塗り替えられた記憶
週が明け、怠い月曜日。
いつものようにいつもの角を曲がっても、もう真朱の姿はなかった。
瑠璃が真朱の正体を知ったからなのか、それとも他の事情があるのか、それはわからないが、もう彼女は瑠璃の前に現れなかった。
でも、以前として不運は続いていた。
ぼ~として駅前を渡ろうとしていると、いきなり車が暴走してきた。
瑠璃はその車の運転手の顔を見た。彼も何が起っているのかわからない状況の様子で、突っ込んできたのだ。瑠璃を狙うようにものすごいスピードで。
ああ、もうだめだと思った瞬間、紫黒が目の前にいた。
不思議なことに、その車は瑠璃たちの目の前で停止した。
《紫黒くんが止めてくれたの?》
頭の中で、そう思う。
《まあな、危なかった》
そのまま紫黒が一緒に電車に乗って、大学までついてきてくれた。
「ね、烏羽さんは?」
一緒に未来からきたもう一人の姿がなかった。
「彼は王に報告しに行ってる。今、二十三世紀にいるよ」
「へ~え」
「だから、オレ一人で瑠璃を守らなきゃいけない。変な行動するなよ。手を焼かすんじゃねえぞ。それにさっきみたいにぼーとするな」
「うん、わかった」
今度は口答え、しない。紫黒のおかげで助かったのだから。
「さっきの車、サビの気配があった」
「えっサビ?」
「それもかなり強い」
サビって、瑠璃が作ったサビ。そのサビから二十三世紀に流行り病いが発生したっていう、アレのことだ。
大学内まで一緒に入ってこようとする紫黒。
「ねえ、外で待ってた方がいいんじゃない?」
「オレ、ここの学生になってる」
「あ、そうか、そういうこともできるんだ」
そこへ伸弘が来た。
「瑠璃ちゃん」
「あ、伸弘くん」
あの夜以来だ。連絡もくれないからかなり怒っているのかと思っていた。
「あのさ、先週はごめん。なんかあんなことになっちゃってさ。あれからいくらメールしても返事がなかったから心配になっちゃって」
「えっメール、くれてたの」
意外だったから素っ頓狂な声を上げた。
「したよ。何度も」
その場で携帯を取り出し、メールのチェックをしたが、どこにも伸弘のメールは入っていなかった。
その間に、紫黒が入り込んできた。とたんに伸弘がにらみつける。
「なんだよ、お前」
紫黒がにんまりと笑った。
「オレ? やだな。吉高君、オレ達、ずっと仲間だったろ。写真部の紫黒だよ、紫黒圭介」
瑠璃は、紫黒にそう言われてあっけにとられている伸弘の顔を見た。そして彼の脳細胞が、プチプチと音を立てているのをきいた。
《記憶を作り変えてんだ。オタクも真朱さまにそうさせられたろう》
紫黒が説明をしてくれた。
《あっ》
なるほど、人の頭の中に直接、自分の事の記憶を植え付けているのだ。
「瑠璃はさ、オレの彼女だよ。吉高君、知ってたはずだろう。人の彼女に勝手にメールなんかしないでくれよ」
再び、伸弘の脳がその記憶を作るために、ものすごい音を立てていた。
う~、キモイかも、この音。紫黒が面白がって、わざと瑠璃に聞かせているのだ。
「瑠璃・・・・さんは、紫黒君とつきあってたんだっけ? そうだったっけ」
伸弘の頭の中は混乱状態だった。入れ替わった記憶に疑問を感じていた。
悪趣味な紫黒は、伸弘の頭の中までも実況中継してくれる。彼の考えていることがそのまま瑠璃の中に伝わってきていた。
じゃあ、なんで俺は瑠璃さんにメールをしたって言ったんだ? なんのために・・・・。
いや、瑠璃はオレの彼女だ。先週の誕生日にレストランへ連れて行き、ホテルへ・・・・。
一生懸命に元の記憶を取り戻そうとしていた。涙ぐみそうなくらいに。それがわかるから瑠璃もつらい。
「そうそう、オレ達さ、瑠璃の誕生日にフレンチへ行ったんだ。店で会ったよな。吉高君も。オレ達、あの後、ホテルへ泊まったんだ。もしかして吉高君もそうだった?」
伸弘の頭の中のキーワードがそろっていた。レストラン、誕生日、ホテルの三つ。伸弘は、紫黒と瑠璃が一緒にいるところを見かけた設定だった。
「そうか、そうだった。俺もそのレストランで食べて、瑠璃ちゃんの誕生日だって知ったのか。その後、俺もホテルへ行って・・・・、ええっ、俺、一人で泊まったってことか。なんでだ」
疑問にぶつかっていた。そしてその隙間を潜り抜けるかのように、伸弘の頭の中に不意に出てきたものは瑠璃のバスローブ姿だった。
なんだこれは、と伸弘がパ二クっていた。
紫黒は舌打ちをした。伸弘は頑固だった。なかなか素直に納得しない。
《ちょっと荒療治するぞ。こいつに本物の記憶を植え付ける》
《え? 何?》
紫黒はいきなり瑠璃を抱きしめて、伸弘の目の前でキスした。
当然の如く、伸弘は驚いていた。
「おっわりい。つい、あの夜のことを思い出しちゃって。オレ達、燃えたよな」
伸弘の記憶は、今のキスシーンですっかり塗り替えられてしまった。
ああ、この二人、そんな仲だったと。
「ごめんな。瑠璃さん、メールなんかして」
「いや、してないと思うけど」
自信満々に紫黒が言う。伸弘は自分の携帯を見る。どうやら自分が瑠璃に送ったと思われるメールを探しているらしい。
「あれ? 勘違いかな」
「まあ、よくあることだ、気にすんな」
「そうか」
伸弘は狐に包まれたような顔をして去っていった。
瑠璃は茫然としていた。紫黒は別段何事もなかったような顔をしている。紫黒に意識を向けて、心の声を飛ばした。




