第九話:痩せようby真奈美
第九話
きっかけは非常に小さい事だった。いや、僕にとっては非常に小さい事だったけど、真奈美さんにとっては結構大きなことだったんだろうな。
「ただいまー」
「お帰りーお兄ちゃんっ」
ふざけて真奈美さんが帰ってきた僕に抱きついた時余計な言葉が出てしまったのだ。
「真奈美さん、太りました?」
「ヴぇっ?」
すぐさま僕から離れてお尻を触り、お腹に触れ、胸を自分で揉んだのだった。そして今まで見た事のない真剣な顔でしっかりと目を見据えてくる。
「えーっと…そんなに重かった?」
「あ、いや…気のせいかなぁ…いつもよりお昼食べすぎただけじゃないですかね」
ずっと目を見続ける自信のなかった僕は早々に目をそらして曖昧な答えを口にした。
「……お昼、寝過ごして食べてないんだよ」
何も答える事の出来ない僕を残し、風のように脱衣所へと向かっていった。体重を量りに行ったのだろう。
「……」
「ど、どうでした?」
「……」
どうやら芳しくなかったようである。
その日の晩、父ちゃんが帰ってきて実に不思議そうな顔をしていた。
「真奈美、ご飯食べないのか?」
「うん、要らない」
「どうしたんだ?」
僕の方を見てくる。
「……多分、ダイエット」
「ダイエットだって?別に太ってないだろ」
「ううん、お兄ちゃんが重いっていったからダイエットしないと」
余計な事を言ったもんだなと父ちゃんが僕の事を睨んでいる。僕としては軽いスキンシップ、いつもと変わらない日常の会話の一言のつもりだったんだ。いや余計な一言だと言うのは認めるけどさ。
「い、いや、普段よりちょっと思いかなーって思っただけなんだよ。真奈美さん、そんなに重くないから気にしないで下さい」
「ううん…この際ダイエットする」
真奈美さんの決心は固いようだ。
「見てなさいよ~体重計っ」
瞳は赤く燃えていた。
お風呂に入り、数時間たってそろそろ寝ましょうかと言う時間になる。部屋に入ると既に真奈美さんが布団に入っており、腹筋をしている。
「……お、おやすみなさい」
「お休み、私もこれが終わったらすぐに寝るよ」
「何回やるつもりなんですか?」
「今日は軽く百回。もうちょっとで終わる」
ずっとやっていたんですか?とは聞けずに僕は静かに布団に入るのだった。
次の日の朝、気が付けば真奈美さんは布団におらず朝食の準備をして走りに行ったようである。がんばるなぁ、体調崩さなければいいんだけど……その日は真奈美さんの体調を心配する余裕が僕にはあった。
実際に異変が起こったのはその日の晩御飯からだったのかもしれない。
「えーと、何ですかこれ?」
「ダイエットを成功させるための晩御飯だよっ」
拳を握りしめてそう宣言する。僕の前の前に置かれている物はヨーグルトと濃縮還元果汁百パーセントオレンジジュース(商品名:オレンG)だけだった。
「あの、僕は別にダイエットしてないんですけど」
「ごめんね、お兄ちゃん。他の人が別の物食べているとものすごーくお腹がすいちゃうんの。だから私がもっと頑張るように応援して欲しいんだ」
「応援するのはいいんですけど……」
父ちゃん、これを見て何と言うんだろうな。いかしたジョークの一つでも言えるのだろうか。
「ただいまー」
「おかえり」
真奈美さんがトイレに入ったのを確認して僕は今日の晩御飯を指差した。
「食卓にのぼるヨーグルト、そしてジュースを見て何か一言」
父ちゃんはテーブルの上を軽く見て微笑む真奈美さん、そして僕を一瞥する。
「うん、全責任はお前にある。真奈美は家族だ、家族の願いは家族が応援してやらねばならん。わかったな、弘毅?」
「えぇ~」
ちなみに俺は既に晩御飯を済ませてきた。はは、なーに、一週間も一緒に暮らしていればそいつの考える事なんざ大抵わかるようになるものさ。今日からお前にとっての地獄が始まるんじゃないのか?さっさと謝って以前の生活に戻ってもらうがいいだろう。なんとなく、父ちゃんの目はそんな事を言っているような気がした。
次の日の弁当でその事を思い出した。
「うわ、何これ」
ヨーグルトがご飯に詰まっていたわけではない。白いご飯はしっかりといつもの位置にどっしり構えていた。しかし、相棒であるおかずの席にはチラシから切り取られた色とりどりのおかずが置かれているだけである。大事な事なのでもう一度言っておこう。チラシから切り取られた色とりどりのおかずがおかれていたのだ。
「……くそうくそう」
実際に食べられるのならおいしいだろう…でも残念ながらこれは紙である。これを食べたらトイレに行くことになる。
「……はぁ、何かいい考えないかな」
真奈美さんがこれからもっと過激な事をしないかと心配になってきた。彼女が暴走を始める前に止めてあげなくてはいけない。
「どうした、また元気ないな?」
「あー、うん。ねぇダイエットってしたことある?」
デブにそんな事を聞くのは失礼かもしれない。
「ダイエットぉ?俺は必要だがお前には必要ないだろ」
「自覚はあるんだ」
「おう、だから指摘されたら怒るんだよ。俺はありのままの自分が好きだからな。これでいい。特に今のところは問題ないし問題が起きてからダイエットとやらをしてやろう」
動けるデブ代表としてチームに入れるぜと親指立てて自慢している。
「ダイエットをしないよう説得するにはどうすればいいのかなぁ」
「なんだ、知り合いがダイエットを始めたのか」
「うん、そんな感じ。しかも発端が僕にあるみたいなんだ。被害は徐々に広がってきているよ」
お弁当の中身を見せるとやけに納得しているようだ。
「こいつはすげぇな。次は『つもりダイエット』だな。食べたつもりで絶食するんじゃねぇか?」
「そのダイエット方法はどっちかというとジョギングしたつもり、腹筋したつもり、痩せたつもりになりそうだけどね……」
真奈美さんなら全部やり遂げそうである。
「ともかく、どうにかして辞めさせたいんだ」
「なるほどなるほど……俺に任せておけよ。男か?」
「いや、女性」
「そうか、それなら耳貸せよ」
悪魔か天使かわからない人物はそっとその言葉を口にした。
「え、マジで?」
「おう、これなら大丈夫だ。確実に納得していただける内容だぜ。あとはお前の役者能力にかかってる」
「僕の役者能力?」
「そうだ。これは一世一代の大賭け。失敗したらお前はこれからもチラシのステーキを眺めてご飯を頂かなければならんと言う事だ」
平和な学校生活を送り、家にも無事に帰る事が出来た。ここから、僕の戦いが始まるのだ。真奈美さんから侮蔑の視線を送られ続ける生活が続いたって僕は構わない。おいしいご飯を食べる事が出来るのなら、炊きたての白いご飯に誘う匂いの味噌汁……この二つの為なら僕は蔑まされていいんだ……。
その日の夕方、僕は意を決して家に帰りついた。自宅の扉が道場の入口に見えて仕方がない。
「真奈美さんっ」
「あ、お兄ちゃんお帰りー」
「ただいまです。真奈美さんっ」
「どうしたの?」
「腹筋中すいませんっ。僕、真奈美さんが重いなぁって思った理由分かりましたっ」
「普通に体重が増えたからでしょ?」
「そうです。でも配分の違いなんです……」
静かに息を吸う。脳内にある言葉を現実に、見えないけど形にするのだ。目で見るんじゃなくて、耳で聞き取り相手の脳内でその言葉は再度姿を現す。
「真奈美さんの……真奈美さんの胸が大きくなったに違いないんですよっ」
世界は僕の言葉でこの家の中の動きを止めたようだった。遠くの方で子供たちの遊ぶ声が聞こえてきたり、カラスの鳴き声なんかも響いている。静止した世界ではそれらがよく耳に届いた。
両目をつぶっていた僕の肩に手がかかる。
「お兄ちゃんのえ・っ・ち……ま、いいけどね。それで今日は何が食べたい?」
こんなにもあっさり、そして成功するとは思いもしなかった。僕はその日、ちっぽけだけどとても大切な物(食事)を守る事が出来た。こんな駄目な僕にも守れる物が、小さな両手で守れる物がある事をしみじみと感じたんだ。
落ちが気に入りません。わりとどうでもいいですね。次回は十話目。変な話です。




