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真朱2

 オリーブが、真朱の部屋の真ん中に屏風を立て、その前に王から送られたドレスを立てかけた。


 そこへ現れたのは真朱の母だった。

 恭しく頭を下げ、足首までのドレスの両裾をつまんで膝を折った。蒼の国のお辞儀だった。

「真朱さま、陛下から贈り物が届いたそうですね。お喜び申し上げます」

「お母上様、ありがとう存じます。これもお母上様のおかげでございます」


 他人行儀な会話だった。この女性こそが、真朱を生んだ実の母なのに。しかし、真朱は王妃となる魂を持っていた。その時点から普通の母娘の関係ではなかった。

 赤ん坊の頃はその世話をするが、しつけや教育はオリーブがした。母はまるで小間使いのようだった。その生活の世話しかさせてもらえなかった。母と娘とは言えないわだかまりのようなものが生じていた。母も不憫だった。自分の子がこの国の王妃となる預かり者だったから。


「お母上様には本当に感謝しております。明日、早くに王宮あちらへ参ります故」

 そういうと、母は涙ぐんでいた。

 それには真朱も驚きを隠せない。今まで腫れ物に触るように真朱に接していたからだった。ここからいなくなれば、肩の重荷をおろしたような解放感があるのだとばかり思っていた。

 息を深く吸うと、真朱の中に母の気持ちが入ってきた。


 明日、十五歳になる。真朱が一たび、王宮に入ったらたぶん、ここへ帰ってくることは稀な事だろう。それも王妃として、全く別の身分となっている。今のように気軽に真朱の部屋を訪れるようなことはできなくなる。


「今宵は親戚一同共々、村の人々も呼んで宴を催す所存にございます」

 そう母は言って、厨房に消えた。


 宴は、村の広場で行われた。

 それぞれの家で、この村の名物料理を作った。ここでは豚も家畜として多くの家で飼われていた。

 真朱の家では特別な行事以外には食べないその貴重な豚を惜しげもなく、すべてを肉にし、皆に振る舞った。もちろん、リンゴを使った料理もふんだんに登場した。

 真朱の好物は母の作ったアップルクランブルだった。


 地酒の一種、アップル酒で大人たちが乾杯をする。この日は真朱も特別に、その一杯をもらっていた。ちょっと口をつけるだけのつもりでいたが、会う人々からその都度、勧められるままに飲み、酔いはかなり回っていた。


 ふと、真朱は重々しい念に気づいた。

 今まで自分の中に張っていたバリアが外れていた。慣れないアルコールのせいだと気づくのが遅れた。

 真朱の能力ちからは本人が気づかないうちに強くなっていた。特に繊細な真朱は精神感応に長けていた。他の人の心の声が勝手に入ってこないようにするため、真朱は自分で常にバリアを張っていたのだ。


『国の大事な預かりもの、明日からやっとその責任から解放される』

 その心の声に真朱はハッとした。その声の主は父だった。満足そうにアップル酒を飲んで笑いあっていた。


《真朱がここからいなくなれば、あいつの広い部屋はオレがいただく》

 今度はかなり離れたところにいて村の若者と一緒に笑いあっている兄のカーマインだった。


『国から、今まで真朱を育てた苦労の代償として、広い土地ともっと大きな家を建てるお金をもらえることになっているが、そのうちのいくらかを他に使ってもいいだろうか、それともそんなことをしたら咎められるだろうか・・・・』

 また、父だ。


 他の人たちの思考は、ただ単純に村のこのイベントを楽しんでいた。そういう思いは軽く、浮き上がるようにして宙に消えていく。

 皮肉なことに真朱には、父と兄の重々しい黒っぽい心の叫びだけが聞こえていた。そういう重いモノは、地を這ってその人のところへ向かっていく。

 最後の最後にこんなことを知りたくはなかった。


 人の心を読むということは決して便利でもなく、楽しい事ではない。楽しく笑い合い、ふざけ合っていても心の中が冷め切っていて、早く帰りたいと思っているかもしれないのだ。

 人の心など、知らない方が幸せなのだ。人はそんなふうに自分勝手に思い、そう悟られないように振る舞っている。それでうまくいっているのだ。


 オリーブ以外は真朱の読心能力を知らない。それを悟られてしまったら、もう二度と真朱と係わらないだろう。

 この国の王はそういう能力に長けていることは国民は皆、知っている。その側近たちも特殊能力を持つ者がそろっている。王妃もいずれはそうなることも皆はわかっていた。けれど、それは結婚の儀の後のことだと思っている者が多かった。しかし、もうすでに真朱は敏感にエネルギーを感じ取ることができ、その能力は日に日に鋭くなっていた。特に王からのドレスを手にしたときからもっと強力になった気がした。


 人々とはこんなに勝手にいろいろと考える。それが本心でなくても別に構わなかった。人はそう自由に考えることでストレスを解消しているのだった。人を妬み、自分よりも長けていることに嫉妬する。ずるい、ずるいと心の中で叫ぶ。それだけでいいのだ。


 人々の心の奥底に潜んでいたどす黒い念が見えてきて、その念も真朱がそれに気づいたことを喜んでいた。念が真朱の足に絡みつこうとしていた。

 ぐっとそれに手をかざし、吹き飛ばした。

 オリーブもそれに気づき、真っ青になっていた。何か言おうと近づいてきた。真朱はそれを制した。


〔よい、最後の時じゃ、そのままに。波風は立てたくはない。バリアを張る〕


 真朱は改めて強力なバリアを放った。もう誰からも、何も聴きたくはなかった。

 その網目をくぐるかのように、そのわずかな瞬間、母の心も入ってきた。


【せっかく授かった女の子、真朱はかわいかった。もう明日からいなくなる】


 母だけは純粋に、真朱がいなくなることを悲しんでくれていた。

 そんな母は一人、夜空を見上げていた。


 真朱はその母のそばに立った。母は真朱を見て、破顔した。

 そんな母の腕の中に飛び込んでいた。母は驚いていた。今まで真朱がこんな甘え方をしたことがなかったからだ。甘えたくても未来の王妃、この国の重要な人物という肩書が邪魔をしていた。

 常に立派な女性にならなくてはいけない、いつもどこでも誰かが見ている、無様な姿を見せてはいけなかったのだ。始終、気をはっていた。

 でも、今、この瞬間だけは母と娘でいたかった。

 ふくよかな胸に顔をうずめる。温かくていい匂いがした。母とはこんなに心地よい存在だったと今、改めて知った。

「母さん、今までどうもありがとう。母さんの娘でよかった」


 母の胸に、一際大きく息が吸い込まれていた。肺が大きく膨らんだ。そして、小刻みに震える母の腕が真朱の背中に回った。ぎゅっと強く抱きしめられた。


「真朱、これからもずっとあなたは私の娘。ずっと前からこうしたかった」


 母は泣いていた。そして最初で最後となる抱擁をしていた。

 母の念が入り込んできていた。真朱はどんなことでもそれをそのまま受け入れようとしていた。


【女の子が生まれた時は本当にうれしかった。王妃の魂を持つ子供とわかり、必死になって大事に育ててきた。確かに娘を娘と思えない状況ばかりで寂しかったこともある。けれど、真朱の笑顔を見るとそれでいいと思っていた】


 真朱は、母の心は慈愛なのだと感じた。これは見返りを期待しない愛だけを注ぐ、母親ならではのことだろう。

 いつもなら、真朱のそばから離れないオリーブも今夜は離れていてくれた。二人はやっと母娘になれたと心の底から思った。


 真朱は、もう今夜は何も恐れないことにした。

 父と兄にも今まで苦労をさせたことを謝り、すべてを受け入れようとしていた。それが十五年間育ててくれた家族へのせめてもの恩返しとなる。

 父に今までの感謝の気持ちを伝えた。躊躇せず、父の懐にも飛び込んでいった。娘として、父は受け止めてくれた。今までのお金の計算はすっとんでいた。


 兄には友人のように接する。

「兄さん、今までありがとう。これからは父と母のこと、頼みます」

 カーマインはハッとしていた。

 改めてそう話しかけてきた真朱の心の奥を覗き込むようだった。


 思えば、この兄とはいつも境界線があった気がする。いつでも兄は、どうせ俺はとひねくれた様子で、一歩下がり、背を向けていたような気がする。

「兄さん、もしよかったら、私が王妃になったその時は王宮に上がって、私を助けてくれる? 私も兄さんがそばにいてくれたら心強いし・・・・・・」


 真朱がそういうと、カーマインは驚きを隠さなかった。今まで兄らしいことなど一つもしたことのない兄だったから。けれど、真朱の言葉に兄がやっと歩み寄ってきた気がした。

 後から生まれてきた妹は、この国のプリンセスなんだ、身分が違うと避けて来ていた。皆が真朱のことばかり気にしていたから、それを恨んでもいた。けれど、今は真朱の言葉にそんな恨みはなくなっていた。


「そんなこと・・・・」

 兄が真朱の心を探る。

「もちろん。だって兄さんは私のたった一人の兄さんじゃない」

 兄の明るくなった心が伝わってきた。

「うん、そうだな。わかった。真朱がどこにいても俺の小さな妹だ。命がけで守る」

「ありがとう」


 真朱は、宴の途中だったが、アップル酒の酔ったといい、一足早く暇いとますることにした。これで皆ももっと開放的になり、騒ぐことができると思った。それが最後の真朱にできることだった。

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