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albatross-STRIKERS

作者: 西田ハル

全力で殴り合っているだけの話です。

グロテスク描写はないはずですが、一応。

 暗鬱な陰雨が降り続く六月の平日。雨降りのシャッター商店街を歩く少女がいた。

 細身の身体のラインに沿う黒いパーカーワンピースのフードを被り、時折太陽の消えた空を仰いでは柄付きキャンディーを揺らす。傘は持っておらず、ワンピースはもう水を吸えないくらいに重たくなっていた。

 上と同じく漆黒のオーバーニーを穿き、ベルトがくるぶし辺りに巻き付いたゴツいミリタリーブーツを履いている。身長はそこまで高くはなく、大きく見積もって百五十四センチといった所か。

 彼女の大きな黒目がシャッターの落書きを見付け立ち止まる。それは嫌な物を見る目付き。

「またのさばってる……」

 少女は面倒臭そうに呟き、また歩き始めた。僅かに風がシャッターを鳴らし、スプレーで書かれた文字が浮き出す。

『albatross-STRIKERS』と乱雑書かれている。

 それは、近頃近辺で暴れ回っている不良集団の名称だった。そしてその落書きがあるということは、ここが彼らの縄張りであることを示していた。



 黒いパーカーワンピースの少女の名前は漢字で切明六月と書く。

 苗字は『きりあけ』名前は『みなづき』と読む。由来は六月生まれだから六月と在り来りではあるが、彼女の両親が変わった名前にしたいと思ったようで『みなづき』を『水無月』とは書かず『六月』と書き『みなづき』と読むように命名した。

 彼女はその名前を気に入っていたが、六月という季節は嫌いだった。

 元々、小学生の頃は男子と混じってサッカーや野球もやるようなアウトドア派の少女の為、雨で外に出れないことの多い梅雨は退屈に感じるからだ。

 家の中は息苦しく、まるで手足を縛られているようで落ち着かなかった。

 そんな六月に両親は格闘技を勧めた。たまに部屋の明かりの紐で遊んでいたのを見ての勧めだった。

 総合格闘技は空手、柔道、ボクシングなど様々な要素を含んだ格闘技であり、格闘技のハイブリッドと言えるもの。

 闘い方は千差万別で、打撃に重きを置く者や立ち組みで相手を投げ飛ばし一発逆転を狙う者もいる。

 柔道のように相手を投げたら終わり……ではなく、その後には寝技を控えている。関節技、絞め技と技も多種多様だ。

 そんな関節技を六月に勧めた両親の胸中は元気は有り余っているし、将来痴漢なんかに襲われた時にも撃退出来るようになるかもしれないという、そこまで真剣といえるものではなかった。

 六月も六月で対して乗り気でもなく、両親に連れられとりあえず総合格闘技の道場の見学をしに行ったという感じだった。

 途中までの練習を見て、六月が飽きてきた時、それは始まった。

 その光景を目にした彼女は衝撃に全身の自由を失った。

 拳を握り、構えを取り向かい合う二人の胴着姿の男女。

 二人は六月と同世代、もしくは年下で顔立ちも幼かった。だがその顔に似合わぬ鋭い眼光。まるで相手を眼力だけで殺そうとしているように見える程、殺意の宿った目。

 向かい合う二人の中間に立つレフェリーが手を翳すと、お互い挨拶をすることもなくいきなり襲い掛かった。

 少女が左右のパンチを繰り出し、少年の懐に飛び込む。勢いを保ったままに腹部を狙う。少年はパンチをいなし、腹部に近付く少女の右太股を容赦なく蹴りを振り下ろす。

「っ!!」

素早い挙動で特攻した少女だったが、脚に走る鈍痛に頬を引き攣らせる。だが止まることなく胴着の襟と袖を掴み、少年の体勢を崩す。

 よろけた少年を掴んだまま、彼の左横に滑るように移動する。立ち位置は少年の真横。

 少女は少年の見えない角度――後方で右脚を踵落としをするように振り上げ、死神の大鎌の如く振り抜く。

 彼女の脚が描く半円の軌道上にあった少年の右脚はすくわれ、全身を使い少女が少年を押し倒す。背中から畳に落ちた少年だが、苦しげな表情はしたもののまだ闘志の宿った瞳で襟を握る少女の腕を掴む。

 腕を引き寄せ、それに伴って下がる少女の頭目掛け、両脚を起き上がる反動を利用して一気に持ち上げる。

 左脚を膝を基点に少女の首に掛け、自らの足首を包むように右脚を振りかぶり被せる。間髪入れずに腰を浮かせ、両腕で固定する少女の右腕を抱え込み肘関節を逆に曲げる。

 必死に挟まれる腕を抜こうとじたばたする少女に、少年は身体をえび反りにして更に肘の関節の可動範囲外まで曲げていく。

 既に少女の腕はこれ以上圧力を加えると折れるのでは、という程に曲がっていた。

 その後、数秒粘った彼女であったが畳を空いた掌で叩き降参の合図をする。すると少年もすぐに力を抜き、畳に仰向ける。

「両者、中央へ」

 レフェリーの声に二人は畳の中心に立ち、互い健闘を讃えるように礼をする。

 凄い。そう六月は思った。

 同い年の少年と少女がこんな武術を身につけているのに、かたやあたしは運動神経がいいくらい。あんな試合を同世代がするとは思ってもみなかった。

 六月は帰り際、両親に思いを告げた。

 格闘技をやりたいと。



 そんな格闘技との出会いから約五年。高校生になった六月はまだ格闘技を続けている。

(いつの間にか、間違ったような使い方になってたけど……)

 いくばくかの格闘技に対する罪悪感を抱きながらも、彼女はまた、いまだ止まぬ雨空を見上げる。一向に止む気配を見せない霧雨はアスファルトの上に水溜まりを形成する。

「ふぅ」

 それを避けて少しけだるそうに息をつき、六月は商店街の一角にある路地に踏み込む。

 近隣住民が決して近寄ろうとしないその区画は、不良集団アルバトロスストライカースの溜まり場で所謂、アジト。廃墟とまでは行かずとも、寂れて人が離れていった食品加工工場の成れの果てがひっそりと佇んでいる。

  建物として――例え不良のアジトだとしても――使ってもらえることは嬉しいことなのか。それは物言わぬ工場に尋ねても勿論答えてはくれないが、不良達からしたら重宝していることだろう。

 巨大で雨風も凌げるし、誰も近付こうとしない建造物。部屋数は多く、以前、工場として使われていた時の物が多数残されていた。

 ソファやら業務用の長テーブルやらなにやら。

 不良達はそれを自分達なりに配置を換え、拠点を作った訳だ。案外使い勝手はいいらしく、絶えず人がいるようだった。

 今も雨の中集まる不良達。十人近くはいるだろうか、誰ともなく雑談に花が咲いている。

「なぁ、足音聴こえねぇか?」

 金髪口ピアスの男がふと工場の出入口の方に耳を傾ける。

「…………確かに」

 会話をしていた刈り上げ頭の男も同様に耳をそばだて、出入口に目を向ける。

 雨音の中に身を隠すように小さく響く規則正しい足音。こつこつと届く足音はゆっくりと工場に近付いて来ている。

 不良の彼らは知るよしもないが、足音の主は六月。降雨の中を黒いパーカーワンピースで不良達の溜まり場に続く狭い路地を真っ直ぐ歩いていたのだ。

 そして広い出入口の先に見えてくる六月の姿。不良達にとってかなり奇怪なものに見えたことだろう。

 雨の中、パーカーワンピースのフードを目深に被り、両手をポッケに突っ込んでいる。

 それはまるで影が実体を持って現れたかのようだ。

「誰だてめぇは?」

 溜まり場に振り込んだ水浸しの六月に金髪口ピアスが近寄る。そして六月と金髪との距離が一メートルとない所で足を止めた。

「なんだぁ? アルバトロスストライカーに入りてぇのか?」

 金髪が挑発するような態度で六月のフードを後ろに追いやった。するとあらわになる六月の僅かばかり湿り気を帯びた濡れ羽色の美しい髪。

「おっ、めっちゃ好み」

 赤毛の長身の男がふざけたように口笛を吹くと、傍にいた化粧の濃い女が男の腕に絡み付いた。

「マジぃ~? あんなの好きなのアンタ? 信じらんなぁ~い」

 粘っこい口調と挙動で女は六月睨む。六月は反応を示すことなく黙ったまま。

「なにあの娘、ナマイキなんだけど。ユー君さっさと追い払ってよ、目が腐る」

 ユー君と呼ばれた赤毛の男は「仕方ねぇなぁ」と髪を掻きむしりながら金髪の隣にやって来る。

「おい、なんか文句あんのかよ? あぁ!?」

 不良の鑑のような定番の台詞を吐き、金髪は六月の顔を見下ろす。赤毛も「間違ってきちまっただけじゃね?」と爆笑する。

 雨足が強まり、アスファルトを撥ねる音が激しさを増す。六月はそれと同時に喋り出す。

「はじめまして、その辺で正義のヒロインごっこをしてる者です。以後お見知りおきの程を」

 六月は恭しい言動で一礼をし、言葉を紡ぐ。

「と、言うのは名目だけで、本当はホーリーランドに憧れた格闘技を嗜む女の子です。最近、あなた方の悪行を良く耳にするもので、ご近所の要望も込みで駆逐しに来ました」

 金髪や赤毛をはじめとする不良達は、刹那無言に陥ったがすぐに各々馬鹿にした反応を提示した。

「あははははッ!! なんだよコイツ、面白ッ!!」

「なんかの影響受けすぎじゃない? 可哀相……」

「俺はそーゆーの嫌いじゃねぇが、今はちと間が悪いぜ嬢ちゃん」

「おまッ、どこのオッサンの台詞だよ?」

 不良達が一通りざわめき、それが静まるのを待っていた六月はなんともない様子でポッケから手を出す。その手はワンピースの裾に伸びて、側面にあるファスナーを上へと引き上げていく。

 チャイナドレスのように鋭い切れ込みのスリットが入り、ワンピースの裾が前後に離れる。

 濡れた太股が隙間から覗くようになり、六月の両脚が自由に動かせるようになった。

 一度抜かれた掌がもう一度ポッケに引き返し、再度手を出す。その両手には片方に一個ずつ、奇妙な形をした金属を持っている。

 指が楽々通る程度の小さな穴が四つ、少しだけ湾曲しながら連なっていて、まるで指輪を四つ連結させたよう。更にその四つの繋がったリングの下には楕円の少し大きめな輪がくっついている。

 そう、それはメリケンサック。

 六月はそれを指に嵌めると、首や肩を馴らすように曲げ伸ばしする。

「あたしのことは道場破りか不良狩りだと思って下さい。手加減はしませんよ、おもちゃを使う人はさっさと出して下さい」

 その六月の台詞は火に油を注ぐ形となり――尤も彼女はそれを望んでいるようだが――不良達が一斉に黙り込む。

「嬢ちゃん嬢ちゃん、滅多なことは言うめんじゃあ――」

「おもちゃ使うのか、と聞いてるんです。使うならさっさと出して下さい、余計なことはいいですから」

 ついに小さな火種に点火し爆発する。六月のぶっかけたガソリンはそれを加速させに炎上し、不良達は騒ぎ出した。

「ははッ!! ご所望通り遊んでやるよ!!」

 金髪が口火を切って上から叩き付けるように右腕を振り下ろす。ゴツい指輪をいくつも嵌めた手は、メリケンサックを装着しているのと変わりない。それを見、嬉しそうに口を歪める六月。

 六月は軽く身を屈め、前のめりの金髪の顎を真下から打ち抜く。メリケンサックが鈍い音を発し、脳を揺らされた金髪はそのまま昏倒し意識を失った。

「次はあなた」

 床に倒れた金髪を乗り越え、六月は赤毛を捉える。彼はぎりぎりと歯を軋ませ「舐めんなよガキがぁ!!」と絶叫し懐からバタフライナイフを展開した。

 刃渡り約十センチ程の小さなナイフが六月の腹部目掛け突き出される。赤毛は姿勢を低くし、直線的に走ってくる。

「おらぁ!!」

 六月は右腕を外に払いのけ、踏み込もうとする。だが、赤毛は一筋縄ではいかないと言うように笑い、頭突きを彼女にかました。

 ガツンと鈍重な打撃音がし、六月の額が割れる。

「んな!?」

 しかし彼女は血は流してものけ反りはしなかった。逆に驚いた赤毛の鳩尾を容赦ないアッパーカットで貫き、悶絶し後退する彼の顔面に追撃の右脚の回し蹴りが襲い掛かる。

 六月のその蹴りは腰の回転に乗り、遠心力を取り込んでいて生半可な鍛え方の、ましては不良人間が耐えられるものではなかった。

 側頭部、こめかみ付近を的確に打ち抜かれた赤毛はなにが起きたのか理解する前にコンクリートに倒れ込む。

 彼女の鋭い回し蹴りの技術に加え、堅いミリタリーブーツの爪先。その相乗効果は計り知れない程の凶暴性を秘めていた。

「ぐはッ」

 しかも運が良ければ彼女のワンピースの内側の世界を垣間見ることも出来るかもしれない。だが大抵の人間は蹴られたダメージで意識が吹き飛ぶ為、六月のパンツの色を記憶していた者はいない。

 ちなみに今日の柄は「言ったら殺りますよ?」ゴホンゴホン。

 溜息一つ、六月は刈り上げ頭の男に向かっていく。

「来るなら来いよ、あぁ!?」

 威勢がいいのは好ましいが、服装から鑑みるに喧嘩経験はないんだろうなと六月はうんざり思う。

 彼が着ているのは購入してから間もなさそうな赤い革ジャン。誰が見てもまだまだ馴染んでいないのは明白だ。

「刈り上げのお兄さん、今後役に立つ忠告を一つだけしますね。革ジャン着てたら喧嘩出来ませんよ?」

 六月の言うことは間違いなく真実だ。

 革ジャンを着ている場合、両腕をベニヤ板かなんかに固定されているに等しいくらい動作が阻害される。

 蹴りの達人であれば話は別だが、喧嘩では基本的に拳が主流。拳を振るうに使う筋肉は手首だけではない。標的を殴ろうと腕を振り上げれば自ずと肘や肩の関節の曲げ伸ばし、腰の捻りも必要となる。

 だがしかし、革ジャンは材質的に堅い為、着ているとそれらの動作に支障をきたすことになる。

 革ジャンを着ていると肘は曲がらない、肩は回らない、なんとか腰が回せる程度。例えるならば、羽交い締めにされた状態で自由に動ける相手と対戦するようなものだ。

「ごへッ」

 六月はあっさりと自らを拘束していた刈り上げ頭を殴り倒すと、次々ちぎっては投げという感じで更に四人の不良達を潰した。

 厚化粧の女ともう一人のパシリっぽい男は逃走。最後にニット帽子を被った男が残る。

 ニット帽子はかなりのやや細身の長身で、六月と比較すると頭の位置が彼女より二つも上。目測でも百八十三センチはたやすいだろう。

 ずっと今までのいざこざを奥のソファに座り静観していた彼は立ち上がり、やっぱりとした歩みで六月に近付いた。

「はじめまして、アルバトロスストライカーのリーダーさんですか?」

 六月が問い掛けるとニット帽子は低い声で答える。それは威圧感のある声音。

「この周辺は、な。でお前さんはここになにしにきた」

「アルバトロスストライカーを解散させてください。というお願いを近隣住民から承ってるもので。あたしは正直闘えればなんでもいいんですけど」

 素直に襲撃理由を答えると、ニット帽子は愉快そうに含み笑いする。

 その仕草に六月は眉をひそめながらも口は開かず相手の反応を待つ。

「いや失礼。近くで見ると望見してた時より顔立ちが幼く見えたもんでな。そんで、解散……だっけ? そりゃあ全然構わねぇがアイツらは自然に集まってくるから駆逐はしにくいぞ?」

「そうですか……なら、いい手段はないですか? 不良が溜まらなくなるいい手立ては」

「そう、だな……」

 腕を組みニット帽子は首をゴキゴキ鳴らす。そうしてしばらく唸った彼は苦笑しながら床に伏せる赤毛を見遣る。

「やっぱ手っ取り早いのは工場を崩すことだが人力じゃ不可能だ、クレーン車でもないとな」

「そういえばあなたはここ一帯の長なんですよね、ならあなたが働き掛ければ鎮静化しませんか?」

「あぁ……まぁする…………かも分からんが。尤も、以前にするつもりはない」

 ニット帽子は少し立ち位置を変えて六月から距離をおく。その動作はほとんど対戦を挑むと発言しているようなものだ。

「飲んでもらえませんか?」

「ぶっちゃけこんな溜まり場とか不良とかどーでもいいんだけどさ。じゃあ……俺が負けたら条件を飲んでやる。だが反対に俺が勝ったら……」

 六月は息を飲む。

「俺が勝ったら俺とデートな」

「…………はい? あの、えっ? あなた馬鹿なんですか?」

「うん」

 あっけらかんと返答するニット帽子。六月は理解が出来ないと頭を抱えている。

 何故、コイツはこんなに緊張感に欠けているのか、と。

 だが、闘えるのならばなんでもない。そう六月は自分の気持ちをポジティブに切り替えて条件を飲み込んだ。

「名前だけ教えて下さい、冥土の土産です。ちなみにあたしの名前は切明六月です」

「へぇ、可愛い名前じゃん。俺は梨木総一郎、好きに呼んでくれよ」

「では梨木さん、おもちゃ使っても構いませんから!!」

 力強く宣言した六月が駆け出したのと同時に、梨木も大きく踏み込む。

「なぁ、思ったけど」

 呟き梨木は六月の繰り出した前蹴りをいなし、彼女の細い顎を右掌の手根骨――親指の付け根付近――で狙う。

「みなちゃんのその台詞エロくない?」

「どこがですかっ!?」

 首を後ろに倒し、紙一重で掌手のような攻撃をかわし慌てたような声調で六月は叫ぶ。

「というか、みなちゃんってなに!?」

 身体を完全に翻し裏拳に繋げる梨木の攻めを六月は彼の腕の下にしゃがみ込みやり過ごす。

 回避されたことに驚きの表情を浮かべながら梨木は更に回転の勢いに乗せて、振りかぶる右のスマッシュフック。

「おもちゃって部分がさ、エロい。みなちゃん可愛いじゃねぇか、うお!?」

 当たると確信していたフックを避けられて体勢を崩す梨木。その瞬間を見逃さなかった六月が、がら空きの彼の二の腕を掬い上げ両腕で梨木の右腕をがっちり掴む。

 そして彼の前で身体の向きを反転させ、梨木と同じ方向を向くように姿勢を変えると腰を一息に跳ね上げて彼の身体をおんぶのように背負った。

「やぁあああ!!」

 六月の掛け声。

 跳ね上げる力と手前に引く腕力が合わさって、梨木は六月の背中を越えて身体をひっくり返され、したたか背中や腰を打ち付けた。

「いってぇぇぇ!!??」

 後頭部もぶつけたらしく両手で頭の後ろを押さえ付けてのたうち回る梨木。

「あたしの勝ち」

 六月が梨木の身体を跨ぎ彼の腹にドンと座る。急激に強制で息を吐き出すことになった梨木の肺が悲鳴を上げる。

 咳き込んだ梨木は降参というように万歳。

「ゲホッゲホッ……みなちゃん強いなぁ、俺惚れそう、つか一目惚れしたかも」

「軽口叩けないように喉を壊してもあたしは構わないんですよ?」

 そりゃ勘弁と頭を振り、梨木がニヤリと笑う。

「なに笑ってるんですか」

「いやいや、女の子に腹に乗られるとは思わなかったもんでッ!!」

「っ!?」

 梨木の脚が六月の首に絡み付く。身体が柔らかいのか、後方から六月の首を絡めとっている。とても常人が真似出来る動きには見えない。

 脚の力で六月を引き倒し、逆に梨木は立ち上がる。完全に形勢逆転だ。

 踏み潰そうと狙う梨木から六月は頃がって立ち上がるタイミングを窺っている。

「くっ」

 六月が手から外したメリケンサックを梨木に向けて投げた。それを軽々とキャッチした梨木だったが、一瞬だけ生まれた隙を見逃さなかった六月が身体を起こした。

「あれ、案外立ち上がるの早かったな」

「これでも格闘技を嗜んでいますので」

 メリケンサックを床に捨て梨木は左掌を突き出して構えをとる。

 左脚は手の同様にやや前。右脚を僅かに広げながら下げる。なにかのファイティングポーズのようだ。

「どーも、喧嘩で覚えた我流だが、勘弁な」

 梨木は小刻みに身体の各部位を揺らして筋肉の緊張をほぐしていく。六月は思う。この人は完全な我流ではなく、過去になにかしらの格闘技をやっていたはずだ、と。

 さっきのマウントポジションからの逃げも、素人なら不毛な抵抗をして疲労するだけ。だが、梨木は一発目から六月の首を捉えて形勢を逆転させたのだ。格闘技未経験の不良が出来る技ではない。

 つまりはそういうこと。

 彼は、梨木総一郎は少なからず格闘技をかじっていた、もしくはかじっているということだ。

(一筋縄ではいかないかも……)

 額に浮かんだ汗を拭い、六月はメリケンサックを投げ捨てた。こんなおもちゃは必要ない、自分の拳や脚で闘わないと彼に失礼だと言うように。

「じゃあ行きますよ、手加減は……」

 六月がしばしの間を空けて、梨木はニヤリと口角を歪ませた。

「なしだッ!!」

 駆け出して、梨木は思った。確実に彼女は強いと。例えザコでも束になった不良達を簡単に薙ぎ払い、目の前に立っている。そして無傷。

 それはなによりも六月が強いという証拠だった。

(不良の分際でどこまで闘えるんだが……。やるだけはやれってことか)

 向かってくる六月の左右のパンチをバーリング(腕を使ってパンチや蹴りをいなす防御方法)でかわし、梨木はカウンターのフックで顔面を刈り取る。

 六月はそれをスウェーバックで避けると左脚を円を描くように内側から蹴り上げた。

 踵落としだ。

「んな距離で出来んのかよ!?」

 受け止められないと直感した梨木は身体を捻って避けるでも下がるでもなく、まだ図上にある六月の脚ごとタックルで押し倒す。

「うわっ!!」

 梨木がそんな破天荒な手段を取るとは思っていなかった六月は、もろによろけまた床に平行になりかける。

「まだまだっ!!」

 六月は無理矢理に片脚立ち状態を打開する為に、彼女の脚を肩に乗せて固定する梨木のがら空きになっている左脇腹を回し蹴りで貫いた。

「ぐぅ!?」

 呻き声を肺から吐き出しながらも梨木は手を離さない。

 両脚とも宙に浮かせて梨木に掴まる六月は自ら上げた脚をまた振りかぶり彼の顔面を蹴り飛ばす。だが寸前で六月の脚を手放した梨木はバック走行で六月との距離を五メートル程度とった。

 近距離の戦闘では分が悪いと踏んだのであろう。

「これは勝てねぇな……デートは無理か」

 息を整えながらまだ軽口を叩く梨木。

 彼は余裕があるからそんなことを言ったのではなく、余裕がないからこその軽口。少し侮っていたのを加味しても一度あっさりと負けたのだから。

「まぁ……諦めたら試合終了か、バスケだが……」

 梨木は自らを鼓舞するように頬を叩き、意識の混濁を防ぐ。実際の所、彼は脇腹を蹴られた時に一瞬だけ意識が遠退いていた。

(冗談抜きでいてぇよ……)

 脇腹に手を添えて、改めて構える。

「早く屈服していただけるとありがたいですが」

 六月の挑発するような言葉に梨木は別段反応しないで、おどけたように手をひらく。

「敬語やめようぜ、こっちの息が詰まる」

「そうですか……はい分かりました。……じゃあ行くからね、梨木」

「望む所だッ!!」



 結局の所、勝負は一撃だった。

 梨木の渾身の右パンチをかわした六月のアッパーが彼の顎を的確に砕いたのだ。

 そうして決着がついた時、喧嘩後の余韻を破壊するようなけたたましいサイレンの音。

 六月と梨木は気付いていなかったようだが、怒号や悲鳴が近隣一帯に響き渡っていたのだ。

「梨木、逃げないと捕まるよ?」

「へいへい、行きましょうか、みな嬢」

 床に転がっていた梨木は手を使わずに脚の振りかぶる勢いだけで立ち上がると、裏口に歩いていく。

「みな嬢ってなによ」

「可愛いだろ?」

「…………」

「後、ワンピースのファスナー直しとけよ。撃退するのはたやすいだろうが、酔っ払いとかに絡まれるぜ」

 梨木に言われ、六月は自分の脚を見る。

 青白く光る細い太股、スリットのぎりぎりと辺りから……。

「青白縞パン見え」

「殺す」

 既に裏口を飛び出していた梨木を追い、六月は真っ赤な顔でそれを追跡するようにダッシュする。

 警官が工場内に踏み込んだのは二人が逃げた僅かに数秒後だった。

 からくも逃走に成功した六月と梨木はダッシュで市街地を抜けて、警察に見つからない所までやって来ていた。

「ねぇ」

「あんだ」

「ほら、解散させてよ」

「もう警察来たからしばらくは鎮火するだろ」

「そうかも」

 雨上がりの夕景を歩く六月と梨木。

 河川敷をのろのろ歩きながら二人はどこかに向かう。

「飯行こーぜ、飯。ファミレスかなんか」

 梨木の提案に賛成と六月が笑う。

「でも顎大丈夫? 絶対口の中切ったでしょ」

「いい感じに血だらけ」

 まぁなんとかなると梨木は唇に付着していた血糊を拭って、脚を早めた。

 それに着いていこうと小走りになる六月。歩幅が圧倒的に梨木の方が広かった。

 二人の後ろ姿は仲のいい兄妹に見えた。



 ちょっとしたオチ。

 彼、梨木総一郎は六月が格闘技を始めるきっかけとなったあの試合の少年の方。しかし六月は気付いていないし、梨木だって彼女に見られていたことすら知らない。

 今後も二人は今回が初対面ではなかったと気付くことはないだろう。


三人称は難しすぎます。

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