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厳しいチェックと乙女の動揺

 工事現場には大勢の人が忙しそうに働いていた。外壁はだいぶ出来上がっていた。深い堀もたぶん、もうすぐ完成するのだろう。

 カーマインは、それらの様子を上から眺めて言った。

「ご主人さんはどこにいるんでしょうね」

「さあ・・・・」


 一難去ってまた一難だ。竜胆にお弁当を渡すことがこれほど大変だったとは思ってもみなかった。

「あ、ちょっとすみません」

 カーマインが、前を通りかかった男に声をかけた。

「こちらの方がご主人さんに会いにきたのですが、どなたに尋ねればいいのでしょうか」

 その男はギョッとした顔を見せる。

「えっ、この中の誰かを探すのかい。今日は二百人くらいいるぜ。仕上げだからな」

 二百人と聞いて息を飲んだ。そんなにいるんだ。

「オレが知っている奴かもしれないから、一応名前を聞いておくよ。もし、知らなかったら、その辺の奴らを捕まえて聞き歩くしかない」


「主人は竜胆と申します」

 今度はきちんと名前が言えた。

 二百人もの人がいるなら、この人が竜胆を知らなくても無理はなかった。この中を歩き回らないといけないのか。もしそうなら、もう瑠璃は帰ろうと思う。カーマインにもこれ以上つきあわせるわけにはいかない。しかし、その男は竜胆という名を聞いて、安堵した笑みを浮かべる。

「ああ、竜胆か」

 

「ご存知ですか」

 カーマインの顔が輝く。彼も、この中から瑠璃の夫を探しだすのは大変だと思っていた。しかし、ここまでつきあって、瑠璃を置いていくことはできそうになかったのだろう。

「ああ、竜胆なら知らない奴はいない。ちょっとした有名人だからな。最初から竜胆を探しているって言ってくれればよかった」

 知らなかった。竜胆がそんなに目立っているとは。


 その男は、堀の中の工事現場を指さした。百メートルくらい先に、大勢が集まって話し合いをしていた。

「あそこの中にいるよ。さっきもずっとボスと話していたから。呼んでやろうか」

「はい」と瑠璃が言ったとたん、男が大声を張り上げた。

「お~い、竜胆。お内儀さんが来てるぞ」

 その男の声が広い現場に響いた。皆が一斉に瑠璃を見た。


「あいつ、体も小さくて華奢で力もないのに、口と知恵は一人前。態度もでかいしな。けどみんなに好かれてる。ボスのお気に入りでもある。竜胆は誰でも構わず話して、絡むからな。あいつにこんなにかわいらしいお内儀がいたとはね」

 そう言われて瑠璃は赤面した。やはり、竜胆はここでも人を食ったようなしゃべりは、変わらないと見える。


 そこへ竜胆が走ってきた。

「よう、瑠璃。どうしたんだ。どうやって来た? よくここまで来られたな」

 竜胆はけっこう険しい顔をしていた。喜んでくれていないようだ。瑠璃が一人で勝手に来て、怒っているようだ。

 竜胆は瑠璃の後ろに立っているカーマインに意識を向ける。

「あ、こちらはこの王宮の衛士をされているカーマインさん。お隣の家の息子さんなの」

「はい、門のところで瑠璃さんが立ち往生していましたので、ここまで案内してきた次第です」


「ああ、そうでしたか。どうも妻がお世話になりました」

 竜胆は瑠璃を見た。

「身分証明書を持ってこなかったろう。瑠璃のはこの間、潤さんが取得してくれて、オレ達の部屋においてある。ごめんな、すぐに渡さないで。まさか、一人でここまで来るとはおもっていなかったからさ」

 オレたちの部屋というのは竜胆の部屋ってことなのか。

「あ、そうなの。私の、あるんだ」

「うん、ここは今、それがないとどこにも行かれない。ここまで来られたのは奇跡だぞ」

 それは本当だった。もし、カーマインがいてくれなかったら、ここにはたどり着けなかっただろう。


「で、今日はどうした?」

 そう、これを渡さないといけない。

 持っていたお弁当のバスケットを差し出す。

「今日、竜胆さんの好きなウサギのパイをマルーンさんに頂いたの。今夜は残業になるって言ってたから持ってこようと思って・・・・」

 竜胆の目が見開く。そんなことが起るのかというくらいの驚きの表情。

「ありがとう」


 竜胆が、瑠璃をいきなり抱きしめた。

「さすが、オレの瑠璃だ。うれしいよ。愛してる」

 瑠璃は、竜胆の腕の中で困惑していた。今まで竜胆に抱きしめられた記憶がなかった。それがこんなところでこんなふうに抱きしめられるとは思ってもみなかった。ふわりと土の匂い、それでいて不快ではない。

 瑠璃の心はドキドキしていた。初めて竜胆を男として感じた瞬間かもしれなかった。これが恋のときめきなのかと思う。

 

 周りの男たちがそれを見て、わあと囃し立てる。

 カーマインは些か硬い表情で一礼し、

「わたくしもこれで失礼します。それではまた」

と無表情のまま去っていった。

 急に背中を向けて戻っていくカーマインを見ていた。急にどうしたのだろう。あんなに優しくしてくれていたカーマインの態度が一変していた。

 礼を言う暇もなかった。瑠璃は、竜胆の腕の中にいたから。


 カーマインが去った後、竜胆はやっと放してくれた。

「悪かった。急に抱きしめたりして。ちょっとした演技だ。あのままだとずっと探りを入れられるところだったからな」

「え? どういうことなの」

 突然の抱擁。それに胸をときめかせたばかりの瑠璃に浴びせかけられたすれ違いの言葉。


「あのカーマインってやつの目に、監視の目が入り込んでた。瑠璃を見張るように仕向けられていたんだろう。あいつは全くそれには気づいていなかったけど」

「カーマインさんに? どうして・・・・」


「瑠璃、能力者のチェックされただろう。そこで怪しく思われたんだな。オタク、またなんかヘマでもしたのか」

 そこにいたのはいつもの竜胆だった。いつも瑠璃が愚図で、何もできないと思っている。悪口ばかり言う竜胆。だから、瑠璃もつい、言い返してしまう。

 瑠璃の中の竜胆が、またいつものそっけない、兄のような存在に戻りつつあった。あんなふうに抱きしめられて、ドキドキしていた自分がバカらしくなっていた。女の子に対してあんな態度をとることに何の責任も感じていない。ここにいるのは、いつものそっけない竜胆。

 瑠璃は心底がっかりしていた。心が跳ね上がった分、その落胆は大きい。


「あ、なんだそれ」

 竜胆が瑠璃の胸元を見る。ペンダントがむき出しになっていた。竜胆がそれを見て、目を剥いていた。

「この色は・・・・どんだけのものを吸い込んだんだ」

「ああ、そう。こんな色じゃなかったはずなのに、さっき、能力者チェックしたらズンってすごく重くなって、それで気づいたらこんなに濃い色になってたの」


「これはな、オタクの能力をおさえるための石なんだ。石が余計な記憶や能力を吸い取って、浄化していく。それが間に合わないから色がついたんだ」

 ああ、そうだったんだ。瑠璃の思考の調整を行ってくれていたんだ。さっき、ズンと重くなったのは余計なことを考えさせないために石が頑張ってくれていたんだ。

「もうこの石は使えない。オレが新しいのを見つけてきてやる。それまで気をつけろよ」

「わかった」


 竜胆は瑠璃の困惑にも気づかずに、お弁当の中身を見て大きな声を出した。

「うまそう。すげえ」

 もうちょっとつまんで食べている。

 竜胆の幸せそうな顔を見ていたら、怒りもおさまってきた。これがいつもの竜胆だ。瑠璃は決して竜胆を愛してはいけないのだ。これでいい。なんとなくそう思った。

「もう帰る」

 ぶっきらぼうに言う。

「お、ご苦労さん、気をつけて帰れよ。いいな、真っ直ぐに帰るんだぞ」

「私は竜胆さんのように遊び人じゃなりませんからね」

 そう叫んだ。怒りも込めて。

「なんだよ。オレがいつ遊んだんだ。毎日、真面目に帰ってるじゃないか」

「別に、そんなこと、知らない。どうでもいい」

 そう叫んでいた。周りが夫婦喧嘩だと囃し立てていた。


 瑠璃はくるりと背を向けて来た坂道を下り始めた。

 なぜなのかはわからないが、悲しかった。あんなにいろいろなことがわかる竜胆なのに、どうして瑠璃の心の中はわからないのだろう。さっさと丘をおりていた。

 帰りはあっけないほど簡単で、すべてノーチェックで人ごみに紛れていた。帰りの馬車に乗る。早く帰りたかった。ものすごい疲労感に襲われていた。

 こんなところまで来たのは間違いだったと思う。揺れる心、自分の本心、期待したこと。自分でもなにをどうしてほしいのかわからなかった。自分がわからないのなら、竜胆だってわからないだろう。複雑な心境だった。


 馬車の中、瑠璃はずっと景色を眺めていた。けれどその目は何も見てはいない。そのうちに頬が濡れているのに気付いた。いつの間にか瑠璃は泣いていた。

 はっとした。なんで瑠璃は泣いているのだろう。悲しいこと? いや、わからない。

 竜胆に抱きしめられたことがショックだったのだ。竜胆に抱きしめられる前にはいつもの兄に対する感情でしかなかった。しかし、抱きしめられて、ドキッとした自分の心、そして竜胆の胸の暖かさに安らぎと安心感がうれしかったのだ。口を利けば憎まれ口しか叩かない竜胆。嬉しかったのに、今までそれほど意識していなかった人に初めて心をときめかせた瞬間だったのに、それがすべて演出だったなんて。こんなに心がざわめくなんてことは今までになかった。

 涙はとめどもなく流れていた。


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