モーブ館へ
王宮のモーブ館の広い庭を見る。夕べは暗く、何も見えなかったのだ。よく手入れされた芝生、色とりどりの花が植えられている花壇があり、なかなか見ごたえのある庭園だった。
「その向こうに王宮に勤める官僚や守り役、衛士、台所役人たちの暮らす館がございます。それぞれの地位や家族の人数で広さが違っています」
そう説明を受ける。回廊からは見えないが、その向こうに館があるのだろう。後宮の長局と同じだ。
庭を眺めていると後ろから声がした。烏羽だった。
「僕は家族用の館にいます。紫黒は独身用」
その後ろに紫黒も立っている。
「あ、いつの間に」
「お前らは目立つから、すぐにわかった。ここで待ってたんだ」
黒紅とスミレは、突然現れた烏羽と紫黒に他人行儀にも恭しく頭を下げた。
「瑠璃ちゃん、よく眠れた? 慣れないところだからちょっと心配してた」
烏羽が以前と同じ口調で話してくれることがありがたかった。
「あ、大丈夫。かなり疲れてたから着替えもしないで、そのまま寝入っちゃいました」
紫黒が会話に割り込んでくる。
「瑠璃のことだからオレは大丈夫だって思ってたぞ」
「ちょっとぉ、なによ、それっ」
「そのままじゃん、神経図太いってこと」
また、紫黒と瑠璃の喧嘩が始まりそうだ。烏羽がそれを察して話題を変える。
「瑠璃ちゃん、こっちの衣装、よく似合うね。最初は誰かと思ったくらい」
烏羽が褒めてくれた。しかし、すぐに紫黒が突っ込む。
「まあ、誰でもそんだけの服を着て、顔もベールで隠せばそれなりに見える」
「あ、顔をベールで隠していませんっ。かぶっているだけですっ。紫黒くんだって同じじゃない。髪、つけてるんでしょ。それにそんなに立派な恰好すれば、立派に見えるはずよ。別人なのはそっち」
烏羽も紫黒も、刺繍を凝らした袖なし丈長の上着を着ている。立派な上官だ。それだけでも見違えたのに、紫黒は短かったはずの髪に長い付け毛をしていた。後ろで結わえ、腰の辺りまでとどいている。
「仕方ねえ、ここは王宮内だからな。きちんとしてないと守り役どもがうるさくて」
と顔をしかめていた。相変わらずの紫黒。
そうだ、瑠璃は紫黒に言いたいことがあったのだ。
「紫黒くん、なんで黒紅さんとスミレさんがご家族だって教えてくれなかったのっ。それにシアン様もお兄さんだったなんて・・・・」
そう、抗議の嵐。
「へっ、オレ、シアンと兄弟だって言わなかったっけ。シアンがそう言ったと思うぞ」
紫黒は全く悪びれずにそう言った。瑠璃が受けた驚きなど全く気にしていない。
「言った、言わないっていう問題じゃないの。きちんと紹介をしてほしかったってことなのっ」
つい、大きな声が出てしまった。
チラリと黒紅とスミレを見ると、猛烈な勢いで紫黒に抗議する瑠璃を見て驚いていた。はっとする。瑠璃の人格を疑われそうだ。
気まずくなる前に、話題を変える。確か、烏羽は家族用の館に入っていると言っていた。
「烏羽さん、家族って結婚していたんだ」
意外だった。
「烏羽さんにはすんげえ美人のご夫人がいる。呉服部屋で王や王妃の紋章を刺繍するお役目だ」
烏羽は涼しい顔をしている。
「へえ、意外。烏羽さんって独身だと思ってた」
「では、わたくしとスミレはここで失礼いたします。お済みになられましたら迎えに参りますので」
黒紅とスミレは一礼をして、そのまま戻っていった。少しほっとしたような気分だ。
瑠璃たち三人は広い館内を歩き、少し薄暗い部屋にたどり着いた。中はかなり古びたテーブル、イス、棚など骨董品屋のような印象を受けるものが多い。それらがよく手入れがされていてまだ使用している愛着のあるものだということも窺えた。
守り役たちは、その部屋の奥にいた。
その三人は黒い森の診療所で見かけた顔だった。それぞれ白い髭、白く長い髪を持つ。
瑠璃たちが来るのを見て三人は、立ち上がり、ゆっくりと丁寧に腰を折った。瑠璃は緊張していた。もし、シアンを治せなかったことで厳しいことを言われたらどうしようかと思っていた。
三人は私のそんな心を感じ取ったかのように、頭を上げてにっこりと笑いかけてくれた。その笑顔は、すべてを知り尽くしているまさしく仙人のような尊い笑みのようでいて、近所の人のいいおじいさんのようでもある。たちまちのうちに、あたりが温かい雰囲気に包まれていくのがわかった。
ほっとする。
「チェッ、瑠璃に気に入られようとしてずるいぞ」
紫黒の言葉に、三人の雰囲気が変わった。
「紫黒っ、そちは黙りなさい。いつもいつも口が過ぎますぞ。王の側近だからと言ってわしらにもそんな口をきくとただでは済みませぬぞっ」
と一番背の高いひょろりとした守り役が言った。
「本当に、紫黒の口の悪さはますます切れを増しますなあ、ほっほっほっ」
なめらかなおっとりとした口調で、怒っているというよりもそれを楽しんでいるかのように言う中肉中背の守り役。
「まったくじゃ、これは二十一世紀へ行ったことの悪影響もあるかと思うが」
今度は背の低いふくよかな守り役が言った。
「おい、それはその二十一世紀からきた瑠璃に失礼だろう」
紫黒がすかさず言う。
これには小さい守り役も口が過ぎたと思ったのだろう。しまったという顔をするが、三人は同時に紫黒に向かって怒鳴った。
「王妃のことを呼び捨てにするとは何たることっ」
そう怒鳴られて、紫黒も黙った。でも今更、紫黒が瑠璃さまと呼ぶのにも抵抗がある。
「あ、大丈夫です。二十一世紀ってそんなにかしこまらないし、私もそんな環境で育っていなかったし、別に気にしていませんから。それに私はまだ王妃じゃないし」
この場をとりなそうとするが、王の特別な守り役の前で最悪のしどろもどろになっていた。
「いいよ、みんな口で言うほど気にはしていない。さあ、席につきましょう」
烏羽は一番奥にある椅子に座った。そして紫黒と瑠璃にもその隣の椅子に座るよう、目で促した。
烏羽はそっと耳打ちした。
「紫黒と守り役たちの口喧嘩はいつものこと。挨拶のようなものだから気にしなくていいよ。瑠璃ちゃんも紫黒とそんな感じだし」
そう言われて納得した。紫黒はそれを聞いて、つまらなそうな顔をしていた。




