第7話 王国の崩壊
王宮の中庭に植えられた薔薇は、無惨にも枯れ果てていた。
かつては色とりどりの花が咲き誇り、甘い香りで満たされていた場所だというのに。
今では雑草が腰の高さまで生い茂り、自慢の噴水も水が止まって久しい。
俺は執務室の窓からその荒涼とした景色を見下ろし、苛立ち紛れに舌打ちをした。
「おい、いつになったら庭師は来るんだ! 見るに耐えんぞ!」
怒鳴りつけると、控えていた侍従が青ざめた顔で震え上がった。
「も、申し訳ございません、カイル殿下……。庭師たちは先月、給金が支払われないことに抗議して全員辞めてしまいまして……」
「金がないなら代わりを雇えと言っているんだ! 王族の住まう場所がこの有様でいいと思っているのか!」
「そ、それが……予算が……」
侍従は消え入りそうな声で言い訳を繰り返す。
どいつもこいつも役立たずばかりだ。
俺は乱暴にカーテンを閉め、机に向き直った。
そこには、処理しきれない書類の山が雪崩のように積み上がっている。
予算申請、納税報告、資材調達の嘆願書。
どれを見ても「不足」「遅延」「破綻」の文字ばかり。
「くそっ、なんで俺がこんな地味な事務作業をせねばならんのだ!」
羽ペンを放り投げると、インクが飛び散って書類を汚した。
以前は、こういう面倒な書類仕事はすべてリディアが片付けていた。
あいつは「私がやりますから、カイル様はご公務に専念してください」と言って、一晩で完璧に整理していたものだ。
だから俺は、それが誰にでもできる簡単な仕事だと思っていた。
なのに、あいつがいなくなった途端、誰もこの山を処理できなくなった。
新しく雇った文官たちは無能で、計算間違いばかりする。
「カイル様ぁ〜」
執務室の扉が開き、甘ったるい声と共にミナが入ってきた。
俺の婚約者であり、愛しい義妹。
だが、今の彼女は少し不満げに頬を膨らませている。
「ねえ、今日の夕食もまた鶏肉と野菜のスープだけだったわ。あたし、もっと美味しいお肉が食べたい。新しいドレスだって、もう三ヶ月も作ってないのよ?」
「すまない、ミナ。もう少しの辛抱だ。財務大臣の奴が『国庫が空だ』なんて大袈裟なことを言って、財布の紐を締めているんだ」
「ひどぉい。あたしは次期王妃になるのよ? みすぼらしい格好なんてできないじゃない」
ミナが俺の腕に絡みつき、上目遣いで訴えてくる。
その可愛らしさに、俺の苛立ちは少しだけ和らいだ。
そうだ、悪いのはミナじゃない。
俺たちをこんな目に遭わせている元凶は、他にいる。
「……全部、リディアのせいだ」
俺は憎々しげに呟いた。
「あいつが責任を放り出して逃げたせいで、国中が混乱している。王族への奉仕は貴族の義務だろう? それを放棄するなんて、とんだ裏切り者だ」
「そうよぉ。お姉様ったら、昔から陰気で意地悪だったもの。あたしたちが困るように、わざと仕事を散らかして出て行ったに違いないわ」
ミナの言葉に、俺は深く頷いた。
そうだ、これはあいつの復讐なのだ。
俺たちの愛に嫉妬して、国政を停滞させるなんて、どこまで性格が歪んでいるんだ。
その時、廊下から重々しい足音が近づいてきた。
扉がノックもなしに開かれ、父上――国王陛下が入ってきた。
その顔はやつれ、目の下には濃い隈ができている。
「カイル、ミナ。ここにいたか」
「父上。ちょうど良かった、財務大臣を解任してください。あいつは予算を出し惜しみして――」
「黙りなさい!」
父上の怒号が響き、俺は思わず口を閉ざした。
父上がこれほど感情を露わにするのは珍しい。
「現状が分かっているのか!? 帝国からの経済制裁により、我が国の主要産業である魔石輸出は完全にストップした! 輸入ルートも封鎖され、食料も資材も入ってこない。国庫が空なのは出し惜しみではない、本当に空っぽなのだ!」
父上は机の上の書類の山を拳で叩いた。
「しかも、リディア嬢がいなくなってから、帳簿の不整合や横領が次々と発覚している。ランベルク伯爵家の使い込みだけではない、貴様らが『必要経費』として計上していた浪費の数々だ!」
「なっ……俺は、王族として相応の振る舞いを……」
「民が飢えている時に何が相応だ! このままでは暴動が起きるぞ。そうなれば、王家など終わりだ」
父上は頭を抱え、深いため息をついた。
王国の終わり?
まさか、そんな馬鹿な。
俺たちは選ばれた血筋だぞ。
「……だが、一つだけ打開策があるかもしれん」
父上は懐から一枚の新聞を取り出し、机の上に広げた。
それは帝国の新聞だった。
一面に大きく載っていたのは、見慣れた女の顔。
「リディア……!?」
写真の中のあいつは、俺が見たこともないほど洗練されたドレスを着て、優雅に微笑んでいた。
記事の見出しには、『帝国の救世主』『物流の女神』といったふざけた文字が躍っている。
「どうやら彼女は、帝国で重用されているらしい。新しい特産品を開発し、帝国の経済を潤しているそうだ」
「な、なんだと!? 帝国の経済を?」
俺は記事を食い入るように読んだ。
王国で雑草扱いしていた草をスパイスに変え、莫大な利益を生み出した?
馬鹿な。あんな女にそんな才能があるわけがない。
これはきっと、帝国の誰かが考えた成果を、あいつの名義にしているだけだ。
「帝国は、彼女を『人質』として利用しているのだろう。我が国への当てつけにな」
父上が苦々しげに言う。
俺の中で、点と線が繋がった。
そうだ、そうに違いない。
あの執事――セオドアとかいう男が帝国スパイで、リディアを騙して連れ去ったのだ。
今のあいつは、帝国で利用され、きっと泣いて助けを待っているはずだ。
「許せませんね。他国の令嬢を拉致同然に連れ去り、見世物にするとは」
俺は拳を握りしめた。
怒りと共に、妙な高揚感が湧いてくる。
これはチャンスだ。
俺がリディアを救い出し、連れ戻せばいい。
そうすれば、あいつは涙を流して感謝し、また以前のように俺のために働くだろう。
帝国からの制裁も、リディアという「人質」を取り返せば交渉の余地が生まれる。
「父上。近々、帝国で『国際舞踏会』が開かれると聞きました」
「ああ。各国の要人を招いて、国力を誇示するための催しだ。我が国にも、嫌味のように招待状が届いている」
「俺が行きます」
俺は父上の手から招待状をひったくった。
「俺が直接乗り込み、帝国の非道を糾弾してリディアを取り返してきます。彼女は俺の元婚約者だ。俺が命令すれば、あいつは必ず戻ってきます」
父上は少し迷うような顔をしたが、他に打つ手がないのだろう。
力なく頷いた。
「……頼むぞ、カイル。これが最後の賭けだ。彼女を連れ戻せなければ、我が国は冬を越せない」
◇
執務室を出た俺は、招待状を強く握りしめた。
待っていろ、リディア。
愚かなお前を、この俺が迎えに行ってやる。
そうして戻ってきたら、たっぷり働いてもらうからな。
今まで俺たちを困らせた分の罪滅ぼしをさせなくては。
「ねえカイル様、あたしも行っていい?」
ミナが小走りでついてくる。
「もちろんさ。お前の愛らしい姿を見せれば、帝国の野蛮人たちもひれ伏すだろう」
俺はミナの腰を抱き寄せ、ニヤリと笑った。
俺の頭の中では、すでに勝利の光景が浮かんでいた。
帝国の煌びやかな会場で、俺がリディアの名を呼ぶ。
彼女は俺に気づき、安堵の表情で駆け寄ってくる。
それを邪魔する帝国王子の横っ面を張り飛ばし、俺たちは英雄として帰国するのだ。
完璧な計画だ。
失敗するはずがない。
俺は王国の第二王子、選ばれた人間なのだから。




