ホテルにて
今、瑠璃はホテルの一室にいた。
ほろ酔い気分でいた。花束も食事もその雰囲気も最高だった。
「ホテル、予約してある」
そう言われて、「ごめんなさい。帰る」とは言えるはずがなかった。それに今夜のことはそういうつもりでいたし、ここが正念場かなと思う。
伸弘はシャワーを浴びていた。瑠璃は一人、部屋に座る。
その待っている間、瑠璃はもらったばかりのピアスを外し、ブレスレットも外した。失くさないように黒いフェルトの巾着袋へ入れて、カバンの中へしまう。
そしてその窓際に立った。この部屋は十二階。外には夜の海が広がっていた。
初めての経験を迎えるには、まあまあロマンティックな場所かもしれない。自分でも落ち着いていると思う。いや、冷めているのかもしれないと思いなおす。
こんなものなのか、本当はもっとドキドキして、それでいてエキサイティングな自分を想像していた。こんな時でも瑠璃は冷めていた。それが自分の嫌なところだった。
ふと、下に目を移した。
ホテルの正面にタクシーが入ってきたからだ。それで下に目を向けた。
ホテルの正面には大きな噴水があり、勢いよく水が噴き出ていて、ほのかな青い照明が幻想的な世界を連想させる。
そして瑠璃は、そのすぐ横に立っている奇妙な男二人に目を止めた。二人が奇妙、というのは黒っぽい服装に黒いサングラスをかけていたからだ。
その二人は、十二階の一室にいる瑠璃を見ている、そんな気がした。
次の瞬間、瑠璃の視線が室内に移る。シャワールームのドアが開き、伸弘が出てきたからだった。白いローブ姿で、にんまりと笑いかけてきた。
「お先に」という。
今度は瑠璃の番だよというように、シャワールームのドアを開けっ放しにする。その前にもう一度、外に目を向けた。下の奇妙な二人が気になったからだ。しかし、そこにはもう誰もいなかった。
熱い湯がシャワー孔から噴き出てくる。髪をなんとか一まとめにし、シャワーキャップをかぶった。
小さなタオルに石鹸を泡立てて、体を洗いはじめる。
そう、別に今夜伸弘と寝ることは構わなかった。ただ一つ、気がかりなことがあった。
瑠璃の胸には、体を半分割られたような大きな傷痕があった。それは古い傷で、幼い頃に受けた心臓手術の痕だった。
助かる可能性はたったの三十パーセントだったという。普通なら手術はしない。でもそのまま受けなくても小学校に上がるまで生きられないと宣告されていた。その時母親が、どうせ長くないのなら、その三十パーセントにかけてみると決断し、反対していた父親を説き伏せて手術を受けた。奇跡的に成功した。
命が救われたんだから、ビキニが一生着られないことくらい、なんでもないよね、と今でも言われている。瑠璃もそう思っていた。
今は、この傷痕を伸弘がなんていうかが心配だった。これがあったから、ずっと泊まりのデートを断ってきたのだ。
部屋を暗くしてくれれば見えないと思う。でも、・・・・・・触れられたら、わかる。これが原因でしらけたらどうしよう。コトを始める前に打ち明けるか、気づかれたら言うか、決めかねていた。
でも、この傷も瑠璃自身なのだから、しらけても仕方がないと心を決めた。
シャワーを浴びて、備え付けられている白いローブを着た。
落ち着いていたはずの瑠璃も、さすがにいざとなるとドキドキしてきていた。キスは何度もしたけれど、体に直接触れられることは初めてなのだ。自分ながらにかわいいと苦笑した。
もういい。ここまで来たら引き返せない。別に伸弘のこと、普通に好きだし、いつかは誰かと体験することなのだ、と思った。
その時、瑠璃の頭の中で、《チェッ》という誰かの舌打ちが聞こえた・・・・ような気がした。