新しい侍女・カスミ
眠れないと思っていた真朱も、朝方になっていつの間にかウトウトしていたようだった。誰かが部屋へ入ってきた気配で目覚めた。
オリーブではない。他の侍女だろう。そのまま寝たふりをする。
その侍女は真朱が起きていようと構わずに言った。
「真朱さま、おはようございます。お支度を成されまして、食堂へお越しくださいとのことにございます」
「朝餉などいらぬ」
真朱は侍女に目もくれずにそう言い、背中を向ける。
「真朱さまはすぐにきちんとしたお支度をされて、必ず食堂へお越しください、と銀朱さまが申されております」
また銀朱だ。それにこの侍女は、真朱のことを恐れずに物を言ってくる。真朱は改めてその女官を見た。今までオリーブ以外、真朱に対して命令口調で言ってきたものはいないからだった。
年のころは二十代前半、栗色の髪を三つ編みにしてまとめ、未婚の証、白いベールで覆っていた。少しうつむき加減に目を伏せると、長い睫が女の真朱でもゾクリとするような色香を醸し出している。目鼻立ちはそれほど派手ではないが、穏やかな気品があった。
「そなたは誰じゃ、名は?」
その女官は真っ直ぐに真朱の目を見た。
「カスミと申します。しばらくの間、オリーブ様の代りに、真朱さまの寝室係侍従を務めさせていただきます」
真朱には何も言わせない言い方だ。
「それもあの銀朱が決めた事なのだな」
普通なら、王妃が直々に侍従を決められるはずだ。しかし、銀朱が送り込んだということは、恐らく銀朱の息がかかっているということ。この者に心を許してはいけないと感じていた。
何もかも銀朱が支配していた。本当にこの国を牛耳るつもりでいるのだ。真朱も十六歳とはいえ、王妃だというプライドがある。銀朱の顔など見たくはないが、ここで姿を見せなかったら、やはり女子供のすることだと笑われるに違いなかった。そんなことは我慢ならない。それに真朱が銀朱といることにより、何をするか監視できる利点もあった。こちらも奴の悪をこの目で見て、そのうちに暴いてやるつもりでいた。
そう決めたとたん、すんなりと真朱はベッドから起き上がった。人の胸の上まである高さのベッドから下りようとすると、カスミがスッと手を出した。あまりにもタイミングよく、すんなりと出されて、思わずその手を取った。
カスミからは意外にも揺るぎない忠誠心が伝わってきた。かなり真朱に好意を抱いていることがわかった。心を読むまでもない、手からそれらが一気に流れ込んできていた。
これは能力者でないことを示していた。少し安心した。カスミと一緒にいる限りは、心をブロックする必要がないということだ。
床に下りる。カスミは、真朱が着るための衣類を手にする。すぐに真朱は薄い絹一枚の下着姿になった。今までこれはオリーブの役目だった。今までたくさんの侍女がいたが、真朱のこのような姿をさらけ出したのはオリーブ以外いなかった。それを今、カスミにさらけ出していた。
カスミは手際よくコタルディを着せてくれるが、真朱の体に触れそうで触れない。
「御髪の方をさせていただきます」
真朱が大きな鏡台の前に座った。ブラッシングをするが、巧みに髪に櫛を通し、編み込んでいった。頭の後ろでそれを丸める。そして既婚女性の被る小さな帽子をかぶせた。
「待たれよ。なぜ、今朝はそのような物をかぶるのじゃ」
昨日までは髪を長いままにしてカチューシャにベールだった。真朱の身辺は全く変わってはいない。カスミの間違いだと思ったのだ。
「なぜ、既婚女性用の帽子をかぶるのかというご質問でございますね。これは民衆が、真朱さまを王妃さまと認めているからでございます。今までは未婚女性の髪形でございましたが、もうこの方がふさわしいかと存じます」
真朱は少し考えていた。それは最もな意見だった。王妃は、確かに王の后だ。その王妃が未婚の髪型をしていてはおかしいと思う。
「なるほど、わかった」
真朱はそれほど深く考えずにそれを受け入れていた。カスミには、それを納得させるような雰囲気と言い方だった。
鏡の中の真朱は、今までよりもずっと大人っぽくなっていた。メイクもずっと大胆に、濃い紅をさす。
「まあ、お美しい王妃さま」
十六歳の少女から大人への一歩を踏み出した王妃の姿となっていた。
食堂へ向かう回廊を歩く。皆がいつもと違う装いに目をむけた。
真朱は感心していた。カスミは機転も利くし、手際がいい。なんとなく気に入っていた。
食堂には銀朱がいた。真朱が入っていくと、席を立ち、恭しく頭を下げる。
「これは真朱さま、おはようございます。今朝は一段とお美しい」
もうすでにこの男の芝居が始まっていた。何か企んでいることはわかっている。当然のごとく、無視した。
真朱が席に着くとすぐさま紅茶が置かれた。真朱はコーヒーよりも紅茶を好んだ。少しだけ砂糖を入れる。ティカップを手にすると、そばにいたカスミがすかさずナプキンを真朱の膝の上に置いた。
スコーンを割り、ラスベリージャムとクロテッドクリームをぬる。その小片を口に入れた。その甘さとクリームのまろやかさがひろがる。
よく考えてみると真朱は昨日の昼から何も口にしていなかった。それほど空腹を感じていなかったが、一度食べ物を口にすると空腹を実感していた。今朝はカスミがそばにいてくれるせいか、銀朱がそれほど気にならない。
銀朱はしばらく朝起きての様子や、天気の素晴らしさを語っていたが、真朱が食事を終えるころには珍しく黙ったままコーヒーを飲んでいた。少し奇妙にも思えたが、余計なことを話してこなければ、真朱もいらいらさせられることはない。その方がよかった。
「真朱さま」
ふいに話しかけられた。それまで意識して、銀朱の方を見ないようにしていたが、不覚にも目を合わせてしまった。
「十一時になりましたら、表向きのバルコニーまでお越し願います」
「表向きのバルコニー?」
銀朱が、初めて柔らかい笑みを見せる。この男にもこんな人らしい表情ができたのかと感心もした。
「はい、公式の発表、挨拶などここに立ち、民衆に姿を見せる場でございます。やっと完成にこぎつけました。
真朱は、いつも後宮から出ないので、そのバルコニーのある館の構図が頭に浮かばなかった。
するとすぐに見知らぬ館の風景が頭に飛び込んできた。銀朱からイメージが送られていた。まだまだ時間がかかると思われた王宮はかなり速いピッチで工事が行われていたようだ。広いホールの先に大きなバルコニーがあった。ここは王が民衆の前に姿を現わせる場所だ。
民衆は通用門から深い堀の橋を渡り、このすぐ下の広場に集まるのだ。
「この街はわずかな期間に何倍もの人が増えました。街中では店が並び、どこも大変繁盛しているとの様子にございます。この宮殿も冬前には完成するでしょう。堀も間もなく完成いたしますので、その前祝いと申しますか、民衆を活気づけるために、真朱さまにも参列していただきたいのでございます」
真朱は銀朱の心を探る。その言葉に嘘はなかった。
確かにあの田舎町だったキャンベルリバーが大きくなったことは好ましいといえる。
皆は流行病のあと、希望を求めてここへやってきている。自分たちの手で第二の王宮を作り、第二の城下町を作る。そして第二の人生をやり直すとまで言っているらしい。
この銀朱は、そういうふうに人々を持ち上げて、喜ばせることには群を抜いて長けていた。真朱が、そう感心したのが伝わったのだろう。銀朱はいつものようにニヤリと笑った。
「真朱さまは、わたくしの横でにっこりと笑い、手を振るだけでいいのです」




