王宮にて 身支度
もう外は明るい。部屋の中で水の音がする。瑠璃が目覚めた。
はっとして起き上がった。誰かいる。瑠璃は夕べのジーンズ姿のままでベッドの上に寝転んでいたのだ。こんな格好を見られた。そこへひょいと顔を出したのはスミレだった。
「瑠璃さま。お目覚めでしょうか。湯殿のご用意ができております」
「え、ああ。湯殿って・・・・お風呂ですか。えっ、誰の?」
我ながらとんちんかんな返事をしていた。スミレは瑠璃のために用意してくれたのだ。
「さあ、瑠璃さま」
瑠璃が洗面所に入るとスミレも一緒に入ってきた。
えっ、まさかと思う。スミレも当然という表情でいる。
時代劇などで見た光景では、身分の高い姫などは自分で体を洗わないということが頭をよぎる。湯殿番がいて、体も拭いてくれるという場面を想像した。
いや、そんなこと・・・・。冗談じゃない。
「あ、私、自分でできますから」
スミレはきょとんとしていたが、瑠璃の心中を察してくれたようですぐに笑みを見せる。
「そうですか。お一人の方が落ち着かれるのでしたら、わたくしはここでお待ちいたします」
ほっとする。瑠璃は庶民生まれなのだ。いきなりお風呂に入って洗ってくれると言われても戸惑う。小さい時からそういう扱いを受けているのなら別だが。
温泉のような石風呂だった。自然のハーブの塊のような石鹸で体を洗い、シャンプーらしいものが見当たらないので、その石鹸で髪も洗ってしまった。そして湯船につかると湯のミネラルが肌に溶け込むようななめらかなお湯だ。今までの疲れがいっぺんに取れるような気がした。
風呂から出ると、スミレが待ち構えていた。ドレッサーから鮮やかなドレスを引っ張り出していた。
「瑠璃さま、こちらへお座りください」
言われるままに、ドレッサーの前の椅子に座る。すぐさま濡れている髪を拭いてくれる。スミレはこうした手伝いに慣れている様子。
下着らしい白いなめらかな絹のシュミーズを身につけた。
「下にはこれをお付けください。足腰が冷えるのを防ぎます故。ドロワーズと申します」
これも白く肌触りのいい素材でできている。レギンスのようなものだ。
「瑠璃さまにはこの秘色色のコタルディと濃藍のシェルコ・トゥベールがお似合いかと存じます」
スミレが見せてくれたドレスはふんわりとした淡いブルーのワンピースと、濃紺の袖のない長丈の上着のようなもの。コタルディは後ろで調節するとウエストが強調される。
「苦しくはございませんか」
「いえ」
シェルコ・トゥベールは左右違った刺繍が施されている。高価なものだということがわかった。
「こちらは、家紋が入り、独特の刺繍をいれて母から娘へと、代々引き継いでいくのが習わしでございます」
母から娘へ引き継がれる、まるで日本の着物のようだった。瑠璃がいた当時はそういうことはあまりなかったが、昔はそうしていたと聞く。高価な質のいいものを着て、娘に引き渡すという習慣だろう。
その細かい刺繍を見た。細かい花と蔓、左半分は鳥の刺繍。胸の辺りに家紋らしい紋章が入っていた。
その美しさに感嘆するが、瑠璃にはそんな大事なものを受け継ぐ身内ではない。三日間とはいえ、借りてもいいのだろうか。
「あのう、そんなに大事なものを私が着てもいいんですか」
恐る恐る聞いていた。
「これは黒紅さまの持ち物、娘時代に来ていたシェルコ・トゥベールでございます」
「あ、黒紅さんの」
黒紅は瑠璃の指導役、なるほどそれで貸してもらえるということなのだ。
「はい、わたくしも既にいくつかいただきましたが、やはり、瑠璃さまのものも良いものばかりでうらやましく思います。あ、失礼いたしました」
スミレの言動に何か意味があった。
あれっと思う。娘が受け継ぐというトゥベールって言ったよね。
「この部屋におられます時は、このトゥベールを脱いでくつろいでいただいても結構ですが、この部屋を一歩出られます時は、必ずこのシェルコ・トゥベールを着てください」
「はい」
それがマナーなのだろう。
スミレが瑠璃の髪を整え始めた。
「瑠璃さまの御髪は、本来黒なのですね」
染めてから一か月くらいたっている。少し伸びて、分け目のところに黒い部分が見えていた。
「長いと鬱陶しいし、黒すぎても重くて、切ってもらって一か月たちます。そのままだから最近まとまりにくくて・・・・」
「なぜ、切られたのですか。まさか、鬱陶しいというだけの理由で・・・・」
それが髪の毛のことを指すと理解するまで時間がかかった。
「ここでは男性も女性も髪を切りません。二十一世紀というところは全く違う所のように思われます。紫黒様も切られてしまいましたし」
スミレは、瑠璃のまとまりのつかない髪を編み込み、木の蔓をつかったカチューシャをつけた。腰まで伸びたベールがついている。軽くお化粧もしてくれる。それらをつけた瑠璃は別人だった。中世ヨーロッパの貴婦人のようだった。
「明日はサイドの髪を巻き込んで、金色の葉のカチューシャ、してみましょう」
スミレは楽しくてしかたがない様子だった。
「スミレさんはお姉さんか妹さんがいらっしゃるんですか」
鏡の中のスミレが驚いてみていた。あれ、変な質問だった?
「いえ、わたくしには兄が、兄が二人いるだけでございます」
少し意味ありげなゆっくりとした言い方。
「お兄様ですか。こんなに髪を整えるのが上手なので、妹さんでもいらっしゃるのかと思いました」
スミレの不審顔は消えない。
「瑠璃さま、なにもわたくしたちのことをお聞きになられてはいないようですね。紫黒様らしいこと」
「えっ」
どういうことだろう。瑠璃は目を丸くしてスミレを見ていた。




