竜胆・行方不明者
その噂は、竜胆も最近耳にしていた。特に外国籍の労働者がいなくなったという噂だった。
クロムが言う。
「俺達もそれほど気にとめていなかったんだ。こうしたごちゃごちゃとした人混みが嫌いな奴もいる。仕事を求めてきたけど、その喧噪に嫌気がさして元の田舎へ帰っていく奴。それは誰にも止められないし、当然だとも思う。皆、あの流行病で家族を失ったり、仕事もままならなかった。こうした活気づいている街へくれば、なにかいいことがあるかもしれないと思うのも当然だから」
群青も、瑠璃を怖がらせてしまったかと思い、慌てて言いつくろった。
「ああ、いなくなったってことだけで、まだなにが起っているのかわからないんだ。死体が見つかったわけでもないし、身代金を要求されたわけでもない。ただ、さっきまでそこにいた奴が、翌朝には忽然と姿を消しちまう。家族が恋しくなって、誰にも言わずに帰っちまったんじゃないかと皆が思ってるんだ。けど、ちっとばかし、そんな話を耳にすることが多くて・・・・気味が悪いんだ」
クロムが、酔いつぶれて寝転んでいるボスを見ながらそっと言った。
「よう、竜胆。お前さ、赤の国からきた松葉を知ってるだろう」
いきなり松葉という名前を聞いて、竜胆はその顔をすぐには思い出せなかった。
「ほら、おとなしくて、やたら背の高かった若い奴だ」
そう言われて、竜胆は思い出した。
小柄な竜胆とその容姿も性格も、対照的だとからかわれていたのだ。松葉は体は大きいが、性格はおとなしく、誰に何を言われてもニコニコしているような温厚な青年だった。
「ああ、松葉。あいつか。オレと同じくらいの時にここへきて、あと二年、頑張って稼いで帰るって言ってたよな」
昼休み、いつも一人でポツンと座って、山の景色を眺めていた、そんな松葉の横顔を思い出した。山を見て故郷を偲んでいたらしい。
「そう、毎月、受け取った金の半分以上を祖国の母親に仕送りしていた。すごく献身的な奴だ。あいつがいなくなった」
「えっ、あいつが? まさか」
思わず、大きな声で叫んでいた。それほど意外だったのだ。
「三日前から仕事場に顔を見せなくなったんだ。誰よりも早くきて、黙々と作業し、さらに一人で残って後片付けをしていくようなあいつが、無断で休んでいるんだ。あいつらしくないことだろう」
「うん、らしくないな。でも孤独に耐えきれなくなって、発作的に帰っちまったんじゃねえのか」
母一人、子一人だった。母親は体が弱い。田舎で細々と作物を作ってなんとか暮らしていたが、朝から晩まで働いてもやっと二人が食べていけるだけしか、収入がなかった。赤の国は医療に金がかかる。母親の薬代を稼ぐために、この蒼の国へきたのだ。
そんな奴が、母親恋しいということで咄嗟的に帰るだろうか、いや、あいつに限ってそんなことはない。せめて一言、誰かに言うか、書き置きくらいはする。
寝ているかと思ったボスが言った。
「俺が、赤の国の母親に電話をした。松葉が母親のところへ帰っていたんなら、それなりの反応があるだろう。もし、帰っていなかったら、病身の母親を驚かせることになるから、様子を伺うようなふりでな」
見るとボスの目は、竜胆に向けられていた。もう正気の目だ。
「けど、あの母親は松葉がまだ、こっちで頑張って働いていると思っている口ぶりだった。金を送ってくれて助かってるって。おとなしいが気は優しい男だから、よろしく頼むと言われたよ」
「ボス、起きてたのか」
「あたりまえだ。酔っていないと言っただろう」
ボスはのそりと起き上がった。
「それに松葉はこの国が気に入っていた。なにしろ、医療が無料だろ。五年働いて、この国の永住権がもらえれば、母親を呼び寄せることができる、そうすればもう薬代を心配することもないんだ。そんな奴が急にいなくなるなんて、考えられないんだ」
クロムは続ける。
「松葉の泊まっていたドヤ(宿)街に行ってきた。あいつの部屋の周囲に住んでいた人に聞いたら、他にも同じように姿を消した外国籍の労働者がけっこういたよ」
瑠璃が、隣に座って聞いていた。その話に怖くなったのか、竜胆に寄り添うようにして座り直していた。瑠璃の温もりが感じられる。
近いぞ、こらっ。
白藍も青ざめた顔をしていた。潤は何も言わなかった。潤はすでに、ある程度の現状は知っていたと思う。
「松葉はな、いなくなる前に言ったんだ。最近、親切にしてくれる年上の女性がいるって。こんな俺に彼女ができたって、そりゃうれしそうだったんだ」
クロムはそういうと声を詰まらせた。
もう真夜中近くになっていた。
ボスたちに、危ないから泊まっていけと言うと、「バカたれっ、俺達は行方不明にはならん」と息巻いて馬車を走らせて行った。まあ、あの三人なら大丈夫だろうけど。
潤は、瑠璃と白藍が台所へ入って行ったのを確認して言う。
「その松葉っていう人は、本当に急にいなくなるような理由はないんだね」
「うん、あいつが誰にも言わずにどこかへ行くってことが考えられない。それに女がいるっていうのが怪しい。普通はそんな人がいれば、その人が一番先にいなくなったって、騒ぐはずだろう」
「そう、それなのに黙ったままだ。その人が一番怪しいね。外国人ってことは、単身できている者が多い。突然、いなくなっても騒ぎ出す家族が近くにいないってことだ」
潤が黙った。竜胆も考えていた。
「やっぱ、銀朱か」
「そうとしか思えないね。まあ、今、資金集めの接待に追われているから、自分で獲物を捕えに出歩くことができないんだろうね」
潤がぎょっとするような恐ろしいことをつぶやいた。




