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修正された記憶

 烏羽達の前に立った時、白藍はもうシャキッとしていた。泣いていた様子など全くない。大人なんだ。

 烏羽は、町の平民の服装になっている。少しよれっとした上着に帽子、ごっつい長靴のようなブーツ姿。人の好さそうな笑みを浮かべているとこの国の守り役たちから一目置かれているような存在には見えない。紫黒は年季の入った外套を身に着け、つばの広い帽子をかぶっていた。乱れ気味の髪、別人のようだ。

 瑠璃がそんな紫黒をじっと見ていると、向こうが「なんだよ」と言ってきた。

「そうしている方が紫黒くんっぽい。年相応って感じ」

「どういうことだ」

「一応、褒めたのよ。王宮の立派な服装より、似合ってる感じ。少年って感じで」

「ふん、瑠璃だって同じ年だろっ」


「まあまあ、また始まった。この二人」

 烏羽が割って入った。

「白藍さん、この二人はいつもこうなんです」

 白藍は笑っていた。

「いいんじゃありませんか。仲のいい証拠でしょう」


 仲がいいと言われて、瑠璃はそっぽを向いた。紫黒も面白くなさそうにしている。

「いいね、瑠璃ちゃんは白藍さんの妹だけど、子供の頃、養子に出されて別の国に住んでいたことにするよ。それなら少しくらいここの国の常識を知らなくても差支えないと思う。そういう記憶を植え付けておく」

 そう言われても不安が付きまとう。どこからどこまでを覚えているのだろう。紫黒のことを夫なんて思えるのだろうか。


 白藍も一緒に、記憶を操作されることになっている。

 瑠璃と一緒に守り役たちの前に膝まづいていた。三人の杖が同時に一振りすると何かが頭の中に飛び込んでくる。しかし、それ以外、何の変化もなかった。

「終わりました。これでしばらくは大丈夫でしょう」

 白藍と顔を合わせる。

「瑠璃? 瑠璃なのね」

「はい・・・・」

 誰だっけと思うとすぐさま、姉という文字が飛び込んできた。そう、この人は姉だ。でもずっと会っていなかった。瑠璃がすぐに思い出せなくても無理ない。


 白藍が瑠璃を抱きしめた。ぎゅっと息が止まるくらい強くだ。

「よかった。母が亡くなって、私、一人ぼっちになってしまった。よく帰ってきてくれたわ」

 その言葉に説明が加わるように頭の中に浮かんできた。

 幼い頃、養子としてもらわれていった瑠璃。養父母が亡くなり、瑠璃は一人で緑の国に暮らしていた。実母が不憫に思い、以前から、瑠璃はこちらへ帰ることになっていた。


 何かを思い出すのにもワンテンポ、ずれて思い出していた。こんなものか。でもどこか不自然だ。

 目の前の紫黒を見る。

 え、紫黒? しこくって誰?

 そう考えた瞬間、その人は苦笑いをしていた。まるで瑠璃の心の中が読めたかのよう。

 この人は・・・・・・《竜胆りんどう》という文字が頭に浮かぶ。そう、竜胆だ。


 瑠璃は緑の国に住んでいた。養父母が亡くなり、蒼い国の実母のところへ戻ることになっていた。しかし、その矢先、実母も流行病で亡くなってしまう。それでも姉の白藍の元へ戻ってくる。そしてそこには生前、母が瑠璃のために決めた夫となる人がいた。それがこの竜胆だ。

 そこまですんなりと頭の中に浮かんでいた。しかし、夫という所で思考がストップしてしまう。


 夫? 結婚するために呼び戻されたみたい? なんで、どうして、嘘っぽい。

 無理やり、下手なシナリオを押し付けられたような記憶に疑問の念が生まれていた。しかし、それらを払拭するかのように、瑠璃の頭に浮かんだのはこの竜胆とのキスシーンだった。瑠璃とこの・・・・紫黒、いや、竜胆の姿。ええっ、紫黒って誰? なんでそんな名前が頭に浮かぶんだろう。


 竜胆は重いため息をついた。いい加減にしろよという感じでだ。

「オタクさあ、もっと素直になれよ。白藍さんなんて、一発ですんなりオッケーだぜ。オタクはもっと単純なんだから、絶対にすぐ受け入れられるって思ってた。けど、いちいち引っかかるよな。頭の中、疑問にぶつかってばかりだろっ、不自然だと思わねえか」

 瑠璃は驚いていた。竜胆の言う通り、確かに不自然な記憶だらけだった。無理やりに押し付けられた記憶。しかし、それよりもこの竜胆は、まるで瑠璃の頭の中を読んでいるかのような発言をしたから、そのことに目を剥いた。

 再び、竜胆という名前に疑問を描いていた。え、竜胆? 本当にそんな名前だったっけ。


「いいか、瑠璃。オレは竜胆だ。りんどうって百回言ってみろっ」

「え~、百回もぉ」

 抗議の声を上げる。

「お前がまだ昔の男のことを忘れられねえからだろっ。今度、あいつの名前をつぶやいたら承知しねえぞ、いいかっ」

 ああ、紫黒って前の男の名前だったんだ。少し納得がいった。

「もう言わないわよ。あなたが竜胆だってわかったんだからいいでしょ。うっかりでも言わない」

「いや、ダメだ。百回言えっ」

 その押しつけがましい言い方にカチンときていた。


「バッカじゃないのっ。ちょっと昔の男の名前を思い浮かべただけで、そんなに反応しちゃって。嫉妬なんて男らしくないわよ。ねえ、白藍姉さん」

 白藍がぎょっとしていた。目を丸くして、瑠璃たちの口喧嘩を見ていた。

 烏羽、いや、この人は白藍の旦那さんだけど、烏羽なんて名前じゃないはず。なんだっけ。え~と。そこに飛び込んできた文字は《潤》だ。じゅん? あ、違う。うるみって読む。

 そうだ、うるみだった。


 再び瑠璃は不自然な思い出し方をしていた。烏羽、いや潤がくすくす笑っていた。

「うん、僕は潤です。瑠璃ちゃん、よく思い出してくれました」

「いや、潤さん、だめだよ。こんなことで褒めちゃ、潤さんの名前も百回づつ言わせよう」

 潤は笑いながら首を振る。

「大丈夫。瑠璃ちゃん、今後の竜胆のためにも十回でいいから竜胆って唱えてくれないかな。そうすればもう、昔の男の名前は忘れてしまうはず。そして同時に僕の名前もそう認識される」

 潤の言うことなら従うしかない。

「じゃあ、竜胆、竜胆・・・・」

 呪文のように十回、唱えた。潤の言う通り、十回目には紫黒という名前は記憶から消えていた。なぜ初めに紫黒と口走ったのだろうか。そっちの方が不思議な気がしていた。

 こうして瑠璃は、新たな人物としての記憶が授かった。

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