第2話 隠しルートはポエムの先に
『【深層の処女竜】――彼女の鱗は、三千年の間、一度も熱を知らぬ氷壁。だが、右回りに三度、左に一度。その逆鱗の下に隠された、蜜滴るほどに柔らかな桃色の地肌を、指先の熱を移すように慈しめば、凍てついた心は溶け、溜まりに溜まった三千年分の魔力が、甘美な咆哮と共に溢れ出すだろう』
「……よし、レシピは完璧だ」
俺は、猛烈な吹雪の中で、黄金の文字を反芻した。
目の前では、全長二十メートルを超える巨躯、氷の処女竜が、その青白い鱗を怒りで逆立たせている。
「ガ、ガアアアアアアンッ!」
竜の咆哮一閃。
大気が凍りつき、絶対零度の衝撃波が広場を埋め尽くす。
少し前まで威勢の良かったガルトたちは、巨大な氷の塊の中に閉じ込められ、間抜けな顔で固まっていた。
生きてはいるようだが、助ける義理はない。
「ヒッ、ヒィィ……! カ、カイト! 何をしてる! 早く逃げろ!」
氷の中からガルトの情けない声が漏れる。
俺は無視した。
俺の目には、吹雪の合間に見える『安全な風の通り道』が、フレーバーテキストとして記述されているからだ。
『【死の吐息】――一見すれば回避不能の広域攻撃。だが、乙女の溜息と同じく、その中心には必ず“愛の隙間”が存在する。彼女から見て右斜め十五度。そこは彼女が吐息を漏らす際、つい目を逸らしてしまう恥じらいの空白地帯である』
「なるほど。照れ隠しの隙間か。可愛いもんだな」
俺は、氷の弾丸が乱舞する中を、優雅にステップを踏んで進む。
右へ三歩。左へ一歩。
まるでダンスでも踊っているかのように。
俺の周囲だけ、雪の結晶が花びらのように舞い落ち、一粒のダメージも受けない。
「な、なんだあいつ……!? なんで当たらないんだ!?」
ガルトが驚愕で目を剥く。
当たり前だ。俺は物理法則と戦っているんじゃない。
この世界の『設定』と戯れているんだから。
俺は竜の巨体の懐、その真っ白な腹の下へと滑り込んだ。
見上げれば、首の付け根。
ひときわ大きく、周囲を威圧するように突き出た一枚の鱗――逆鱗だ。
『逆鱗は彼女の最も神聖な場所。しかし、その深奥は、まだ見ぬ誰かの指先を待ちわびて、熱く、切なく、疼いている……』
「お待たせ。三千年も待たせて悪かったな」
俺は、指先に魔力を集中させた。
ただの魔力じゃない。
先ほど手に入れた『太陽の指輪』の熱を、優しく、包み込むような体温へと変質させる。
ガルトたちが、氷の中から絶叫した。
「おい! バカか! 逆鱗に触れるなんて自殺行為だ! 一瞬で粉々にされるぞ!」
「やめて、カイト! そんなエロい手つきで竜に触らないで! 見てるこっちが恥ずかしいわ!」
ミーナの悲鳴をBGMに、俺は実行した。
まずは、右回りにゆっくりと三回。
逆鱗の縁をなぞる。
「……ッ!? グル、ル……?」
竜の動きが、ピタリと止まった。
殺意に満ちていた青い瞳が、不意に潤み、焦点が合わなくなる。
「ほら、ここが気持ちいいんだろ?」
俺は指先を、逆鱗の隙間に滑り込ませた。
そこは、周囲の極寒が嘘のように、熱く、湿っていた。
まるで熟れきった果実の皮を剥くような、禁断の感触が指に伝わる。
仕上げに、左回りに激しく一回。
グイッ、と指を突き立てるように愛撫した。
「あ、あああああああああああああああんッ!!」
竜が、天を仰いで絶叫した。
それは闘争の咆哮ではない。
三千年の孤独と抑圧から解き放たれた、魂の……いや、肉体の悦楽による悲鳴。
直後、竜の全身からまばゆい桃色の光が噴き出した。
カチコチに凍りついていた広場の氷が、春の陽だまりのように一瞬で溶けていく。
ガルトとミーナが、溶けた水とともに地面にベチャリと落ちた。
「な、なんだ……? 何が起きたんだ……?」
腰を抜かしたガルトの目の前で、巨大な氷竜は、メロメロに蕩けた表情で地面に伏せていた。
尾をパタパタと振り、まるで甘える飼い犬のように、俺の足元に大きな頭を擦り付けてくる。
「よしよし。いい子だ。溜まってたんだな、魔力が」
俺が竜の鼻先を撫でると、彼女は喉をグルグルと鳴らした。
そして、その口から、一つの小さな箱を吐き出した。
唾液……いや、聖なる魔力の雫で濡れそぼった、白銀の宝箱だ。
『【処女竜の秘蔵】――彼女が三千年間、誰にも見せずに守り抜いてきた“純潔の証”。開くためには、彼女の愛を勝ち取った者による、情熱的な口づけが必要である』
「口づけ、ね。サービス精神旺盛だな、この世界は」
俺は苦笑し、宝箱の錠前に軽く唇を寄せた。
カチリ、と官能的な音がして、蓋が開く。
中から現れたのは、一振りの、透明なガラスのような剣だった。
「そ、それは……! 伝説の『氷結破砕剣』か!? おい、カイト! それを俺に寄こせ! そいつがあれば、俺は世界一の剣士に――」
ガルトが、震える足で立ち上がり、強欲に目を輝かせて駆け寄ってくる。
俺は、新しく手に入れた剣のフレーバーテキストを読み上げた。
「ガルト。これ、ただの剣じゃないぞ」
『【氷華の処女剣】――持ち主が“真実の愛”を知らぬ者であった場合、その欲望に反応して、握った瞬間に股間を永久に凍結させる呪いを持つ。氷が溶けるのは、持ち主が全ての欲を捨て、聖者として目覚めた時のみである』
「……えっ?」
ガルトが足を止めた。
俺は、剣の柄を彼の方へと差し出す。
「ほら、欲しいんだろ? 持ってみろよ。これさえあれば『世界一』なんだろ?」
「あ、いや……その……。な、なあミーナ、お前、鑑定士としてどう思う? あいつの言ってること、本当だと思うか?」
ガルトが顔を引きつらせて振り返る。
ミーナは、頬を赤らめながら、地面に伏せる竜と俺を交互に見ていた。
「わ、私に聞かないでよ! あんな、竜をイかせるような変態の言うことなんて……。でも、今の竜の鳴き声を聞いたら、嘘だとは思えないわ。あんな……あんな声、私だって出したことないのに……!」
「何を張り合ってるんだ、あんたは」
俺は肩をすくめ、剣を自分の腰に吊るした。
もちろん、俺には呪いは効かない。
なぜなら、俺はこの剣と、すでにフレーバーテキストを通じて『心の対話』を済ませているからだ。
「さて、と。隠しボスも攻略したし、俺は先に行かせてもらうよ。お二人さん、その水浸しの服で、風邪を引かないようにな」
「ま、待て! カイト! 悪かった! 俺が悪かったから、パーティに戻ってくれ! お前のポエム……いや、その素晴らしい『解説』が必要なんだ!」
ガルトが縋るように叫ぶ。
だが、俺は振り返りもしなかった。
「断る。あんたたちの冒険は『数字』だけだろ? 俺の冒険は……もっと、物語に溢れてるんだ」
俺は、尻尾を振って見送ってくれる竜に手を振り、次の階層への扉を開けた。
扉の隙間から漏れる光の中に、また新しい黄金の文字が踊っている。
『【次なるステージ:快楽の密林】――そこは、触れるものすべてを虜にする、淫らな蔓がのたうつ緑の迷宮。奥深くに眠る女王は、あまりの退屈に、自分を満足させてくれる“指先”を求めて、夜な夜な森を震わせている……』
「……次は植物か。忙しくなりそうだな」
俺は、指先の感触を確かめるように軽く動かし、光の中へと足を踏み入れた。
背後で、ガルトの「股間が……股間が冷てぇぇぇ!」という絶叫が響いたが、それは今の俺にとって、心地よいBGMにすらならなかった。




