真朱、二十一世紀へ
王が倒れた。
王は黒い森の中にある診療所にいた。各地から守り役が集まり、王を癒していた。
真朱は、同じ診療所内の一番奥の隔離室にいた。ただ、王のことが心配でいた。もう自分はどうなってもいいから、王だけは助けてほしいと願っていた。
ふと思った。瀕死の子供を助けた母親、自分の命を捧げても生かしたいと思った心理。今の真朱ならそれがわかる。それは恐ろしい事だが、もしも本当にそんなことができるのなら、この命を犠牲にしてもいいとさえ思った。王のことだけしか考えられないでいた。
しかし、今の真朱にはどうすることもできない。ただ、祈ること、それしかできない状況にいた。
烏羽が、真朱へテレパシーを送ってきた。
《真朱さま。お加減はいかがでしょうか》
《わらわの心配など無用。王は、シアン様はご無事なのか》
《王は大丈夫です。意識もあります》
《よかった》
真朱はほっとし、その安堵感に涙がこみ上げてきた。その顔を手で覆う。
《王が、真朱さまのことを案じております。思いつめているのではないかと》
《王が? わらわのことより、ご自分のお体のことを考えなさいませと伝えよ》
《シアン様はそういう方でございます。それは真朱さまが一番ご存じでございましょう》
それはわかっていた。突然、王宮からいなくなった真朱を、自ら馬に乗り、探しに来てくれたのだ。
《それよりも真朱さまについていた侍女をご存じありませんか》
オリーブだ。黒い森に入り、すぐさまこの隔離室に閉じ込められていた。そんな真朱になぜ、今更そんなことを聞くのだろう。
《オリーブのことか。いや、知らぬ。ここに入ってから顔を見てはいない。他の部屋にいるのではないのか》
真朱は、オリーブも他の部屋に隔離されているのかと思っていた。
《そうですか。真朱さまもご存じないのですね。今朝から所在がわからないのです。隔離室にいたのですが、あの者の世話をする下女が気を失って倒れておりまして・・・・。あの者もサビにやられております。あの体で森を出ることはないとは思いますが、この周辺を捜してみますので、ご心配なさいませんように》
《よろしく頼む》
心が震えていた。やっと平常な声を出してそう言った。
オリーブが消えた。どこへ行ったのだろう。診療所に拘束されるのが嫌で逃げ出したのか。いや、オリーブに限って、そんな自分勝手なことは絶対にしない。ましてや、真朱がここに隔離されている。あの者なら、例え自分が感染していなくても真朱のそばから離れないに違いなかった。
真朱は改めて考えた。王がサビにやられたことの重要性を本能的に知っていた。
国民は守り役たちがなんとか治せるだろう。しかし、王はサビを直接受けていた。真朱の持っていたサビに、しかも闇の守り役の強い念が足されていた強力なサビだった。
もし、王妃が無事ならば、王妃の水晶玉で王を治せるかもしれない。しかし、二人が感染している。
このままではシアンも真朱も、ここで死を待つしかなかった。
良かれと思った行動がすべて裏目に出ていた。早くから王にサビのことを相談するべきだったのかもしれない。真朱は自分の運命を呪った。自分だけではなく、王まで巻き込み、この国を滅ぼそうとしていた。
オリーブのことが心配になっていた。烏羽からのテレパシーを受けてから丸一日がたった。あれから何も言ってこない。オリーブには何か理由があった。真朱のそばを離れてでもしなければならないことが。
フッと浮かんだのは、闇の守り役だった。オリーブはあの洞窟に行ったのではないかと考えた。
きっとそうだ。真朱が発病した。王も感染した。これ以上ないくらい最悪な事態になっていた。
オリーブがもうあの守り役の言葉通り、二十一世紀の王妃を殺すしかないと自暴自棄になってもおかしくはない。ダメでもともとなのだ。オリーブはそう考えて、闇の守り役のところへ行ったに違いなかった。
《わしならその者を殺す》
再び、あの声が蘇った。
真朱の体の中のサビがざわりと動いたような気がした。
きっとオリーブはあの者の言葉を信じて、二十一世紀へ王妃を殺しに行ったのだ。
今のオリーブには、二十一世紀へ飛ばせてもらえる代償はもっていない。金品もなにも持っていないはずだった。いや、あの者は金など欲してはいなかった。たぶん、オリーブの生気を吸い取ることを要求するだろう。
真朱はオリーブのことを考える。真朱のために、王妃殺しをさせるわけにはいかない。王妃殺しは重罪だ。たぶん、その魂は別の次元に封じ込まれる。当分の間、生まれ変わることはできないだろう。誰かを傷つけ、その生命を奪うということは、請け負うカルマ(業)のうち、一番重い罪になる。
そして、二十一世紀にいる瑠璃のことを考えていた。
今、何も知らない孤独な王妃は、その命を狙われることになる。肉体は別でも同じ魂を持つ者として、むざむざと殺させるわけにはいかない。
真朱は、ここを抜け出し、自分もオリーブの後を追って、二十一世紀へ行こうと決心していた。オリーブに罪を犯させないために、そして二十一世紀の王妃を助けるために。
幸い、まだ真朱は王妃の水晶玉を持っていた。これがあれば、あの守り役のところまで飛ぶことができる。もう烏羽に感づかれても構わなかった。むしろ、そこへ飛ぶことにより、闇の守り役の存在を知らせることができる。烏羽たちにあの闇の守り役を捕えてもらいたいからだ。
王へメッセージを残した。
【今までありがとうございました。真朱はシアン様にいつも見守られて幸せでした。このようなことになって残念です。サビはこれ以上広めはしません。オリーブも見つけ出します。心配しないでご療養ください。】
王妃の水晶玉を使い、一番磁場の高いあの洞窟へ飛んだ。
一瞬のことだ。
洞窟はまるでどこかの豪華な家の中のように明かりがつき、くつろげるような部屋に、あの邪悪な守り役は座っていた。
そして彼は見違えるように若返っていた。二十歳くらい若くなっているかもしれない。あの時は口を利くのもやっとの弱っていた老人だったのだ。その顔に張りが戻っていた。オリーブがここへ戻ってきたことは明白だった。
「オリーブ? ああ、あの女か。あの女は二十一世紀へ飛んだ。サビに侵されて、ふらふらしておったが、わしの力を授けてやったから、力をみなぎらせて嬉々として時空を飛んでいったよ」
だから、心配しなくてもいいということなのだろう。ヒャハハという耳障りな笑い声が響く。
「あの者に一体何をしたのです」
守り役は片眉だけを動かして、ニンマリと笑った。
「何をした? あの女の言うとおりにしてやったまでのこと。人聞きの悪い言い方をしないでほしい。二十一世紀へ飛ぶのにはかなりの代償がいるのでな、あの者の若さをごっそりともらい受けた。若いということは何にも勝る。ほれ、この通り、今のわしにはなんでもできるぞ」
何でもできると言いながらも、この守り役はここに留まっていることに気づいた。ある程度、力は甦っているが、まだ本調子ではないのだ。ここから出られないのだろう。封印は解いても、出られないのなら意味がない。しかし、このままでも少しづつ迷える生き物を呼びこんで、その命を取るだろう。やがて充分な力をつけ、この者がここから出るのは時間の問題だった。
それならばと、真朱は考えていた。
「ふん、小賢しい娘よ。お前が何か企んでいるのはわかっている。この白磁さまにシールドを張るとは、なかなかの力を持つ。しかし、お前もあの女のように二十一世紀へ飛びたいのであろう。一緒に二十一世紀に王妃を殺せばいい」
ヒャハハハと笑った。
そう、飛ばなければならなかった。オリーブに王妃殺しをさせないために、王妃を守るためにだ。
「その通り、二十一世紀に飛びたい」
どう思われようとかまわない。飛びさえすればいいのだ。その力を与えてもらうだけでいい。
「よおし、ではその王妃の魂の一部をいただく。ほんのちょっとでいい。余り欲張ると、反対にわしの力が癒しで、そがれる可能性があるからな。わしの魂の一部と交換だ。お前にもわしの邪悪な心が植えつけられる。それが公平だろう」
真朱はうなづいた。そういうことだと思っていた。
闇の守り役はギロリと真朱を睨んだ。
その瞬間、体中に針を刺されたかのように痛んだ。体中の組織から何かを取り除かれたのかもしれない。見ると白磁はさらに若返っていた。見るからに四十代の若さとなっていた。
真朱は腹の底にズンとくる重い痛みを覚えた。
「行けっ、お前も二十一世紀へ飛べ。そして罪を犯せ。これでこの国には王妃の魂はなくなる。そうなれば、このわしが王位に立てる。やっとわしが王になれるのだ」
そう言って白磁は一人で高笑いをしていた。
《もうお前たちはこの時代には戻れぬぞ。行くだけで戻っては来られない。あっちで死ね》
もう真朱は黒い渦に巻き込まれていた。地の底へ引きずり込まれるかのようだ。頭上で勝ち誇ったかのような声が響いた。
わかっていた。二十一世紀へ行ったら戻っては来られないだろうと。ただ、真朱の魂の一部をこの者の中に残すことで、その存在、居場所を烏羽達がわかるように仕向けた。王妃の痕跡がどこまでも付きまとうのだ。隠れても逃げても無駄だ。常に追われる立場になる。
烏羽達にこの者を封じ込めてもらいたかった。それがせめてもの罪滅ぼしだった。それを打ち明けなかったのは、真朱が二十一世紀に飛ぶことを止められる可能性があったからだ。
烏羽たちが真朱の心をわかってくれるようにと願うしかなかった。
真朱はオリーブの後を追って、二十一世紀へ飛んだ。そこは蒼い国のある次元とは異なる世界だ。
悪しきなる念がうようよしていた。ここの人々は簡単にそういう念を発していた。それが見えない、感じられないのだろう。むせ返るような念の中を人々は気にしないで通り過ぎる。
二十三世紀の人間ならば、すぐに影響を受ける。それが蓄積されれば、サビになる。
真朱は自分の中のサビが、そういう念に共感しないように、自分のシールドを強化していた。まだ、王妃の水晶玉は真朱の味方をしてくれていた。
オリーブを追った。
その痕跡はあったが、悪い念たちに取り込まれ、恨みしか残っていなかった。
こちらの王妃の周辺にいれば、オリーブは現れるだろう。
真朱は、瑠璃の家の近所にある子供のいない家に入り込んだ。その夫婦に、森本真朱という娘の存在を記憶にいれた。そして、毎朝、瑠璃に会うように行動した。オリーブから守るために、オリーブに殺させないために。
真朱の話はこれで終わりです。
この後からはシアンと瑠璃の話になります。




