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王宮 紫黒

 扉の向こうではまだ、誰かが言い合いをしていた。

 気が散ってしかたがなかった。今日はもうこの辺にしようと思って立ち上がる。

 疲れていた。だから、そんなあり得ない物を見たのかもしれないと思う。


 いつもなら、自分の部屋で読めるように何冊かを借りるのだが、今夜はやめておく。気が乗らないし、文字に集中できそうになかった。歴代王妃の書物を揃えて持ち、いつもオーキッドが座っているデスクの上へおいた。


 真朱が大きな扉を開ける。そこでは侍女のオリーブと長身の髪の黒い青年が言い争いをしていた。その背後でオロオロしているオーキッドがいた。

 言い争いをしていた二人は、真朱が突然出てきたことで驚いたらしく、口をつぐんだ。オーキッドは真朱が出てきたことで、叱られると思ったのか、息を飲んでいた。


「何事じゃ、騒々しいぞ」

 極めて穏やかに注意したつもりだった。

 それでもオリーブとオーキッドはすぐさま頭を下げる。

「申し訳ございません。真朱さま」

 二人の声がダブる。


 そして、その黒髪の青年は、真朱を前にして腰を落として片膝をつき、頭を下げた。真朱への最高敬礼だった。その者は真朱がここにいることを知っていたらしい。

 その青年の背を一瞥し、構わないでそのまま去ろうと思った。

 

「騒々しくて集中できぬ。奥へ帰るぞ」

 意識して声を荒げず、淡々と言った。

「はっ」

 オリーブが少しほっとした気配を見せた。

 それは真朱が、この青年との言い争いの理由を聞かなかったことにあると感じていた。そのまま立ち去ろうとしたから。そう、そのことに触れない方がいいのかもしれない。


 しかし、真朱は足を止めた。ふと、気になった。そしてそこに膝まづいている青年をよく見た。

 長い黒髪を後ろで束ね、下を向いているその顔に見覚えがあったからだ。端正できれいな顔をしていた。誰かに似ていると思った。

 さらにその青年の着ている服に目を向けていた。


 白いシャツの袖を無造作にまくり上げているから、ラフな格好に見えるが、その上に礼服のガウンを着ると、王宮の上官の姿になることがわかった。

 つまり、この青年は王宮での役職を持ち、今はその任務から離れているのだと推測できる。そんな青年がなぜ、こんなところでオリーブと言い争いをしていたのか、俄然、興味を持った。


「なにをそんなにもめていたのか」

 真朱が突然、口を開いた。

 オリーブとオーキッドに動揺が走る。真朱のその言葉が誰に向けられたのかわからず、すぐには返事をしなかった。

「そちの名は?」

 真朱はその青年を見ていた。

 青年は頭を上げずに言った。

紫黒しこくと申します」


 紫黒、黒っぽい名前だった。真朱はその名に聞き覚えがあった。

 この王宮へ来たばかりの時、王宮の幹部、側近たちがずらりと並び、一通りの自己紹介があった。その中の一人だったのだろう。一度に何人もが名乗ったから、真朱はその顔と名前がまだ、一致しなかった。そう、その中に黒っぽい名前があった。


「何を揉めていたのじゃ、申せ」

 真朱がそういうと、オリーブとオーキッドの心の動揺が伝わってきた。しかし、紫黒からはそういう心の乱れはない。至って冷静、いや、もう少し探ると何やら、真朱の反応を楽しんでいるのがわかった。

 からかわれている気がして、少し苛立つ。

 この揉め事など、オリーブたちの頭の中を読めばすぐにわかることなのだ。しかし、真朱はそれをせず、この紫黒から聞き出そうとしていた。


「申せっ」

 少し声を大きくした。

 しかし、紫黒は平気な声で答えた。

「はっ、しかし、恐れながら申し上げます。もし、わたくしが正直に申し上げますと、真朱さまに失礼に当たるかと存じますので・・・・・・」

「言えぬ、と言うのだな」

 真朱は、紫黒の心を探る。

 いや、紫黒の言えないという言葉は嘘だとわかった。

 むしろ、この者は言いたくてうずうずしている。言えぬということで、真朱がさらにそのことに関心をもつ、そんなふうに計算されたことだとわかった。


 そして、真朱は改めて、紫黒を見た。その者の思考の中に入り込む。こんなふうに、誰かの心を読もうとするなんて、初めてかもしれない。普通は向こうから勝手に入り込んでくるからだ。

 しかし、この紫黒の本当の心の中までは踏み込めなかった。

 どうでもいいことを普通に考えているふりをしているが、それは本心ではない。本心を隠すために、表面だけに流れているBGMのようなイメージを受けた。


《能力者かっ》

 少し怒りが入っていた。それでも紫黒は動じない。

《はっ、ほんの少しばかりですが》

 くだけた言い方だった。当然でしょうと言わんばかりだった。


《何を揉めていた。申せっ。そのままにしておけば、再び、同じことが起るであろう。わたくしに関することならば、なおのこと、無礼を承知でその発言を認める》

 そう思考を送ると、紫黒は溢れんばかりの陽気なオーラを出していた。

《よろしいのですね》

 そう念を押された。

 真朱はイライラした。向こうの方が一枚も二枚も上だった。紫黒の思い通りに事が運んだことに気づいていた。

《許す》

 こうなったら仕方がない。


 紫黒は、すっくと立ち上がり、真朱を正面から見て言った。

「では、申し上げます。このところ、真朱さまが連日のように、この図書館をご利用なされており、我々は必要な時にここに入ることができなくなりました。それでもなるべく出直すようにしておりましたが」

 紫黒は真朱の表情を探るようにして見ていた。

 それまで真朱と紫黒は、精神感応テレパシーで話していたから、突然、紫黒が話し始めて、オリーブは驚いていた。


「無礼であろうっ。真朱さまの御前であるぞ」

 紫黒は平気な顔でオリーブに向かって言った。

「うるせ~なっ。オレは真朱さまに全部言っていいって許可もらってんだよっ。口出しすんな」

 その乱暴な言い方に、オリーブは口から泡でも吹かんばかりに驚いていた。

「紫黒さま。無礼でございます」

 オーキッドも口をはさんだ。彼はいつも事なかれ主義だが、さすがに黙っていられなくなったのだろう。

 しかし、すぐに紫黒に睨まれた。ヒッと息を飲んでいた。


「いいか、今日という今日は頭にきてんだ。王から緊急に調べろって言われてんのに、このおばさんがよっ、理由も聞かずに入館を禁ずの一点張りでさっ」

 なるほど、真朱がこの図書館にこもっているときは、オリーブが誰も入れないようにしていたのだ。それは気づくべきだった。


「王の、調べ物と言ったな」

 真朱がそういうと紫黒は、子供がやっと自分に関心を持ってくれたと言わんばかりに嬉しそうな顔をし、こっくりとうなづいた。そんな仕草が、怒るよりも笑いを誘っていた。

 真朱はオリーブを見る。

 オリーブは少し怯えの色を見せていた。真朱に叱られると恐れている。


「そうわたくしに言ってもよかった、そうであろう。わたくしにはまた出直す時間はたっぷりある。ましてや王の使いで来ているという者を優先すべきである。そうは思わぬか」

 オリーブは一言もなく、ただ、頭を垂れていた。屈辱のためか、その手がわずかに震えていた。

「わたくしは怒ってはおらぬ。オリーブはわたくしのためにそうしてくれたまでのこと。その心遣いはありがたいと思っている。しかし、これからは誰かが図書館を使いたいのなら、そう言ってほしいのだよ」

 オリーブはか細い声で、「はい」と答えた。


「じゃあ、中へ入っていいんだなっ。オレもこのまま手ぶらで帰れば、王にどやされるんだ」

 真朱はその言葉に目を剥いた。

「今、どやされると申したか。あの王がそなたを怒るというのか」

 あの優しい顔、穏やかな笑みを浮かべるイメージしかないシアン。あの顔が怒るなど、想像できない。


 紫黒は、真朱がおもしろい事に興味を持ったと言わんばかりに顔を緩めた。

「怒るぞっ、ここんとこに皺を寄せて、唾、バシバシ飛ばして怒鳴りちらす」

 自分の眉間を指さし、それを得意げに言う紫黒。

「それは、紫黒さまがそういう態度でいるからでございましょう」

とオーキッドが言った。王を庇っての発言だった。

 しかし、紫黒に睨まれ、オーキッドは口をつぐんだ。

「っるせぇっ」

 オーキッドは紫黒に殴られるかのように、ひえ~と頭を抱えて後ろへ飛び退く。

 この紫黒は、誰に対してもこんな態度なのだろう。

 真朱は思い出していた。この青年のことを。


「そなたは、王の・・・・・・側近、そして弟君であらせられるか」

 そうだ。あの時、黒い名、黒い髪が二人いた。

 烏羽からすばと言う、もう少し年上の黒い髪の者がこの国の最高管理官で、この紫黒が王の側近だった。そう思い出していた。後から、あの黒い髪の青年が王の弟だと知らされたのだった。


 正面から見ると、やはりその面立ちは王とよく似ている。性格は違うが、王が紫黒に遠慮なく、物を言う、怒るという状況がやっと理解できた。本物の兄弟だからできるのだ。

 真朱はキャンベルリバーにいる兄を思った。幼い時からこんなふうに自分を晒しだして接すればよかったと思う。なんでもずけずけと言える人がいるということは幸せなのだ。

 王にはそんな存在が近くにいる、それがうらやましく思えた。


「まあ、真朱さまはオレより年下だけど、姉上にあたるってことだな」

 オリーブは、この紫黒の身分を知らなかったようだ。ただの生意気な下官だとばかり思っていたらしい。紫黒は言葉遣いも改めた方がいい。そんな言い方をしているから、正面から受け取ってしまう人は、反発をする。


「じゃ、早速、図書館へ入らせてもらう。さっきから、王からの小言が入ってきててさっ。それもネチネチといろいろ言ってくるんだ。姉上、あいつ、見かけよりもずっと性格悪いからな。気をつけた方がいいかもしんねえ・・・・」

とまで言って、紫黒がピクリと体を震わせた。王に怒鳴られたようだった。その波紋がわずかに洩れていたから。

 紫黒の言う通りだった。あの王が怒鳴った。それも真朱の笑いを誘った。


 そこへ真朱の頭の中に、王の声が入ってきた。

《真朱か、紫黒の無礼を許せ。このシアンが、きちんと躾けてこなかったのが悪いのだから》

《いえ、気にしてはおりませぬ。王の弟君なら、わたくしにとってもかわいい、やんちゃな弟でございます》

 真朱はわざと、紫黒にも届くように思考を送った。紫黒が顔をしかめた。

《チェッ、なんだよ。二人して。やりにくいったらありゃしねえ》

 そう言い残して、紫黒が中へ入っていった。オーキッドも慌ててぺこりと頭を下げ、紫黒の後を追った。


 オリーブは目が吊り上がっていた。心の底から紫黒のことを怒っていた。

 紫黒の無礼を真朱が許したことも、あの紫黒が王の弟だったということも許せなかったのだろう。

「オリーブ、もうよい。わたくしの用事は済んだ。紫黒どのも王の用事ができる。それでよいではないか」

「は、はあ、しかし、・・・・あの者の態度は許せませぬ」

 

 オリーブは奥向きに戻ってきてもまだブツブツ言っていた。

 真朱は自分の居室に座る。

 もう図書館で感じたような違和感は消えていた。あの紫黒が吹き飛ばしてくれたらしい。思い出してもまだ、笑いがこみ上げてきた。


 王はその夜、真朱に思考を送ってきた。

《紫黒が、真朱のことを若いのに落ち着いていたと褒めていたよ》

 そして、王は続ける。

《真朱は、そんなに小さかったかなって思ったけど》

 真朱にはその言葉の意味がわからなかった。

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