戦いの気配
《瑠璃、おい、瑠璃。起きろ》
頭の中に響く声。寝返りを打つ。
《瑠璃、起きてくれ》
紫黒の声だった。それに気づくと目が開いた。まだ暗い。辺りはシンと静まり返っている。
《瑠璃、おいっ》
紫黒の声が頭に響く。テレパシーだった。
《なに? どうしたのよ》
瑠璃がやっと返事をしたから、紫黒の安堵の心が伝わってきた。緊急だったのか。
《今からモーブ館へ来てくれ》
モーブ館は先日、守り役たちと会い、蒼い国の歴史を学んだところ。
一体今は何時なんだろう。まだ外は真っ暗だった。起き上がるが、一瞬、自分で着替えて、あそこまで一人でたどりつけるか不安にかられる。
紫黒は、そんな瑠璃の心まで読み取っていた。
《スミレを起こす。途中まで一緒にきて貰え》
《あ、うん》
少々戸惑う。まだ寝ているだろう。そんなスミレを起こすのが申し訳ない。しかし、紫黒は言う。
《お前のサポートするためにスミレはいるんだ。遠慮なんかしなくていい》
そりゃあ、紫黒は実の妹だから遠慮なんかしなくていい。けど、瑠璃は自分ができない、わからないために起こすんだからとブツブツ言う。
明かりをつけて、もたもたと自分で着ようとしているとスミレが起きてきた。
「瑠璃さま、わたくしがお手伝いいたしますから」
紫黒に起こされた様子だった。
着付けをしてもらい、髪も簡単にまとめてくれた。急いでいるから仕方がない。
「さあ、参りましょう」
スミレはランプを持って廊下へでた。皆が寝静まっている。夜中の後宮へのゲートには衛士はいない。門には鍵がかかっていた。スミレはそのカギを開けた。
薄暗い回廊を黙って歩いていた。スミレの歩調からするとかなり急いでいる。
一体何があったというのだろう。瑠璃はそのことに不安を感じていた。
「瑠璃さまは・・・・」
スミレがいう。
「瑠璃さまは、能力者であらせられますか」
「えっ、能力者って?」
すぐにその意味がわからないでいた。
「人の心が読める人のことでございます」
「あ、超能力者ってことね。いえ、私は読んだことありません。紫黒くんからのテレパシーを受け取って返事を返すくらいかな。精々、訴えかけられた心を感じる程度です」
「さようでございますか」
それでもスミレは浮かない顔をしていた。能力者って嫌われているのか。
「あ、本当に私、人の心なんて読めませんから」
強調して言う。
「いえ、そういうことではございません。瑠璃さまがもしも能力者で、わたくし共の心を探っておいででしたら、紫黒様がわたくしの兄だとわかったはずでございます」
「あ、そっか」
単純なことだ。
「それにわたくしも少しくらいは心を探られましたら感じることはできます」
「あ、さすが」
スミレはシアンと紫黒の妹だった。そういう事には敏感なのだろう。
スミレからは依然としてなにか悲しみを感じる。
「ただ、もしも瑠璃さまが能力者であればやはり、兄たちのようにどこか遠いところへ行かれてしまうのかと思ったしだいでございます」
ぐっときた。スミレがそんなことを考えていたとは思ってもみなかった。
ここ、数日とはいえ、瑠璃にずっと付き添い、いろいろ教えてくれた。そんなわずかな係わりなのに、そんなふうに思ってくれていたのかとうれしくなった。
「あ、失礼いたしました。こんなことを瑠璃さまに申し上げまして・・・・」
スミレが無理して笑顔をむけた。
瑠璃には何も言えなかった。こんなに思ってくれるスミレたちに返す言葉がなかった。事実、瑠璃は遅かれ早かれ、紫黒たちと王宮を出る。
モーブ館の入り口にたどり着いた。
「では、わたくしはこれで失礼いたします」
「ありがとう。ゆっくり寝てね」
というと、実際に眠かったらしいスミレは肯定するかのように苦笑した。
戻っていくスミレの後ろ姿を見て、瑠璃は気を引き締めた。
ここへ無事に笑って戻ってくるには、戦わなければならない。それはわかっていた。そして、もうすでに何かが起っている。胸騒ぎがしていた。
瑠璃も、ここでのんびりと黒紅、スミレに囲まれて過ごしていられたらどんなにいいかと思う。しかし、そんな生ぬるいことを考えていてはいけないのだ。本来の目的はシアンを治すことなのに。
スミレと黒紅、他の女官たちの笑顔を取り戻すには、シアンの病気を治し、瑠璃も晴れて王妃になることだろう。
そう思った。ぬるま湯につかっていたらいけないのだと。
守り役たちのいる部屋のドアが開いていた。そこには紫黒が待っていた。
「瑠璃、やっときた。皆が待ってる」
「あ、うん。ごめん」
三人の守り役と烏羽がいた。皆が厳しい顔をしていた。凛と張りつめるかのような重苦しい雰囲気が打頼っている。しかし、瑠璃が入ってくるのを見るとその表情を緩ませた。
「瑠璃さま、このような暗いうちからお呼びだていたしまして申し訳ございません」
瑠璃は差し出された椅子に座った。
「なにがあったんですか」
「実は、さっき烏羽さんが帰ってきたんだ。あちこち飛んで、国中の様子を見てきてくれたんだけど・・・・」
烏羽と目が合う。そのポーカーフェイスの表情からは何もわからない。何が起こったというのだろう。
「僕のイメージを出すからね」
部屋の明かりを消した。暗い中に白い光が浮かび、それが映像となった。烏羽の見てきた記憶の一遍らしい。
どこかの景色が現れた。山間の小さな町のようだ。そこから広場のようなところが映る。大勢が集まっている。何かを騒いでいた。皆が誰かを囲んで、歓喜の声をあげていた。
段々、その中心にいる人物にフォーカスしていく。
「ここは、キャンベルリバーというリンゴで有名なところです。ここから北の方角にある小さな町です。そして・・・・」
画像がその中心人物を映し出した。男性と女性がいた。
「この土地は、元王妃、真朱さまの生まれ故郷です」
心が疼く。
「真朱ちゃんの」
画像の男性が大写しになった。三十代半ばくらいだろうか。人の好さそうな笑顔をむけていた。人々の期待に応えるかのように手を振っている。そしてその隣にいる女性も目に入った。彼女は、いや、若い。まだ少女だ。その顔が映しだされた。瑠璃はあっと声を出しそうになった。
それは真朱だった。瑠璃の記憶と寸分も違いない、あの真朱がそこにいた。
「えっ、これっていつの映像?」
ついそう言っていた。
「これには皆が驚いたんだ。これは烏羽さんが昨日こっそりキャンベルリバーへ行ってみてきた情景だよ。この後、慌てて戻ってきた。ジャンクションを使うと、記録が残るから、烏羽さんが潜んでいたことがわかってしまう。だから、わざわざ二つ先の町まで馬を使い、やっと帰ってきた」
そうだったんだ。烏羽は一人でもうそんなことをしていたんだ。
「瑠璃ちゃん、わかるかい。真朱さまの隣にいる人物が誰なのか」
そう言われて、改めて隣の男性をみた。
「真朱ちゃんのお父さん? それにしては若すぎるかな。誰? 私の知っている人なんて、この土地にいるはず・・・・」
ないと言おうとした。しかし、その男の顔に見覚えがあった。見る度に年齢が違うからわからないのだ。しかも、この顔は自信にあふれている。そんな人物は一人しかいなかった。
よく見ると、人懐っこそうな笑顔の裏に秘めている腹黒い顔。ざらりとするような舌でなめられたような心地悪さを感じる。
そこまで考えて、ぞくっとした。あの顔の奥に残虐で恐ろしい部分が隠されているのだ。
そう、それは白磁だった。先日見せてもらった時の顔よりもずっと若返っていた。
「ねえ、なんであの人、こんなに若返ることができるの」
怒りをぶつけるように言った。




