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銀朱のたくらみ

 真朱が目覚めた時は、もう夕方に近い。オリーブの姿はなかった。

 別の侍女が起こしにきた。ただ黙って真朱に身支度をさせる。

「オリーブは?」

 変わってしまったオリーブだが、姿がないとなると気になる。

「はい、オリーブさまは外出されております」

「外出?」

 不可解だった。何のために真朱に断わりもなく、外へ出たのか。オリーブは真朱の侍女ではないか。


「いつ戻るのか」

 その侍女は深く頭を下げる。

「申し訳ございません。わたくしには申し上げられません」

「なんと。王妃であるこの真朱にも明かせられぬと申すか」

「銀朱さまの令にございます故、お許しください」


 そういうと侍女はうつむき、真朱とは目を合わせなかった。

 心を探ることはできる。真朱がそこまでできることをこの侍女は知らないだろう。銀朱もまだ、真朱の能力が戻っていることをたぶん知らない。今までずっとはっきりしない頭の中だった。人の感情を知ることなどできなかった。

 しかし、真朱はやめた。それはこの侍女のせいではないからだ。

 黙って、その侍女のされるがままになる。


 身支度が整い、食堂へ向かう時だった。回廊から中庭に繋がっている。ふと足を止め、夕餉の前に少し外に出ようと思いついた。侍女が困惑しているのがわかったが、知らん顔をしてそのまま中庭に出た。まだ、植樹されたばかりの若い白樺が並ぶ。外の風は心地よかった。

 真朱の目はそれらを眺めているようだが、心は別のことを思っていた。何かが違っていた。そう、ここには目に見えない何かが張り巡らされている。センサーのようなもの。

 たぶん、銀朱の仕業だろう。あの者は表向きの顔は優しく、いい人に見える。しかし、その腹の中は黒いものがうねっている。

 そして、今日訪れた母を思った。

 母は真朱の中のなにかを感じていた。真朱の心は存在しているが、別人かもしれないと。

 真朱はたぶん一度死んでいるのだ。銀朱は完治させたのではなく、誰かの体を使い、真朱を復活させたのだ。それが今、よくわかった。母が感じた真朱の体、手の違和感。それはいくら顔だけを似せても別人なのだ。


 どうしてこんなことになったのだろう。真朱の頭の中はまだ、はっきりしない部分がある。

 真朱がサビに侵されて、闇の守り役に助けを求めた。その後の記憶がない。そして王のこともあやふやな記憶しかない。断片的に覚えているが、はっきりとせず、まるで他人の記憶を植え付けられているかのようだった。

 そんなわずかな時間、物思いにふけっていただけで疲労を感じていた。冷たい秋風が真朱を現実に呼び戻していた。


 夕餉のために食堂へ入る。そこで真朱の足が止まった。

 いつも一人座る大きなテーブルに、銀朱が座っていたからだ。真朱を見て、大げさに笑顔を作り、すっくと立ち上がった。

「おお、これはこれは真朱さま。失礼ながら、この銀朱、お先に始めさせていただきましたぞ」

 見ると銀朱の前には赤ワインとナッツなどのつまみが並んでいた。


 これはどういうことなのだと真朱が考える。今までずっと一人で食事をしてきた。以前の王宮でもそうだった。たまにシアンが夕餉にきてくれたが、それらは本当に片手で数えられる回数でしかない。

 それに銀朱はここへ何をしにきたのだろう。いや、後宮へ足を踏み入れたことが問題だった。ここへは王以外の男性は入ってこないはず。

 真朱の混乱にも気にとめず、銀朱はクシャリとした笑顔を見せる。そして興味深そうに真朱を見た。

「今日はお母上様にお対面されたそうですね。よほどうれしかったと見えます。ほほう、それに真朱さまの意識が・・・・すっきりなされたご様子」


 銀朱が、真朱の能力が戻っていることを悟った。銀朱もかなりの能力を使う。人の頭の中など手に取るようにわかっているのだろう。それでもいいと思っていた。どうせ、真朱が銀朱を好いていないことはわかっているはずだった。今更それを隠してもどうかなるわけでもない。

 そう、真朱は、この自分を救ってくれた銀朱を、最初から本能的に嫌っていた。真朱を助けたというのは、自分への見返りがどれだけ大きいものかを知っていたから。そうでなかったら助けはしなかっただろう。この男にはそのくらいの冷たい心が存在していた。

 銀朱は、真朱がそれを感じ取っていることを楽しんでいた。子供としてからかわれている気がした。

 真朱の体温がぐっと上がった。


「今宵は何用じゃ。わらわは今から夕餉、そなたはここで何をしている」

 イラつく心をなんとか鎮めながら言った。それでも口調はきつくなっていた。

 銀朱は返事をする代わりに、ワインを一口飲む。真朱のイライラなど取るに足らない、いや、それを酒のつまみに楽しんでいる、そんなことがわかった。それならそれで、口に出して皆の前で返事をさせてやるしかない。

「ここは後宮ぞ、誰の許しを得てここにいるのじゃ。ここはそなたの入れるところではない」


 銀朱は笑みを絶やさず、しかし、冷たい目をむけてきた。

「そうでございますな。ここは後宮、王妃さまの居場所。ここに入れるのは王のみかと存じ上げます」

「それならばっ」

 出て行けという前に、銀朱の言葉が入った。

「しかしながら、王は不在」

 真朱は自分の言葉をさえぎられて、声を荒げた。

「王が不在でも、そなたが入ってよいということではないっ」


 銀朱は、真朱の怒りを楽しみ、わざとその怒りを増すような、誰に語るわけでもないような口調で言った。 

「王は黒い森の奥深くで療養中。いや、あのお方はどうすることもできないまま、ただ、死を待っているだけ」

 皆が決して口にしないことを口走った。重くどす黒い言霊が銀朱と真朱の間をうねっている。

「無礼者めっ、王にそのようなことを・・・・」

「ああ、これは失礼いたしました。これからは気をつけます故」


 まったく悪びれてはいない。

「わたくしが申しあげたいことは、王がここにいないのであれば、もはや後宮とは申せないのではないかということ。他の館はまだ未完成。今までわたくしは麓の家に帰っておりましたが、それも億劫になりました。毎日、何もなさらずに寝て起きての王妃さまに比べて、わたくしは多忙にございます。ここだけが寝泊まりできる唯一の場所でございますぞ。わたくしは今宵より、ここに住むことにしたのです」

 銀朱は、王は死を待っているなどと暴言を吐いた。さらにここに寝泊まりするなどと、とんでもないことまで言ったのだ。


 銀朱の言葉に、真朱は肌が粟立つ。怒りに燃えていた。

「許さぬっ。わらわは、ここにそなたがいるだけでも嫌なのだ、絶対に許さぬぞっ」

 この男が、ここを始終うろつくことになる。絶対に許されぬことだった。

「今すぐ、ここを立ち去れっ」

 銀朱は動こうとしない。それに真朱の激昂にも動じていなかった。


「そうか、そちが出て行かぬのなら、わらわが出て行こう。ここはそちの物じゃ、これで気が済んだか」

 真朱は踵を返し、食堂を出て行こうとした。怒りに震えていた。かろうじて涙をこらえた。

 もうどうでもよかった。母のいる実家へ帰ろうと思っていた。王のいない後宮は確かにいらないのかもしれない。それならば、ここに留まっていても仕方がなかった。もしも王が回復すれば、真朱の元を再び訪れてくれるに違いない。それまで実家で、母の手伝いをしていればいい。王妃などと呼ばれなくても構わなかった。


「それは困ります。王妃さまにはここにいていただきます」

 銀朱が真朱の腕を掴んだ。銀朱が頭の中を読んでいた。

「何をするっ。その手を放せ。わらわに触れるでない、汚らわしいっ」

 咄嗟に掴まれた腕を振り払い、別の手で銀朱の頬を打とうとした。しかし、真朱の手はかすりもせず、バランスを崩し、銀朱の腕の中に落ちていた。後ろから抱きしめられた。

 その感触にぞくりとする。

「いやっ」


 真朱は身をよじるが、銀朱は放そうとしない。真朱の耳元に顔をよせ、囁いた。

「王妃さま、もうこの辺りでおとなしくされた方が身のためでございます。いくら温厚なわたくしももうそろそろ我慢の限界に達するかと存じます」

 真朱はその言葉から、毒に似たピリッとするような感覚を受ける。そしてそれは真朱を麻痺させていた。もやは抵抗ができなかった。

「王がここに存在しない今、わたくしが王の代りを務めさせていただいております。この銀朱が今、この国の最高支配者でございます」

 銀朱は抵抗できずにいる真朱に、一際甘い声をだす。

 それはまるで恋人が周囲に聞こえないように秘密の言葉をささやくかのように。

「わたくしは真朱さまのような子供には興味はございませぬ」


 力が抜けた。

「そう、王妃さまはそのままお座りください。夕餉を楽しみましょうぞ」

 真朱は、言われた通り椅子に座る。

 そして、出された食事を力のない目でぼんやりと見ていた。食べる気力はない。食欲もわかなかった。銀朱はうまそうにスープを口にし、時折真朱を盗み見た。その目を合わせるとゾクリと背筋が寒くなる。


 真朱はこのままどうなっていくのか、その先を考えることも恐ろしかった。

「今は国民は、伏せっておられる王よりもわたくしの方を頼りにしてくれております。その期待に応えて何が悪いのでしょうか」

 銀朱はワインを煽った。そして、気味の悪い声であざ笑った。

「王妃さまはいつもそこで笑っていればよいのです」

 ギロリと睨みつける。そなたのために誰が笑うか。

「あ、いや、失敬。そこにいてくださればの間違いでございますな」


 銀朱は食事を楽しんでいた。銀朱は分厚い血の滴るステーキを、一口づつ満足げに咀嚼していた。真朱にも同じものを出されたが、手をつけないので、銀朱はその皿にも手を伸ばす。

「動物の命を粗末になさるとはいただけませぬな。こうした動物の肉は、人のために血となり、肉となるのです。それを有難く食すことがその命に対する供養ではありませんか」

 そう言う銀朱から、牛のオーラが出ていた。殺された恨み、この世の未練まで感じる。

「ほほう、真朱さまの能力は以前よりも敏感になられましたな」

 真朱の頭の中を読んだのだろう。それらを感じ取っておかしそうに笑った。


 その後、部屋へ戻っても、真朱の耳にその笑いがずっと残っていた。

 今、銀朱は後宮に留まっている。たぶん王専用の寝室にいる。本来なら、シアンがそこを訪れる場所だ。そして、シアンがそこへくるということは真朱もそこに泊まる、特別な部屋だった。

 シアンでさえまだ一度もそこを訪れてはいない。その部屋が穢れてしまった。銀朱への怒り、シアンがここにいない悲しみ、そしてこれから真朱はどう利用されていくのかという不安が付きまとい、再び眠れぬ夜を過ごしていた。

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