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瑠璃と記憶を吸い取る水晶

 この家には二頭の馬がいて、最近、潤はそのうちの一頭に乗って出勤していく。もう一頭は人を乗せない馬だと聞かされていた。

 いつも馬の世話は潤がやっていたから、瑠璃は馬小屋には近づいたことがなかった。しかし、先日、瑠璃が餌を持っていくとその馬が近づいてきた。瑠璃は馬に触れた経験はない。それなのに馬から寄ってきたのだ。

 そのことを潤に言うと、瑠璃が気に入られたみたいだから、乗ってみたらとその指導をしてくれた。


 その馬の名は茜。マルーンが言うのには、元々隣の紅桔梗のところにいた馬だったらしい。それが裏の家に行き、その家の者が引っ越したので、マルーンが引き取ったというわけだ。そんな人間たちの事情で振り回された馬が人間不信になったのだろう。人を寄せ付けない馬だった。

 茜は不思議なくらい瑠璃だけに気を許した。潤にもその背にのせないが、瑠璃にはされるがままになっていた。瑠璃が恐る恐る乗ると、初心者に合せるかのようにそろりそろりと走り出す。瑠璃が怖い、降りたいと思うと止まってくれた。


「なんだか、馬が一方的に瑠璃ちゃんのこと、よく知っているみたいだね」

 潤がそう言った。不思議な気持ちになる。よくわからない瑠璃だが、馬が瑠璃のことを慕ってくれていることはわかった。

 潤が帰宅すると瑠璃が乗る指導をしてくれていた。馬が乗りこなせれば、瑠璃の行動範囲も広がる。少しづつ乗ることと、鞍をつけることも覚えていった。



 そんなある日、天気がいいので瑠璃は全部屋の窓を開け放ち、掃除をしていた。姉夫婦の寝室は入らないが、竜胆の寝室は自由に入る。瑠璃が片づけないとたちまち足の踏み場がなくなるからだ。竜胆もそのことについては文句は言わない。プライバシーよりも片づけてくれるという便利さの方が勝っているのだろう。


 瑠璃と竜胆は寝室を別にしていた。まだ挙式は挙げていないからだ。

 竜胆はいい人だ。夫になればそれなりに大切にしてくれて、楽しい生活を送ることができると思ったりもする。決められた結婚に不満はないが、ウキウキすることもない。

 しかし、姉夫婦を見ているとうらやましいと思う。竜胆と瑠璃とは明らかに違うのだ。二人は仲よく見つめ合ったりしているし、お互いを尊重している。竜胆と瑠璃は兄妹のようだ。こんな二人が結婚して、姉たちのようになれるのか疑問だった。


 瑠璃はいつものように、床に散らばっている竜胆の上着やら靴下を取り上げた。ベッドは掛布団がまくれあがっていた。枕も床に落ちている。今朝、バタバタと慌てていたから、飛び起きたあと、そのままなのだろう。こんな様子なら寝相も悪そうだ。


 瑠璃は布団を直し、枕を拾い上げて、埃をパンパンと払った。するとそこから何かが漏れてきた。それは竜胆の寝ていた時の記憶だった。瑠璃にはそうとわかるはずもなかったが、その記憶をかぶっていた。



 別人のような表情の竜胆。手の込んだ立派なガウンを着て、上官のような姿。次の瞬間には髪の短い竜胆がいた。砂まみれの顔が近づいてきた。そして柔らかなくちびるが触れる感触。


「えっ」

 瑠璃が我に返るとすべてのビジョンが消えた。

 一体なんだったのだろう。立派な成りの竜胆、そしてラフな感じの竜胆、瑠璃とのキス。

 瑠璃は、その顔がずっと頭に残っていて、家事をするのも忘れてぼうっとしていた。


 その日の午後、マルーンがウサギのパイを焼いて持ってきてくれた。竜胆はウサギの肉が好きだということを知っていた。今夜は特別に夕飯を作らなくてもいい。これがあれば、サラダと青菜をゆでればいいだろう。そんな安堵もつかの間だった。


「竜胆さん、今日は遅くなるって言ってた。どうしよう、せっかくのパイ」

 今夜は遅くまで外壁の仕上げをしなければならないと言っていたからだ。ありあわせのちょっとした薄いハムをはさんだサンドイッチしか持っていかなかった。あれなら竜胆はお腹が空くだろう。ウサギのパイがあると知ったら、竜胆はどんなに喜ぶか。 

 

 そこまで考えて、瑠璃はそのパイを竜胆の仕事場に持って行く決心をした。絶対に喜んでくれると確信していた。

 瑠璃も、姉夫婦のようになりたかった。何も言わなくても一緒にいてくれるだけで、二人が微笑みあうような夫婦になりたかったのだ。そうなるにはお互いの愛情を育てていかなくてはいけないと思っていた。思いやりを持って接することだと。


 乗り合い馬車は三十分に一本あり、瑠璃はパイを入れたバスケットを持って乗り込んだ。馬車は三十人くらいが一度に乗れる。あちこち、乗客の希望に合わせて停留所ではないところでも止ってくれた。そして気軽に人を乗せていく。たぶん、この調子だと二十分くらいで到着するだろう。

 初めて揺られる景色にウキウキしていた。しかし、街の中心部に近づくとその人の多さに怖気づいてしまう。瑠璃は人ごみに慣れているはずだ。しかし、ずっと田舎に引きこもっていたから、人の行き交う様子に戸惑っていた。

 王宮が丘の上に見えた。その外門の近くで降りる。


 竜胆は王宮の外壁と堀作りをしていると言っていた。近くまでいけばなんとかわかるだろう。

 外門では一人一人が身分証明書を見せていた。瑠璃はそんなものを持っていなかった。どうしていいかわからなかった。しかし、せっかくここまできたのだ。もし中へ入れなくても竜胆を呼んでもらえるかもしれないと門番に尋ねていた。


「私、身分証明書なんてもっていませんが、夫がここで働いているのでお弁当を持ってきました」

 人形のようなポーカーフェイスの門番が、瑠璃の持っているバスケットを一瞥した。瑠璃は許婚のことを外では夫というようにいわれていた。


「その夫の名は何と言う」

「あ、夫の名前は・・・・・・」

 そう聞かれて、続かなかった。知っているはずだった。しかし、咄嗟に出てこなかった。

 夫? 夫がいたのか。あの人は誰? ええっ、あの人は一体誰なの。

 瑠璃の頭の中に浮かんだ顔が夫として結びつかなかった。


 門番は不審そうに瑠璃を見る。

 瑠璃は焦れば焦るほど、夫の名前が出てこない。

「怪しい、そのバスケットと身分を改める。こっちへ来い」

 門番の顔が厳しくなり、長い槍を突きつけられた。恐怖に全身が凍る。他の門番も逃がすまいと、瑠璃の腕を掴んだ。もう一人がウサギのパイが入っているバスケットを奪う。


「あ、竜胆、竜胆と申します。夫は今夜、外壁の仕上げで遅くなるからと言っておりましたので、お弁当を持ってきたのです。夫を呼んでいただければわかります」

 しかし、門番は瑠璃をぐいぐい押して、奥にある詰所に連れていく。

「本当です。確かめてください。竜胆と申します」


 詰所には制服が違う数人の衛士がいた。

「何事だ」

 厳しい声を出されると瑠璃を連れて入った門番は、背を正し、敬礼をした。

「はっ、この者が夫に弁当を差し入れに来たと申しますが、夫の名前を確認しようとしたら言葉につまり、怪しいと思いましたので、連行いたしました。身分証明書も持っておりません」


 威勢のいい門番の言葉に、衛士たちが一斉に瑠璃を見た。まるで犯罪者を見るような目。その視線に震え上がる。

「本当に夫にお弁当を届けにきただけです。夫の名は竜胆と申します。お願いします。確認してください」

 瑠璃は必死だった。涙が出そうになっていた。足もがくがく震えている。


「よし、わかった。あとはこちらで調べよう。もとの配置に戻ってよし」

 その中の一人がそう言った。

「はっ」

 門番は、任務を果たしたという満足感で、誇らしげに来た道を戻っていく。

 その場にいた上官らしい衛士は少し年配で、優しそうな笑顔を向けてきた。おびえている瑠璃を椅子に座らせた。

「すまないがそのバスケットの中はあらためさせてもらう。事情をきかせてもらえないかな」

 さっきの厳しそうな門番とは裏腹に、優しそうな人だ。おかげで瑠璃は一息つくことができた。


「身分証明書が必要だなんて知りませんでした。軽い気持ちで夫にお弁当を届けようと思って来ました。咄嗟に夫の名前が出てこなかったのは本当ですが、急に聞かれて言葉に詰まっただけです。本当です」

 瑠璃はそう言いながらも、もし、ここで嫌疑が晴れなかったらどうなるんだろうと不安に思っていた。

「ん、夫ねえ。他には知り合いは?」

「姉が王妃さまの被服部屋におります。白藍と申します。そして姉の夫は潤と申します。確かこの王宮の建設に携わっているとか」

 潤の名前で衛士の表情が変わった。

「あ、潤さまのご家族でしたか」

 潤を知っていたらしい。


 奥からも他の若い衛士が出てきた。

「あ、やっぱり瑠璃さんだ。どこかで聞いた声だと思った」

 名前を呼ばれて、はっとして見た。見たことのある男性。

 そこにいるのは隣の家のカーマインだった。王宮の衛士をしていると言っていた。

「カーマインさん」

 瑠璃は今までの張りつめていた緊張が緩み、涙が出そうになった。そのくらい安心したのだ。

「この方の身分はわたくしが証明いたします。隣に引っ越してきた方です」

「そうか、それならいいだろう。それに潤さまのご家族とのことだしな。だが、この先を通すにはいつものチェックをしてもらう。カーマインが連れて行ってやれ」

「はっ」

 一応、瑠璃の疑いは解けたらしい。しかし、いつものチェックとはなんだろう。

 カーマインは「さあ」とドアを開けて、瑠璃を外に出してくれた。とりあえずほっとする。あの詰所の中は怖かったから。


 カーマインが先を歩く。

「あのう・・・・」

「大丈夫です。能力者かどうかのチェックです。一応、ここから入る能力者は全員、登録されていないと入れないんです。まさか、瑠璃さん、能力者なんですか」

 

 能力者、その言葉に頭の何かが反応した。しかし、それはすぐに消える。

「あ、いいえ」

 カーマインがほっとした表情を出す。

「じゃあ、大丈夫。すぐに通れますよ。この際だから、あとですぐに身分証明書を作ってください。どこに行くにも役立ちます。今は人口が増えすぎて、店に入るのにも提示を求めるよう言われかねませんからね」


 行先に大きな門があった。

「僕たちはあの脇から入れます。初めての人や能力者登録をしていない人は一人一人チェックを受けるのです」

 そう説明されても頭の中を見透かされそうで怖くなる。なんとなく、瑠璃の中で探られてはいけないものがあり、それを隠さないといけないという意識があった。しかし、ここでクルリと回って帰ってはさらに不審に思われるだろう。

 瑠璃は一人でこんなところまで来たことにひどく後悔をしていた。


 数十人が並んでいたが、皆、一人の男の人の前に立ち、顔を見合わせるだけで通されていた。すぐに瑠璃の順番がきた。

「次」

 不安にかられながら、瑠璃がその男の前に立った。

 青白いのっぺりとした顔を男の前に立った。ラッキョウのような顔だと思ってしまう。

 その男は、今、瑠璃が考えがわかったのか、顔をしかめて瑠璃を見た。そして睨みつけられる。

 その瞬間、瞳の中がこじ開けられるような感覚に襲われた。そのまま奥の神経、脳内になにか触れたような気がする。そして、瑠璃の胸元にあるペンダントがグンと重くなった。

 瑠璃がペンダントを意識したからか、その男も瑠璃の胸元を見た。

「なんだ、そこに何を隠しているっ」

 そう言われて瑠璃は我に返った。


 胸? あ、ペンダントのことだ。

 瑠璃は首にかかっているペンダントを見せた。ラッキョウ男は少しがっかりした表情を見せた。もっとすごい物を隠していると思ったらしい。

「ラピスラズリか。これに気をとられたようだ。しかし、見事な輝きを持つ石。こんなに濃い色は初めてみる」

 そう言われて瑠璃も見た。

 それは本当だった。確か竜胆にもらったときは透明の水晶だったはずの石が、今は瑠璃紺に輝いていた。どういうことだろう。

 しかし、その男は瑠璃を解放してくれた。

「行ってよし」


 カーマインは当然といった顔で先を歩く。

「よかった。瑠璃さんが能力者じゃなくて」

「能力者をチェックして、どうするんですか」

 瑠璃の関心は、もし、能力者と判断されたらどうなるのかということ。能力者って犯罪者ではないはず。超能力を使える人のことだ。


「能力者たちは一般の人たちとは違う仕事に付きます。王宮内の上官や幹部になれるそうです。上はそういう人たちを求めているんです。実際に意識していなくても能力者の素質を持っていれば、さっきのあのチェックに引っかかり、特別に訓練されるのだそうです。そうなったら、別のレベルの人たちになってしまう」

 カーマインにはなにか苦い思い出があるようだ。身近な人が能力者で手の届かないところへ行ってしまったかのような。


「確かご主人さんは外壁の工事をとのことですが、どの辺だろう」

 もうすでに門を二つ通ってきた。大きな外堀もあり、そのすぐ先に大きな外壁がそびえていた。

「あ、主人と言ってもまだ私達は正式に結婚してはいません」

 一応、カーマインには訂正しておく。

「知ってます。先日、母と話していたのを聞きました。でももうすぐ正式にご結婚なされるのですよね」

「はあ、たぶん・・・・」

 カーマインは意外そうな顔を向けた。

「たぶんって、女性はみんな、結婚するってことはうれしいことで、待ち遠しいんだと思っていました。瑠璃さんは、そうは見えないのですが」


 やはり、そう感じられるらしい。

「私達、亡くなった母が決めた許婚で、正直に申しますとまだ、彼のこと、男性としてあまり意識していないんです」

「なるほど、結婚してから恋愛が始まるということですね」

 カーマインは気を使って、いいように言ってくれる。

「はあ、そうなればいいんですけど」

 それは結婚してみないとわからない。


「あ、カーマインさんは? 決まったお方がいらっしゃるのでしょう?」

 カーマインは瑠璃の歩調に合わせて歩いてくれる。石舗道の上がり坂だから、ごつごつして歩きにくい。竜胆なら一人で先を歩き、振り返って、遅いぞ、としか言わないだろう。

 こんなに優しい人だから、結婚はまだでもガールフレンドはいるのだろうと思った。


「僕ですか。まだそういう人はいません。僕も早く身を固めたいのですが、なかなか出会いがなくて。母にも早く見つけろって言われています」

「カーマインさんでしたら引張りだこでしょう」

「いえ、そんなことありません。いいなと思う人には既に決まった人がいるんですから」

 そう言って瑠璃を振り返った。

 えっと思った。いや、そういう例えだろう。

 

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