王宮 別世界の空間
先を行くスミレは、締め切った大きな扉の前を歩くたびに、ここが王妃さま用の食堂、衣装室などと説明をしてくれた。瑠璃はそれらに曖昧な相槌を打っていたが、心の中はどうしていいかわからず、荒れまくっている。
王は、瑠璃を紫黒が連れてきたガールフレンドという立場で王宮に入れと言っていたが、もうこの黒紅とスミレはそういう事情を知っているのか。服装も全く違う。言葉遣いも違うから、軽率な返事をするとボロが出そうな気がする。
いろいろな複雑な思いを胸に抱いていた。
「あのう・・・・。烏羽さん、あ、烏羽様から、私のこと、どう聞いていますか」
思い切って尋ねた。
「瑠璃さまは、二十一世紀の別の世界からいらしたお方と伺っております。あちらでは生活、習慣、髪型も服装も全く違うとのこと。それでも正直申しますと驚きました」
そうスミレが言った。その言葉が過ぎると思ったのか、黒紅が咳払いをする。
それに気づき、スミレはペロリと舌を出した。
かわいい。真朱と同じくらいだろうか。
瑠璃の髪は肩にかかるかどうかの長さで、少し明るい茶色に染めていた。動きやすいニットシャツとスキニージーンズという出で立ちで、なんともみずぼらしい限りだ。黒紅もスミレも、瑠璃のことを軽視しているだろう。ここでは皆が中世ヨーロッパの王宮のような華やかな衣装を身につけていた。
「私、普段着のままで来ちゃったんです。髪もぼさぼさだし」
「動きが軽いことでしょう」
スミレが無理してそう言ってくれた。
黒紅は髪を結いあげ、小さな帽子をかぶっている。きりっとした貴婦人だ。スミレは亜麻色の長い髪を両サイドから編み込み、後ろに流していた。頭には花をあしらったカチューシャをつけ、その長いベールが腰の辺りまで降りていた。花嫁のような印象。きっと髪型で既婚かどうかを現わすのかもしれない。瑠璃は、二十三世紀ではなく、中世ヨーロッパへタイムスリップしてきたかのような錯覚を覚えた。
「このつきあたりが王妃さまの居室でございます」
長く続く廊下の向こうに立派な扉が見えた。
今は誰もいないのだ。寂しくガランとした部屋を想像する。
「わたくし共はこちらへ」
スミレの後をついて行くばかりでそれほど注意を払っていなかった。しかし、瑠璃が一人でここを歩いたらきっと迷子になると思う。それほど広かった。その突き当りには再び扉があり、ここにも衛士が二人立っていた。
その二人は黒紅とスミレを見て、さっと頭を下げた。しかし、二人は瑠璃から目を放さない。この風変わりな異端者は誰だと言わんばかりだ。
「こちらは紫黒様の許嫁、瑠璃さまと申されます。異国からお着きになられたばかりのお客様。粗相のないように」
黒紅のその言葉にギョッとしていた。やっぱり、そう思われているんだ。ただ一つ感心することは、紫黒はあんな調子でもそれなりの地位についているらしい。皆が「様」づけで呼んでいる。
その扉を通過すると、今まで人気のなかった空間が嘘のように、人が行き来している。ここはいわゆる大奥の長局(奥女中たちの住居)らしかった。
「御膳所の方へ」
一際女官たちでにぎわう食堂に入っていく。
黒紅はその女官たちに声を張り上げた。
「皆の者。ここにおられる方は紫黒様の許嫁、瑠璃さま。三日ほどここにおられますので、粗相のないようにな」
皆の視線が瑠璃に集まった。こんな格好で恥ずかしかった。値踏みをしているんじゃないかと思う。こんな人が、こんな頭で、こんな格好でって。
瑠璃は皆の方を見られずに、ぺこりと頭を下げた。するとその場にいた女官たちは、座っていた者たちも立ち上がり、ドレスの両脇をつまみ、膝を折って頭を下げた。それが敬意を表する挨拶なのだと思った。それが瑠璃の心を安心させ、嬉しく思った。
「ではスミレ、後はよろしく」
黒紅はそう言って、今度は瑠璃に目をむける。
「瑠璃さま、スミレがお部屋まで案内いたします。今宵はごゆっくりとおやすみなさいませ」
「ありがとうございます」
少し気が楽になった。黒紅には悪いが、先生と一緒にいるような緊張をしていたから。スミレは年齢が近いから気が抜ける。
スミレに案内してもらった部屋は、まるでホテルの一室のようだった。
「こちらは上級の女官が入る部屋でございます。それでも手狭かもしれません」
瑠璃がどんな生活をしてきたのかわからないからそんな言い方をしたのだと思う。
「こちらが湯殿(風呂)と御不浄でございます。何かわからないことがございましたら、枕もとのベルを鳴らしてください。わたくしはこの部屋の続きにおります。すぐに参ります」
見ると、その部屋に別のドアがあった。その向こうは上級女官に仕える部屋子の部屋なのだ。
「わかりました。どうもありがとう。スミレさん」
スミレはにっこり笑い、そっちの部屋へ消えていった。
瑠璃はやっと一人になれた。ずっと気を張っていた。その解放感で大きなベッドの上にごろりと寝転ぶ。
目まぐるしいほどに瑠璃の周辺が変わっていた。もう何日がたったのだろう。二十一世紀での戦い、そして王妃としてこの蒼い国へきたのに、王を癒せなかった。
なんて無力な瑠璃。自分を責めていた。あの診療所に王を一人残して去る時の悲しい心が蘇っていた。
涙が出てくる。結ばれる魂を持った王にやっと会えたというのに、一緒にいることができない無念と自分の力のなさに情けなく思う。そしてこれから瑠璃はどうすればいいのか、どうすれば王を助けられるのかという課題。この国のことを何も知らなかった。そのことも不安にさせていた。これだけ身なりが違うのだ。習慣も違うだろう。
お風呂に入って寝たかった。しかし、相当疲れていたらしく、瑠璃はベッドの上に寝転んだまま寝入っていた。




