影と傷痕
「来たか」
「ああ。わり、ちょっと遅くなった」
狭い小道の向こう、小さく開けた空間にぽつりとある石碑、その近くの木に寄りかかるように立つ黒の青年。
小道から出て近づくと、顔を上げてこちらを見た。
彼のことは、正直よく分からない。
でも話していて楽しいし、一緒にいるうちに分かるだろうということで、ここへは毎夜欠かすことなく来ている。
夕暮れ時から、夜が明けるまで。
彼の向かいに腰を下ろし、黒く長いスカーフを後ろに払って言った。
「今日は、ちょっと人と話してて遅れた。
過去を、捨ててしまおうとしていた女の子」
ほう、という青年の返事。
「嫌なこと思い出しちゃうからって、彼女にとっての過去の象徴だったらしい懐中時計を捨てようとしてた。
大事な、過去につながるものなのに…」
黒の青年には、スカーフの彼の表情が微かに歪んだように思えた。
彼が見せた意外な表情に、思わず少し戸惑う。
彼の過去には、一体何があったのだろうか?
「…なにか、自分に重なるところでもあったのか?」
「まぁ、な」
すっかり更けた夜の空を見上げ、彼は語る。
「…昔な、両親と妹を亡くした。
家族がいたころの記憶はもう大分薄まっちまって、その記憶につながるものも無いからさ、
また記憶を呼び起こすことも出来ないんだ。
家族が、何が起きて死んだのかも、もう覚えちゃいない。きっと忘れようとしてたんだろうな、俺は。
今となっては、そのことには後悔しかないけどな…」
「そうか…」
だから少女に、過去から目を背けるなと伝えた。己と同じ思いをさせないために。
そういうことなのだろうと青年は考える。
幾分しんみりした空気の中、思い出したように彼は青年に問う。
「なぁ、聞いてなかったけど名前は何ていうんだ?呼び名みたいなもので構わないけど。
何て呼んだらいいかわからないから」
「…“シャドウ”とでも呼べ。お前は?」
「シャドウ、ね。
俺は…そうだな、“スカー”とでも呼んでくれよ」
スカー…過去の傷の、生々しく残る痕。消えることのない痛みの記憶。
二人、木々の間から見上げた空は、幾分か白み始めていた。