真朱、黒い森
王妃の水晶玉を使えば、黒い森には簡単に入れた。
けれど、ジャンクションを使うと、すぐに最高管理官の烏羽に伝わる。そうなったら、なぜ、真朱が一人で黒い森に行かなくてはならないのかを説明しなければならなかった。
烏羽にわかれば、すぐさま王に伝わる。それは極力、避けたいことだ。
現に烏羽は、真朱がキャンベルリバーにいることがわかっていた。
真朱が自分の式神を残して、こっそりと家を抜け出した時、烏羽からの精神感応が入ってきた。
《真朱さま、なぜ、お一人でそのような場所に行かれたのですか。王妃さまと言えども、一応、こちらに一言おっしゃっていただかないと困ります》
烏羽が、ついうっかりとそのような場所と失言をしていた。そこをついておこうと思う。
《そなた、そのような場所と言ったが、このような場所は、わらわの実家なるぞ。それに突然、実家に帰りたくなったのじゃ。夜も遅くなれば、いちいちそんなことをそちらに告げるのも悪いと思うてな、黙ってきてしまった。それは謝ります》
《真朱さま。こちらの失言をお許しください。しかし、夜中であろうとこれからはこちらに一言、お願いします。そうしないと周りの者が迷惑致します故》
烏羽は、自分の非を認めたが、自粛しないと侍女たちの責任となると反対に脅してきていた。真朱もわかっている。普段ならそんなことはしない。自分の勝手な行動で、周りの者が迷惑を被るのを重々承知していた。
《すぐに戻らねばならぬか。できたら、もう少しここにいたい。正式に王妃となれば、自由に来れぬからな》
烏羽は少し考えたようだ。返答に少し間があった。
《すぐに衛士をおくります。それでもう一時間くらいなら、今回は大目に見ましょう》
《衛士? 衛士ならいるぞ。どうせ、離宮から見知らぬ衛士が参るのであろう。ここには兄がいる。そなたも知っておろう。兄は、わらわが王妃に即位したら、このキャンベルリバーの離宮の衛士に志願すると。王もご存じである。のう、わらわの身辺は大丈夫じゃ。わらわが急にきたことはこの家しか知らぬ。わらわに何か起ころうとも、兄たちが身を持って守ってくれる》
必死だった。ここで衛士を送られたら、真朱の計画は万事窮すとなる。もし、兄は正式な衛士ではないと言われたら、それなりに噛みつく覚悟もしていた。しかし、烏羽はすんなりと承諾してくれた。
《では、三十分だけ。それ以上は認められません。よろしいですね》
烏羽にもうそれ以上の妥協はしないとの心が伝わってきていた。
たぶん、それを認めなければ、不審に思われる。そして直ちに誰かが迎えにくるだろう。
《わかった。かたじけない。王妃になろう者が、このような子供で驚いたであろう》
子供の気まぐれだと思わせた。烏羽はそれで納得した様子だった。最後に《いえ、とんでもないことにございます》と言い、精神感応が途切れた。
急がなければならなかった。三十分しか猶予がない。しかし、急げば充分戻れる距離でもあった。
真朱は裏の家の庭に入り込んだ。そこには納屋があった。この納屋に、昨年まで真朱がかわいがっていた栗毛の馬がいた。真朱が王宮に上がるときに、この家の少女に馬を託した。
馬の名は茜。茜は真朱を見て、喜んでいた。暖かなものに包まれる。心地よかった。
エンパスとはこうした動物の心もわかるのだ。もっと早くこの能力が目覚めていたら、茜とも通じ合えたのにと思う。
真朱は、こっそり茜を連れだし、夜道を急いだ。馬にとって真っ暗な夜道は危険だが、真朱は茜に夜目が利くようにしていた。
馬の足で五分の所に黒い森はあった。
この国の周辺は、この磁場の高い黒い森で覆われていた。病気の者が入ると軽ければそれだけで治ることもある。その中にいる守り役に治療してもらえば、難病も治してもらえた。しかし、その逆もある。以前より悪化することもよくあることだった。
真朱は、自分からその黒い森に入ることで、自分の持っているサビが発病するか、消えるかにかけていた。もし、発病したなら、中にいる守り役にそのまま隔離してもらう。そして真朱はそのまま死ぬまで生涯をそこで過ごすことになるだろう。このサビは魂からきているもの。肉体に感染したサビとは違う。赤い国の王婿のように一度発病させて、魂からサビを抜き取り、死亡しないとだめだと思っていた。
黒い森が見えたところで真朱は馬を下りた。本能的に動物は黒い森を恐れる。しかし、一歩その中に入ると安らぎを覚えるのか、なかなか出ては来ない。今は真朱もその黒い森のエネルギーを感じていた。以前には見えなかったモノが今は見えていた。
ものすごい陽炎のようなものが地の底から発生している。これが黒い森のエネルギーなのだろう。
近くへ行くと、全身がびりびりするような感覚になる。肌が粟立っていた。
ここへ一歩入れば、これからの真朱の運命が決まる。それは明暗どちらかだった。
鼓動が高鳴っていた。怖かった。最後にもう一度、シアンに会いたかった。サビが消えれば何事もなかったことになる。しかし、真朱にはわかっていた。
ごくりと唾を飲む。
早くしないと三十分たってしまう。烏羽が誰かをここへよこしたら、たぶん大騒ぎになるだろう。
目を閉じて、真朱は一歩、森へ踏み出した。強力な磁気が真朱を包み込んだ。髪の毛も朱色に染まり、逆立つ。しかし、もう一歩踏み込むと、そのショック状態のような磁気は落ち着いていた。
真朱は自分の中のサビを確かめた。サビは消えなかった。しかし、進行もしなかった。変わらぬ状態でそこにあった。がっかりした。消えるかどちらかになると思っていたからだ。
このまま、サビを持っていることに変わりなかった。これでは王に会えなかった。
涙が出た。いっそのこと発病したら諦めきれると思っていたのだ。これでは現状維持。王宮に帰って元の生活には戻れた。しかし、王には知られたくない。
真朱はがっかりしながら、実家へたどり着いた。
そこには烏羽と衛士が待っていた。特に烏羽は怒っていた。
「真朱さま。お戯れが過ぎますぞ。真朱さまは一言も、ご実家から外に出るとは申されませんでした。兄上様とご一緒に家にいるとばかり思っておりました」
真朱は厳重に自分の中のサビを覆っていた。
「すまぬ。急にこの茜に乗りたくなった。わがままももうこれが最後じゃ。許せ」
あまり烏羽の顔を見ないようにしてやり過ごす。
烏羽はまだ、何か言いたそうにしていた。それがわかっていながら、知らん顔をしてジャンクションへ向かう。王宮へ帰り、奥向きの自室に閉じこもればもうこれ以上追及されることはない。
仕方がなかった。




