王宮にて 王妃の居室
昼過ぎ、瑠璃たちは長局の御膳所を出て、後宮内を歩いていた。中奥のモーブ館へいくのである。そちらでまた、守り役たちと会い、話を聞くことになっていた。
夕べと同じく、黒紅とスミレの後に続く。
「王妃さまの居室をご覧になられますか」
ふと黒紅がそう言った。
「え、見ても大丈夫ですか」
見たい。今の瑠璃には、その王妃の居室という所に微妙に反応させられる。シアンが回復すれば、瑠璃が入ることになるかもしれない部屋なのだ。せっかくの申し出、断ることはない。
「はい、お願いしますっ」
張り切っていうと、スミレが苦笑していた。
黒紅が首から下げた鍵を取り出した。王妃の居室という扉の鍵を開けた。
その前に、ここは真朱のいた部屋だということを認識していなければならない。
「真朱さまは十五歳からの一年をここでお過ごしになられました。あともう少しで結婚の儀を迎えられるはずでした」
まず真朱色の絨毯、同色のカーテンが目に入った。中央につややかな木材のコーヒーテーブルが置かれ、やはり同色のソファが囲んでいる。あのかわいらしい真朱の部屋にぴったりだった。着物によく見られるちょっとくすんだ朱の色。
「わたくし共は王妃さまとは面識がございませんが、いつ戻られてもいいように毎日、窓が開けられて掃除もしております。わたくしは数日に一度、その様子を見るようにと申しつけられております」
黒紅が、テーブルの上に埃がたまっていないか、活けられた花が枯れていないかチェックしている。その先のドアにむかった。
「こちらは寝室でございます」
瑠璃が入れるようにドアを開けて待ってくれている。
寝室もやはり真朱色で統一されていた。居室から続く絨毯、カーテンもベッドカバーも同じ色で統一されていた。
ここに真朱はいたのだ。ここで一日の始まりをむかえていたのだ。流行病の原因、サビのことがなければ、ずっとここでシアンと幸せに過ごしていたに違いない。真朱の無念の思いがまだ、ここに残っているようだった。
瑠璃が、真朱と会っていたということは当然、秘密にしておかなければならないだろう。王妃は依然として行方不明だと言っていた。そんな真朱が二十一世紀にいたなんていうことがわかったら、瑠璃は起こった出来事をすべて話さなければならなくなるだろう。黙っていた方が無難だと思った。
目を閉じてみた。真朱の残像を感じる。この部屋で一日を過ごしていた真朱。本を読んだり、歌を歌ったり、一人踊ってみたり。
気鬱な日もあっただろう。朝日を浴びて、すぐにでも外に飛び出したくなる日もあっただろう。けど、真朱ならいつものように起きて、まず侍女にニコリと笑う、そして淡々と一日の行動をこなす、誰にも気を使わせないように。心配させないように。
王妃とは、皆がうらやましく思い、憧れる存在だ。贅沢をし、幸せいっぱいだと思うだろう。しかし、いいことばかりではない。皆の注目の中、卒なく振る舞わなければならない。理由もなく泣きたいときもあっただろう。誰とも話したくない日もあったと思う。けれど、そんなそぶりは微塵にも見せず、真朱なら皆に笑顔を振りまいていた、そんな姿が何となく見えた。
最期の真朱の姿が脳裏の甦る。シアンに抱かれて消えていった真朱。
そんな姿を思い出していた。知らず知らずに涙がこぼれていた。
「あ、瑠璃さま、いかがなされましたか」
スミレが驚いてみていた。
「あ、大丈夫です。ちょっと行方知れずの王妃様のことが心配になって、感傷的になっちゃいました」
慌てて涙をぬぐった。この部屋、共感しすぎてやばいかもしれない。あまり近づかない方がいい。
「さて、では中奥の方へ参りましょう」
そう言って黒紅が歩き出した。瑠璃はほっとしていた。
王妃の部屋を出て、回廊を歩く。なんとなく、気まずい雰囲気に包まれていた。さっき、瑠璃が涙を見せてしまったのはまずかったかもしれない。
この場は何とか誤魔化さなければ、と話題を振る。
「あのう、失礼ですが、お父様は? 王宮には来られなかったのですか」
黒紅が母なら、父親もこの王宮にいるだろうと考えていた。
スミレが返事をする前にクスリと笑った。
「あ、父でしたら、います。宮内に住むのは窮屈だと申しまして、馬車の御者になっております。王宮の庭の一番はずれの馬小屋近くの小屋に寝泊まりしております」
「えっ、御者って馬の」
「はい。シアン様が元気になられ、王宮に戻ってきたらすぐさま、元の田舎へ帰ろうと申しております」
スミレは可笑しそうだ。
「でも今回、瑠璃さまにはお会いしたいと申しておりました。なにしろ、紫黒様の、許嫁でございますから。どんな人だろうって」
「紫黒様のどこが気に入られたのでしょうか。わたくしはそこのところが不思議で・・・・」
スミレの問題発言に黒紅が咳払いした。
「あ、申し訳ございません」
スミレが慌てて謝った。
「紫黒くんの気に入ったところ、ですか」
「はい、紫黒様は口が悪いので、女人にはあまり好かれません。我が兄なのですが、顔を合わせればいつも喧嘩腰になってしまいます」
瑠璃はその様子が想像できて、おかしくなった。そう、彼は黙っていればいいのに、余計なことを言うから敬遠されるのだ。
「わかります。紫黒くん、本当に口が悪いから。私もギョッとさせられたし、いつも喧嘩です。でもそんな風変わりなところがよかったのかもしれません」
と締めくくった。
黒紅もスミレも、物好きなと言わんばかりの呆れた表情を浮かべた。




