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緑の国の女王

 その沙緑は一人ひっそりと暮らしていた。都会のマンションの一室に。

 彼女は八十五歳になるという。静かな穏やかな表情で笑う老女だった。それでも矍鑠かくしゃくとしていて、品のいい着物を着ていた。お茶の師匠をしていたらしい。


 烏羽と紫黒が沙緑の前に立ち、絨毯の片膝をつき、恭しく礼をした。瑠璃も慌ててお辞儀をした。こういう礼儀作法なんて、どうしていいかわからない。

 取り次いでくれた女性が驚いていた。沙緑はそれを見て、くすっと笑う。


「あ、美佐子、ちょっと買い物に出てきて。私たちは大事な話があるので」

 美佐子と呼ばれた女性は、気を悪くした様子もなく、はい、とだけ返事をして出て行った。


 老女は、烏羽たちに堅苦しいことはしないように言い、ソファへ腰かけるように促した。

「私はまだ、緑の国の女王ではありませんよ。そんなに構えなくても大丈夫」

 まだ、おかしそうに言う。


「私はあと二年でここを去ります。すぐに次元の違う新しい世界に生まれることになるでしょう」 

 その言葉の意味は、あと二年で自分が死ぬということ。自分の死期がわかるのに、平然としてそんなことを人に言えるなんて、と思う。

 本当にそんなことがわかるんだ。瑠璃が一人で感心していると、沙緑がこっちを見た。


「あなたがこの時代に一人で生まれてきた蒼い国の王妃ですね。瑠璃さまとおっしゃる」

「はい」と小さな声で言った。


「私たち、王や女王になる魂とその連れあいは、常に同じ魂が転生していくということをご存じでございますね」

「はい」

 よかった、知っていてと思う。こっくりとうなづいた。


「今、瑠璃さまはお一人、王のいない時を生きておられる。それはとても珍しいこと。そして未来では、大変な病いが蒼い国で猛威を振るっている。その原因は、二十一世紀の瑠璃さまが作ったサビからくるもので、二十三世紀の王妃が発病してしまった」

「はい」

 すべて報告済みだった。

 少し、安堵する。

 そんな悲劇を瑠璃の口から説明することはできないからだ。

 でも、そう淡々と私の罪の事を言われると心が痛くなる。改めて責任を感じていた。


 沙緑は瑠璃をじっと見ていた。

 その目は、瑠璃の外見を見ているだけではなく、頭の中、体の奥まで見られているかのように思えた。でも女王だからなのか、全く不快に感じなかった。悪意が感じられないからなのか。


「ここにいる瑠璃さまは、潔白です。サビの破片、その痕跡すら見当たらない。第一、まだ、そのサビの原因となることをしていないのでしょう」

「御意」

と烏羽がかしこまって答えた。


 沙緑は、瑠璃の頭上を見ていた。そこに何か見えているかのように。

「私には何かとてつもない邪悪なものが見えるだけ。それが蒼い国に蔓延している未来が見える。それが何を現し、何をするのかまではわからない」


 沙緑の言う、邪悪なものとはサビが大きくなった病気のことなのか。それが国全体に蔓延しているって、そんな最悪な未来しか見えないのか。

 それじゃ、どうすればいいの。

 瑠璃は、絶望のどん底に突き落とされたような気分になった。


 

「その闇の部分を、幼い頃に死ぬ予定だった瑠璃さまが見たのでしょう」

 そう緑の女王が言った。

 沙緑は、瑠璃が何を見た、というのだろう。瑠璃が幼い頃に見た闇、ということは、少なくともサビではないはずだ。

 それを聞いて、烏羽も少し明るい声を出した。


「ではやはり、今、流行しているサビの病はただのおとりにしかならず、本当の邪悪な者は別にいて、密かに蒼い国を狙っている、そういうことなのですね。つまり、瑠璃さまがサビを持ち込まなくても、その邪悪なモノは将来、蒼い国を襲うと」

 沙緑はうなづいた。

「そう、瑠璃さまはどうにもならない大それたことを未来に見た。そして王とその王妃までが、それに打ち勝つことができないということも知ったのでしょう。蒼い国の未来、いや、七つの国にまで係わることだったのでしょうね。だから、瑠璃さまは予定を変更して、もう少し生きる決意をし、わざと未来に発病するようにサビを作った」


 瑠璃は、沙緑の言うことに驚愕していた。そんな大それたことを瑠璃がわかっていたなんて信じがたい。それに一歩間違えれば、王も死んでしまうかもしれないのだ。

 王も国民をも危険にさらしてまで、瑠璃は何をしようとしていたのか。いや、しようとしているのか。

 たぶんそれは、七つの国が滅びるか、邪悪なものに支配されてしまうか、どちらかしか選べないのだろうと悟った。


「瑠璃様。あなたはそのとてつもない邪悪なものと戦おうとなされているのですね。そのために、二十三世紀の王妃が自ら、犠牲になることをかって出たということ」

 え~っと心の中で叫ぶ。

 烏羽も紫黒も絶句していた。


 二十三世紀の王妃、というのは真朱のこと。真朱が、自分の身を犠牲にしてまで、瑠璃に協力している、その邪悪な者と戦う決意をした、と言っているのだ。

 今まで黙って聞いていたけど、瑠璃がそんなことをするとは思えない。思い過ごしもいいところだ。瑠璃が、しかも超能力もないのにそんな者と戦えるわけがない。

 なぜ瑠璃なのだろう。戦うのは烏羽でもいいし、紫黒だっている。王だって優れた能力を持つと聞いている。充分、戦えるだろう。


 緑の女王は、瑠璃の心の動揺がわかったようだ。心にシールドをしていても、顔に思い切り出ていたから。

 瑠璃を安心させるかのように、やさしい声で言った。

「どうやって・・・・、なぜと言われても私にはわかりませぬ。しかし、未来に目を向けるとそう読めるのです。同じ魂であっても、それぞれは別の意志を持つ王妃。犠牲になることを自分が選択してきたとしても不憫なこと」


 真朱、二十三世紀の王妃として生まれ育ち、結婚の儀まであと少しだったというのに、王妃になれずにいる。今、二十一世紀で瑠璃を助けようとしているというのだ。

 烏羽は静かに言う。

「王の気がかりは、そのサビが二十一世紀の者たちになんらかの影響を与えるかもしれないということにございます」

 王は、自分も苦しんでいるのに、他の次元の人々のことまで心配している。


「有無、それは心配ありません。ここの世界はそういうあやふやなモノが存在しないと思っているし、目に見えないものは信用しないという考えが、まだまだ根付いています。それはある種の強みで、バリアにも匹敵するでしょう。いいものも感じられないが、悪いものも感じず、その影響を受けない。ここではサビなど、ただの悪い念くらいにしかないでしょう。だから、瑠璃さまも二十三世紀の人々よりはサビに強いはず」


 まあ、自分で作ったサビなんだし、確かに強いとは思う。それはわかるような気がする。


「そう、今の二十一世紀は心にバリアを張らないから、人の念がたくさん落ちています」

 沙緑がそういうと、瑠璃の頭の中に、どす黒い塊のようなものが見えた。具体的に想像できるように、ビジョンを送ってくれているとわかった。


「いいものもあるが、それらは軽く、すぐに飛んでいってしまう。悪いものは重い。それらはそのままでは浄化できないから、地を這って、人々の足元にねっとりとして絡んでいます」

 水あめのようなねっとりした黒い物が、都会をせわしく歩く人々の足に絡みついている様子が見えた。

 その黒い物に、目があることに瑠璃は震え上がった。

 こんなこと、知らない方がよかったかも。

 沙緑は構わずに続ける。


「そこから足を取られ、身動きできない人もいる。しかし、自然の雨はそれらを洗い流してくれる。だが、母なる大地がアスファルトの下にあるこの都会では、流されてもどこかに溜まってしまう。浄化してくれる大地にまで、行き届くことができないから。そういうたまり場では、強い念が、弱い念を食べて育っていっている。ここの人々はそういうものに囲まれて生活しているから強いのです」

と言って沙緑は笑った。

 瑠璃の頭の中に、黒い渦の中に真っ赤な口が見えた。小さいものを食べて、大きくなる。しかし、人々はそんな渦の中を平気で歩いていく。

 そうか、二十一世紀の人々はタフなんだ。


「後はまた、病床の王に相談する方がよい。私にできることはここまで」

と沙緑はピシャリと言った。


 そろそろお暇をするときが来たようだった。

「王によろしく。そして今ここでの助けが必要ならば、必ずや助けに馳せ参じましょう」

「かたじけのうございます」

 瑠璃も烏羽達と一緒にぺこりと頭を下げた。

 どうもそういう時代劇っぽい挨拶は苦手だ。


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