第8話 舞踏会の対決
本当の美しさとは何だろうか? 宝石で飾ることか、それとも自信に満ちた笑顔か。
鏡に映る自分の姿を見て、私はふとそんなことを考えた。
今夜、私は帝国主催の国際舞踏会に出席する。
身に纏っているのは、帝国の職人が最高級の絹で仕立てたミッドナイトブルーのドレス。
髪には、セオドアが贈ってくれたサファイアの髪飾りが輝いている。
かつて王国で「地味だ」「華がない」と嘲笑われていた私が、今では帝国の王太子の隣に立つのに相応しい女性として扱われている。
「……準備はいいですか、リディア」
控え室の扉が開き、正装したセオドアが入ってきた。
白を基調とした軍礼服に、青いサッシュ。
その凛々しい姿に、見慣れているはずなのに胸が高鳴る。
「はい、セオドア。……変ではありませんか?」
「変なものですか。貴女は今夜、この会場で一番美しい。世界中の要人が、貴女の知性と美貌にひれ伏すでしょう」
彼は私の手を取り、甲に恭しくキスをした。
その唇の熱さが、私の緊張をほぐしてくれる。
私たちは腕を組み、光溢れる大ホールへと足を踏み入れた。
◇
会場は、圧倒的な輝きに満ちていた。
シャンデリアの光が磨き上げられた床に反射し、オーケストラの優雅な旋律が響き渡る。
私たちが姿を見せると、ざわめきが一瞬止まり、すぐに温かい拍手と称賛の声が上がった。
「見ろ、あれが噂の『物流の女神』か」
「なんと聡明そうな瞳だ。王太子殿下がお選びになったのも頷ける」
聞こえてくるのは、好意的な囁きばかり。
物流改革や特産品開発の功績は、既に貴族たちの間に浸透しているようだ。
かつて私を冷遇していた保守派のバルデス卿でさえ、遠くから敬意を込めて会釈をしてくる。
私は背筋を伸ばし、セオドアにエスコートされながら会場の中央へと進んだ。
この幸せな時間が、ずっと続けばいい。
そう思った、その時だった。
「見つけたぞ! リディア!」
場違いな怒号が、優雅な音楽を切り裂いた。
会場の入り口付近が騒がしくなり、人の波が割れる。
そこに立っていたのは、見慣れた、けれど酷くやつれた顔の男たちだった。
「……カイル殿下?」
王国第二王子、カイル。
そしてその腕には、義妹のミナがしがみついている。
二人の衣装は、帝国の煌びやかな流行に比べると明らかに古臭く、生地も傷んで見えた。
「よくも逃げ回ってくれたな! さあ、こっちへ来い!」
カイル殿下は大股でこちらへ歩み寄ろうとするが、周囲の帝国貴族たちが冷ややかな視線で壁を作る。
「なんだあの無作法な男は」
「王国の招待客か? 品がないな」
貴族たちの冷笑に気づいていないのか、カイル殿下は顔を真っ赤にして叫んだ。
「どいつもこいつも! 俺はランベルク王国の王子だぞ! そこなる女は我が国の罪人だ! 即刻引き渡してもらおう!」
「罪人……?」
会場がざわつく。
セオドアが私を背に庇うように一歩前に出た。
その表情から笑顔が消え、凍てつくような冷徹な瞳がカイル殿下を射抜く。
「騒々しいですね。今日は祝いの席です。招待状をお持ちなら歓迎しますが、乱暴狼藉を働くなら退場願いますよ」
「ふん、帝国王太子か! 貴様がリディアを騙して連れ去ったことは分かっているんだ! 人質にして我が国を脅すつもりだろうが、そうはいかん!」
カイル殿下は自信満々に私を指差した。
「リディア! 俺が迎えに来てやったぞ! 今すぐ戻れば、これまでの罪は不問にしてやる。さあ、俺の足元に跪いて感謝しろ!」
……何を言っているの?
私は耳を疑った。
迎えに来てやった? 感謝しろ?
この人は、私がまだ彼を慕っていると、本気で思っているの?
「やだぁ、お姉様ったら。こんな野蛮な国で怖かったでしょ? あたしが許してあげるから、早く帰って仕事をしてよ。ドレスも作れないじゃない」
ミナもまた、無邪気な悪意を振り撒きながら甘えた声を出した。
その瞬間、ミナの周囲にピンク色の淡い光が漂うのが見えた。
あれは……魅了の魔力?
彼女は、ここで自分の力を使い、周囲を味方につけようとしているのだ。
けれど。
「……なんだ、あの甘ったるい魔力は」
「気色が悪いな。精神干渉魔法か?」
「低級な術だ。我々を愚弄しているのか?」
帝国貴族たちは、眉をひそめて不快感を露わにしただけだった。
そう、帝国は魔法先進国。
高位貴族たちは皆、幼い頃から魔力制御の訓練を受けており、精神干渉への耐性が極めて高い。
ミナの無自覚で稚拙な魅了など、ここでは「悪臭」程度にしか感じられないのだ。
「えっ……? どうして? みんな、あたしを可愛がってくれないの?」
ミナが狼狽えて周囲を見回す。
セオドアが冷ややかに言い放った。
「その程度の魔力で、帝国の精鋭たちを操れると思いましたか? 不愉快です」
「なっ……ミナを侮辱する気か! リディア、何をしている! 早くこっちへ来いと言うのが聞こえないのか!」
カイル殿下が苛立ち紛れに私に手を伸ばそうとした。
セオドアの手が剣の柄にかかる。
でも、私は彼の手をそっと制した。
ここは、私が言わなければならない。
「お断りします」
私はセオドアの背中から進み出て、カイル殿下を真っ直ぐに見据えた。
「私はガルニア帝国のリディアです。貴方たちの国とは、もう何の関係もありません」
「は……? 何を言っている。強がりはやめろ。俺が命令しているんだぞ?」
「命令? 貴方はもう、私の主君でも婚約者でもありません。私はここで、一人の人間として、能力を認められ、愛されています」
私は隣に立つセオドアを見上げた。
彼は誇らしげに頷き、私の腰に手を回す。
「彼女は私の最愛の婚約者であり、帝国の恩人だ。彼女を侮辱することは、このセオドア・ガルニアが、いや、帝国全土が許さない」
セオドアの声が雷鳴のように響き渡る。
その威圧感に、カイル殿下とミナが怯んで後ずさった。
周囲の貴族たちも一斉に、カイル殿下たちへ敵意の視線を向ける。
「ひっ……!」
「カ、カイル様……怖い……」
二人は寄り添い合い、小さく震えていた。
その姿はあまりにも滑稽で、そして哀れだった。
かつては絶対的な権力者に見えた彼らが、ここではただの「常識知らずの招かれざる客」でしかない。
「衛兵。この者たちを別室へ連れて行け。国際法に則り、不法行為と魔術攻撃未遂の罪で取り調べる」
セオドアの命令で、屈強な近衛兵たちが二人を取り押さえる。
「は、離せ! 俺は王子だぞ! 外交問題にする気か!」
「リディアぁ! 助けてよぉ! お姉様なんでしょ!?」
わめき散らす声が遠ざかっていく。
私はそれを、ただ静かに見送った。
胸の中にあった古い傷が、すっと消えていくのを感じた。
「……大丈夫ですか、リディア」
セオドアが心配そうに覗き込んでくる。
私は彼に向かって、心からの笑顔を向けた。
「ええ、大丈夫です。だって私には、世界一素敵な婚約者がついていますから」
私の言葉に、彼は耳まで赤くして、それから嬉しそうに私を抱き寄せた。
会場からは、割れんばかりの拍手が湧き起こる。
それは、私たちが本当の意味で「勝利」した瞬間だった。




