第4話 帝国の歓迎
窓の外に広がる光景は、まるで宝石箱をひっくり返したようだった。
整然と区画整理された街路には、等間隔に設置された魔導灯が青白い光を放ち、夜の闇を完全に払拭している。
王国の薄暗い街並みしか知らない私にとって、この「沈まない太陽」のような帝都の夜景は、文明の格差をまざまざと見せつけられるものだった。
馬車が城門を抜け、本城のエントランスに滑り込む。
「さあ、着きましたよ。リディア」
セオドアに手を引かれ、私はおずおずと降り立った。
目の前には、見上げるほど巨大な黒曜石の柱と、黄金の装飾が施された大扉。
出迎えに並ぶ衛兵や使用人たちの数だけで、王国の全宮廷職員を超えそうだ。
「あの、セオドア……いえ、殿下。本当にこの格好で謁見するのですか? ドレスも汚れたままですし……」
「リディア、私のことは今まで通りセオドアと呼んでください。それに、父上たちは形式を気にしません。むしろ、ありのままの貴女を見せた方が喜ぶでしょう」
彼は悪戯っぽく微笑むと、躊躇する私の背中を優しく押した。
大扉が重々しい音と共に開かれる。
その先に待っていたのは、煌びやかな玉座と、そこに座る二人の人物――ガルニア帝国皇帝と皇后だった。
私は心臓が口から飛び出しそうになりながら、カーテシーの姿勢を取ろうとした。
けれど。
「おお! これがあの『リディア嬢』か! よく来た、よく来てくれた!」
豪快な笑い声と共に、皇帝陛下が玉座から立ち上がり、ずかずかと歩み寄ってきたのだ。
厳格な覇王を想像していた私は、目を丸くした。
「セオドアから報告は聞いているぞ。『数字の女神』を見つけたとな! あの堅物の息子が、まさか女性を連れて帰ってくるとは!」
「まあ、なんて可愛らしい方なの。長旅で疲れたでしょう? 可哀想に、そんな薄いドレスで」
続いて皇后様までもが私の手を取り、母親のように慈愛に満ちた瞳で覗き込んでくる。
怒号と蔑みの視線ばかりだった王国での扱いとの落差に、私は言葉を失った。
「あの、私は……追放された身で……」
「そんなことはどうでもいい。我が国は実力主義だ。能力がある者は、出身がどこであろうと厚遇する。セオドアが選んだのなら、貴女は間違いなく優秀なのだろう?」
皇帝陛下はニカっと笑い、私の肩をバシバシと叩いた。
痛いけれど、温かい。
セオドアが私を見て、「言ったでしょう?」と肩をすくめる。
胸の奥がじんわりと熱くなった。
◇
翌日。
用意された豪華な客室で一晩ぐっすりと眠った私は、朝一番にセオドアの執務室へ呼ばれた。
皇帝陛下たちの歓迎は嬉しかったけれど、城内がすべて好意的というわけではないらしい。
廊下ですれ違う貴族たちの視線は冷たかった。
「どこの馬の骨とも知れぬ女だ」「王子の愛人か」「王国のスパイではないか」といった囁き声が、遠慮なく耳に入ってくる。
当然だ。
昨日まで敵国だった国の、しかも犯罪者として追放された女がいきなり王城に住んでいるのだから。
だからこそ、私は決めていた。
ただ守られるだけの「お飾り」にはならない、と。
執務室に入ると、そこにはセオドアだけでなく、数名の高官たちが険しい顔で地図を囲んでいた。
私が入室すると、そのうちの一人――口髭を蓄えた年配の貴族が、露骨に顔をしかめた。
「殿下。公務の場に、部外者を入れないでいただきたい。機密に関わります」
「部外者ではありませんよ、バルデス卿。彼女は私の婚約者であり、新しい補佐官です」
「婚約者!? 正気ですか! そのような傷物の亡命令嬢を……!」
バルデス卿と呼ばれた貴族が声を荒らげる。
私は深呼吸をし、一歩前へ進み出た。
「バルデス卿のおっしゃることはもっともです。私はまだ、この国に何の貢献もしていませんから」
私がはっきりと言葉を発したことに驚いたのか、バルデス卿が口をつぐむ。
私はセオドアに向き直り、その紫紺の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「セオドア殿下。私に仕事をください。私がここにいる価値を、数字で証明させていただけますか?」
「……ふふ、そう来ると思っていました」
セオドアは満足げに頷くと、机の上に積み上げられた書類の山を指差した。
「では、早速頼みます。これは北部の鉱山地帯から帝都への物流データです。ここ数ヶ月、輸送の遅延が深刻化しており、解決策が見つからない。バルデス卿たちは『魔獣の増加が原因だから護衛を増やせ』と主張しているのですが」
「事実です! 護衛費用の増額を承認してください!」
バルデス卿が横から口を挟む。
私は許可を得て、書類の束を手に取った。
輸送記録、天候データ、護衛の配置図、そしてコスト表。
パラパラとページを捲る。
数字が、私の頭の中で踊り出し、繋がり、そして一つの「線」を描き出す。
(……違う。魔獣のせいじゃない)
私は執務室の黒板に向かい、チョークを手に取った。
「輸送ルート上の被害報告と、通過時間の相関を見てください。魔獣被害が多いとされるエリアAでの遅延は平均十五分。ですが、その手前の宿場町Bでの滞在時間が、三ヶ月前から平均二時間も延びています」
私は黒板にグラフと地図を描き込んでいく。
「さらに、同時期に宿場町Bの荷揚げ場の改修工事記録があります。この工事により、大型馬車の旋回スペースが狭まり、積み替え作業に手間取っているのが主因です。魔獣被害は、遅れた馬車が夜間移動を強いられた結果に過ぎません」
カツカツカツ、とチョークの音だけが室内に響く。
私は最後に、解決策を書き込んだ。
「護衛を増やすのではなく、宿場町Bを経由しない旧道ルートを整備して迂回させるべきです。旧道の整備費は、増額しようとしていた護衛費の十分の一で済みます。これにより、輸送時間は三割短縮され、魔獣被害も激減するはずです」
書き終えて振り返ると、室内は静まり返っていた。
バルデス卿は口を半開きにして黒板を凝視している。
他の高官たちも、手元の資料と黒板を忙しなく見比べていた。
「……計算、合っているぞ」
「本当だ。なぜ今まで気づかなかったんだ?」
「宿場町の工事記録との照合なんて、膨大な資料の中から一瞬で……」
驚嘆の声が漏れ始める。
セオドアが、やっぱりね、という顔で微笑んだ。
「バルデス卿。直ちに彼女の案で手配を。旧道の整備班には土魔法の使い手を派遣してください」
「は、はいっ! 直ちに!」
バルデス卿は私を一瞥した。
そこにあったのは、先ほどの軽蔑ではなく、得体の知れない怪物を見るような畏怖と、僅かな敬意だった。
彼は慌ただしく部屋を出て行き、他の高官たちも次々と動き出す。
「お見事です、リディア」
二人きりになった部屋で、セオドアが私の髪を優しく撫でた。
「あのデータ量から原因を特定するとは。やはり貴女は、私の自慢の婚約者だ」
「……たまたまです。王国で、似たような帳簿のごまかしをよく見ていたので」
私が照れ隠しで言うと、彼は愛おしそうに目を細めた。
その日の夕方。
魔導通信によって、北部の物流が劇的に改善したという報告が届いた。
私の名前は、「数字を操る魔女」という奇妙な二つ名と共に、一夜にして帝国の高官たちの間に知れ渡ることになったのだった。




