・4-9 第33話:「リオン王子:1」
・4-9 第33話:「リオン王子:1」
戦闘を終結させたソラーナ王国の先鋒軍は、残敵を掃討しつつ、負傷兵と戦利品を回収して後退した。
残る二千の敵兵が逆襲して来ることを警戒していたが、結局、接触することはなかった。
数の不利を察して後退したか、反撃を諦めて防御を固めているのかもしれない。
精神的に大きな疲労感を抱いていたエリアスにとってはありがたいことだった。
今日はもう、これ以上の流血は見たくない。
戦闘が行われた地域から十ベスミッレ(およそ十キロメートル)ほど後退したエリアスたちは、昨日に野営したのと同じ場所で休息することとし、準備を開始した。
こういった野営地で重要なのは、まず、水を確保できること。
数千人の人間が飲んだり、煮炊きしたりに使うのだから、ある程度の水量を確保できなければ困ってしまう。
人間は食事を断っても数十日も生存できるというが、水が不足するとたった数日で危ないという。
だから十分な水分を得られる場所を選ぶのは優先事項だった。
そして、できれば近くに森があればいい。
こういった場所があると、炊事に用いる燃料となる薪を確保することができて便利だ。
木や枝は簡易的なテントを作るための建材ともなるし、加えて、突然風雨が強まったとしても、中に入ればしのぐこともできる。
必ず、というわけではなかったが、近くに丘陵などの高所があるとなお良かった。
というのは、こうした高所に見張りを置けば周囲を広く見渡すことができ、異変をいち早く察知するのに役立つ。
それだけではなく、不意に敵の攻撃を受けた場合、その丘陵を臨時の要害として利用し、守りを固めるのに利用する。
また、こうした丘陵地があると水はけがよいというのも利点だった。
ジメジメした土地柄ではどうしても疫病などが流行しやすく、特に長期間野営する際にはこの点を留意しなければ、戦わない内に軍を壊滅させてしまうことになる。
その日の野営地は、概ね、こうした条件を備えていた。
清潔で煮沸せずとも飲用可能な清水が近くに湧き出ており、深すぎず人の手で利用しやすい森林があり、背後には小高い丘があって、水はけも良い。
ここも普段は近隣の村人たちが放牧地として使っている場所であるらしかったが、今は火の民の接近を察知してどこかに避難しているのかその気配はなく、連れて行くことができず放置された羊たちがのんびりと過ごしているだけだった。
「前日にも命じたが、あらためて命じる。
勝手に羊を獲ってはいけないよ」
家畜は村人たちにとっての大切な財産だ。
だから念のためにエリアスはあらためてそう命じ、配下の将兵に徹底させた。
すぐそこに新鮮な[肉]があるのに。
残念がる兵士は多かったが、無事に勝利を得たことだし、帰ればごちそうにありつけるかもしれないと気を取り直し、今日の所は持ち込んだ固焼きのパンやチーズ、干し肉などの保存食で我慢してくれるようだ。
今日一日よく走ってくれたヴェンダヴァルに飼い葉や豆類を手ずから食べさせてやり、エリアス自身も、干し肉と乾燥野菜で作ったスープにパンを浸しながら食べ始める。
戦った直後は初めての実戦ということもあり、かなり気分が悪くなっていたのだが、戦場を離れ、周囲の人々がいつも通りの様子で食事の支度を始めると、不思議なもので自身も当たり前のように空腹を覚えていた。
生きるために、腹が減る。
あれだけ吐き気を覚え、我慢するだけでも精一杯だったというのに、不思議なものだ。
いつもとまったく同じメニューであり、すでにこの遠征に出てから食べ飽き始めている料理だったが、今日のものは身体に染み渡るように美味しく感じられる。
戦ったためにそれだけ体力を使っていたということなのだろうが、戦った直後と今の自身の身体の調子の変化の大きさを滑稽に思ったエリアスは、思わず口元に苦笑いを浮かべてしまっていた。
そうして、半分ほど食べ終えた時のこと。
丘の上に見張りとしてのぼらせていた兵士が、角笛を吹き鳴らした。
兵士の一団が接近しつつあることを知らせる合図だ。
———蜂の巣をつついたような騒ぎ、とは、このことだろう。
生き残った火の民が攻めて来たのかと上も下も大慌て、五千余りの先鋒軍は慌ただしく臨戦態勢を整えようとする。
「エリアス様! あれを!
あれは、ソラーナ王国軍です! 」
エリアスも食事を置き、急いで兜を被り直してヴェンダヴァルにまたがろうとしていたが、先に馬に乗り、器用にその上に立って南の方向を観察していたアルフォンソの声でその手を止めた。
一度深呼吸をし、落ち着いて自身の目で確かめてみる。
すると、自分たちが戦場から戻って来たのと同じ道を通って兵士の一団が接近してきていたが、彼らは黄色地に太陽の紋章が描かれたソラーナ王国の旗を掲げているのが見えた。
ただ、どこの諸侯の軍勢なのかは分からない。
集団の中ほどを指揮官らしき騎乗した人物が進んで来るのだが、その近くに掲げられているのはソラーナ王国の旗だけであり、どの家の誰なのかを誇示する、家紋の入った旗がかかげられていない。
「あれは……、陛下の軍、かな? 」
「いえ、どうにも違うようです。
フェルナンド三世陛下が直卒する軍にしては、数が少ないかと」
アルフォンソが指摘する通り、王の親衛軍にしては規模が小さいように思えた。
とはいえ、三千ほどはいる。
「リオン王子の軍……? 」
ソラーナ王国の旗だけを掲げた軍、と言えば、国王であるフェルナンド三世か、———その嫡子、リオン王子の軍しか候補がない。
意外な思いで呟いたエリアスが見守っていると、南から向かって来る一団から、先ぶれの騎士が急いで馬に乗って駆けつけて来た。
「我らは味方なり! 我らは味方なり!
リオン王子の手勢である!
みな、安心なされよっ! 」
その言葉を聞くと、兵士たちはみな拍子抜けしたような顔をし、それから、ぞろぞろと食事に戻って行った。
今日はセルビエンテ(昼前)から戦い続けており、誰もが腹ペコであったのだ。
近づいてくるのが敵であるのなら一大事だったが、リオン王子の軍となれば味方で、戦う必要はない。
そんなことより、この猛烈な空腹をなんとかしなければ、
末端の兵士たちにとっては、王子と言っても[そんなこと]に過ぎなかった。
———だが、貴族にとっては違う。
封建制を基盤とした社会秩序に強く紐づけされている諸侯にとって、王子というのは[次世代の主君]であった。
よほど不満が合ったり、ソリが合わなかったり、と言ったことがない限りは、丁重に扱わなければならない相手だった。
もし粗雑に扱い不況を買えば、王子が実際に国王として即位された時になにを言われるか分かったものではない。
(お出迎えをしなければ……)
そう思って身支度を整えたエリアスは、護衛を兼ねたアルフォンソと直接の家臣の中でこの場にいる者としては代表格となるニコラウス筆頭騎士長といった主要な家臣を従えて、リオン王子を出迎えるために向かって行った。




