、すぐに受けられるようにしている無料の医療を廃止し、金をとるという案も進んでいた。


 シアンがこの蒼い国を、自然と人が共存して穏やかに暮らせるような理想の国にしてきた。それなのに、銀朱たちはそれをたった一、二年で、すべてを壊そうとしていた。

 そしてさらに他の国との友好も危ぶまれるようなことをしていた。


 蒼い国は他の国からの労働者たちにも人気があった。それは無料の医療と低所得者に対しては、その住居と炊き出しなどによる食事が保証されているからだった。入国して、すぐに仕事がなくても、なんとか生きていかれた。


 他国、特に緑の国は、この蒼い国が流行病のため、健康な労働者が必要だと悟り、積極的に人を送っていた。通常ならば、その個人が支払う査証代も国が支援していた。

 緑の国は七つの国の中でも一番の広大な大陸を持つ。飛行機や電車、バス、車なども走り、文明も発達していた。しかし、それは大都市だけのことで、痩せた土地に住む国民は十分な教育、医療、仕事にもあり付けない問題にも直面していた。それで緑の女王、沙緑が、積極的に蒼い国への労働移民を勧めていたのだ。そのおかげで、蒼い国も再建できたといえる。


 しかし、銀朱はそれを逆手にとった。

 低所得者でもなんとか暮らしていかれるということは、仕事をしなくても生活できるということだった。

 銀朱は、緑の国からくる外国籍労働者たちは、その恩恵を受けてだらだらと暮らしていると、緑の国の女王に苦情をいったのだ。その甘い汁を吸おうと、大勢が蒼い国に入り、潜んでいると。そして、その非就労の者たちにかかる一日の生活費も割出し、それらを緑の国に請求したのだった。女王は、蒼い国の再建のことも考え、三年間はそうするとその要望に応えた。

 しかし、最近になって、その非就労者のリストの中に、行方不明者も含まれていることが発覚した。中には自国へ帰っている者たちもいた。それらも全部、リストにあげられ、不当に請求もされていたのだ。きちんと調査をしてから、請求しろと勧告されたが、銀朱は無視している。他の国からも同じ問題を指摘されていた。


 真朱は一度だけ、緑の女王、沙緑に会ったことがある。公式の場ではなく、王の友人としてビクトを訪問された時に紹介された。沙緑は四十歳前後の威厳ある女王だった。まだ、王妃になる前の若い真朱に、母親のような大らかな微笑みを向けてくれた。


 あの沙緑が怒り、蒼い国への訪問を許可させろと訴えてきた。

 王は病気療養中だというと、王妃の真朱に会わせろ、それも拒否するのなら蒼い国との交流を断絶するとまで言ってきていた。緑の国から輸入が絶たれれば、こんなに小さな蒼い国は食料から、資源不足にもなり、立ち行かなくなるのは目に見えている。


 銀朱たちは戸惑っていた。緑の女王が来れば、王は完全に不在であり、銀朱が毒を放ち、すべてをコントロールしていることがばれてしまうからだ。そして銀朱は、真朱を沙緑に会わせることもためらっていた。真朱は銀朱の毒でコントロールしなければ、思い通りには動かない。逆らうのが目に見えているからだった。


 真朱はこの危機を楽しんでいた。あの銀朱が頭を悩ませているからだ。すべてを自分の手で支配しようとするから無理があるのだ。王にのし上がろうとした罰とでもいおうか。不正に出過ぎた釘は打たれる、いや、曲がって出っ張っている釘はいつか引き抜かれてしまうのだ。



「真朱さま」

 昼下がりのことだった。真朱は自分の部屋で刺繍の真似事をしていた。最近はこうすることで、時間を潰し、気を紛らせている。

 そんな静かな居室にカスミが入ってきた。

「カーマイン様からの言付けでございます」

 渡された手紙を見る。

 兄からわざわざ真朱へ手紙を送ってきた。滅多にないことだった。


 なんだろう。胸騒ぎがした。

 真朱はカスミに言った。

「そなたは下がってよい」

 そういうと、カスミは一礼をして部屋を出ていった。

 このような些細な仕事など、他の侍女にやらせればいいのに、カスミはどんなに忙しくても真朱の身の回りの世話までやろうとする。


 オリーブがいなくなり、カスミが真朱の身の回りのことをしてくれていた。銀朱が後宮へくるようになってから、急に女官たちの数が増えてきた。それなりの世話、仕事が増えるからだ。カスミはその新入りの教育やまとめ役もしていた。カスミを邪魔にしたのではない。その忙しい身を思ってのことだ。

 カスミは相変わらず余計なことを心にとめておかない。真朱には、その世話をするのが当然という、肉親に対する愛情のようなものがうかがえるのだ。


 他の侍女たちは、その腹の中では王妃である真朱を値踏みしていたり、自分の方がきれいだと思っている。どうすれば自分も王妃という輝かしい存在になれるのか、考えていた。

 銀朱に取り入って、その愛妾にでもなろうかと考える者もいた。そういう邪な考えの多い者ほど、表面上は最高の笑顔を作った。自分の心の汚れを隠すためにだ。

 真朱が読まないようにしていても、そういうよくない考えは、重く、冷たい。その者が近くにいるだけで足元が冷えてくるのだ。


 真朱はカーマインの手紙を広げた。カーマインらしい角ばった、少し不器用さが見える字が並んでいた。

 母が足を怪我したと書いてあった。母は真朱には知らせるなと言うが、毎日二階の寝室から寂しそうに外を見ている姿を見て、母は急に年を取ったと感じたらしい。隣のお内儀が毎日来て、食事のことをしてくれているが、母は真朱の事を思っているに違いないと書いてきていた。母を励ますような手紙を書いてくれということだ。


 母の怪我は心配だった。しかし、そこにブレーキをかけるものがある。それは今の真朱の体に、百パーセントの自信がないからだ。目覚めたすぐ後、母と会ったとき、母が感じた真朱への違和感。娘として疑っているかもしれない、そんな真朱には会いたくないかもしれないという心が止めている。だから母は真朱には知らせるなと言ったのかもしれない。

 様々な考えが浮かんでは消えた。

 しかし、真朱は母に会いたかった。あの母なら、例え真朱が別の姿をしていたとしても娘として受け入れてくれると思いなおした。こちらが会いたい、心配しているという心を正直に伝えれば、向こうもそれに応じてくれるだろう。しかし、今の真朱には自由がない。王妃という立場の、鳥の籠の中にいた。


 真朱はペンを手にした。まず、お見舞いの言葉を書こうと思う。しかし、あることに気づいてその手が止まった。

 オリーブは何をしているのだろうと思った。オリーブが母の近くにいるはずなのだ。それなのにカーマインの書状には、オリーブのことは一切触れられず、隣のお内儀が食事のことをしてくれていると書いてあった。銀朱の手先になったオリーブは、一体どうしたのだろうか?

 新たな疑問がわいた。

 こんな気持ちでおざなりのことを書いても、たぶん真朱の心配は解消されないだろう。それに何とも言えない違和感を覚えていた。

 真朱は決心していた。

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