そういう理由で
このラーナケイン大森林は人魔の緩衝地帯となる大渓谷〝竜の閨〟から繋がる、魔族領域の端だ。あれからしばらく歩いて、ようやっと敵の姿も気配も消えた。
だが安心はできねえ。月の光さえ差し込まないほど深い森は、決まって強力な魔物の住処になるもんだ。まあそんでも、渓谷の上空を我が物顔で飛び回る竜どもに比べりゃ、一段も二段も見劣りするってもんだが。
何にせよ、しつこい追っ手の騎士どもも、さすがにここまでだろう。
さっきから森を照らす明かりも、蹄の音も、完全に消えている。ようやく諦めてくれたらしい。
ぽつぽつ、味方の死体が転がっちゃいたが、こうなっちまっちゃあ、さすがに手の施しようもねえや。南無南無っと。
「はあ?」
先に森を進んでいたツィリルが、眉間にしわを寄せて俺を振り返った。
「いやだから夢の話だよ。夢の。おまえが聞いたんだろ」
「聞きましたけど……。だってそれは、ラドルファス殿下のアタ――いえ、様子が変でしたから」
いま頭が変って言いかけた? ねえ?
「堅苦しいからラドでいいって。――いまの俺が正常で、さっきまでの俺が異常だったんだ」
「では四十年近く頭が異常だったという認識で合っていますか?」
オブラートに包んで!? オブラートねえか、この世界……。
「……うん……まあ……そういうことになるのか……な……?」
魔人の四十は、人間族でいやあまだ十代の中盤あたりだ。
それがいまの俺の肉体年齢でもある。若いって素晴らしいね。
なのにツィリルは、すごい目でこっちを見てる。
突然変なことを言い出した子供を心配する母ちゃんの目だ。
「ヒトはそれを異常と呼ぶのでは?」
「そうかもだが……や、う~ん……」
剣聖グロッツメレンの一撃を頭部に食らって気絶していた間、どんな夢を見ていたかって話だ。正確にゃ夢じゃなく過去だから、事細かに説明してみたけれど、予想通りツィリルは信じやしなかった。
前世の夢を見ていた、なんて世迷い言は、俺だってどうかと思う。自分の身に起きた出来事じゃなければな。
日本と呼ばれるその国で、俺は魔族ではなく人間として生きていた。というか、魔族なんてもんはその世界にはいなかった。
毎日毎日、馬車馬のように同じことを繰り返して幾ばくかの金銭を得て、夜遅くに帰宅して安い飯をかっ喰らって寝る。そういう人間だ。
頭を下げた回数分、愛想笑いの度合い分、ちゃぁんと世界は広がるのだが、だがそこではどこまで行っても景色はくすんだ灰色だった。
「魔物も魔族も存在しない世界……ですか。魔法でも魔術でもなくカガク文明。人間族は空飛ぶ金属で世界を繋いで、さらには世界共通の仮想空間なる別世界まで存在する。そしてラドは敵性種族である人間族だった」
「うん、そう」
ツィリルが一度ため息をついて後ろ手を組み、長い白金の髪を腰で揺らしながら歩き出した。俺はその後に続く。
信じてないよなあ。まあそうだろ。
次は何を言われるかと覚悟を決めていた俺に、彼女は意外な言葉をつぶやいた。
「……そんな世界が本当に存在しているなら、そこはさぞや平和なのでしょうね」
「そうでもない。魔族がいなくても、人間は人間同士で絶えず戦争を起こしていたからな」
「そんなことあります?」
「あるんだよ、普通に。たぶんこの世界で魔族が人間をひとり残らず殲滅したところで、平和な世界にゃならんよ。逆も同じでな。そういうもんさ。知らんけど」
ツィリルは無言で歩いている。何かを考えているのだろうか。
歩きづらい魔物道だ。魔物が普段使いに通り均した危険な道だが、魔族の中でも上位にあたる俺たち魔人種なら、概ねどのような魔物が現れようと、大した脅威ではない。
……ああ、竜族以外はな。
やつらは強く、そして見境がない。魔も、人も、魔物も、等しく殺して喰らう。神話じゃ神とも戦ったらしい。
「例えばよ? ひとくくりに魔族っつっても、俺たちのような魔人族だけじゃなく獣人族や巨人族、妖精族とまあ色々いんだろ。いまは魔人族から魔王が選ばれて全種族を治めちゃいるが、魔王の力が弱まりゃ他の種族がその地位を奪いにくるだろうよ」
だから魔王は強くなくてはならない。俺のような魔力の低い半端者の魔人では、他の種族から舐められる。要するに現状の魔王軍とは、多種族連合軍だ。
ぽつりと、ツィリルがつぶやく。
「なるほど」
特に獣人王ガラクスは危険だ。いまは人間族という共通の脅威に対処するため、魔王に表面上従っちゃあいるが、いつ喉笛を食い破られるかわかったもんじゃない。
やつらは魔人族以上に、力を信奉している。元が獣だからなあ。
一口に魔族と言っても、姿が魔人とはちょいと違うだけで頭ん中で何を考えているかわからん。表情の機微さえ読めん。
これが俺みたいな半端者を魔王にするわけにはいかない魔王一族の事情ってやつだ。魔王が俺を見限る理由もそこにあったのだろう。
本来なら出来底ないの俺の存在なんて隠しておきたかったはずだ。なのに俺は愛されようとして必死に動いちまうバカなガキだった。オヤジの望みの逆を突っ走ってたってことだ。
まあ、順当に言や、兄のロガビュが次世代の魔王なのだろうな。ロガビュは親父に匹敵するほどの魔力を持っているのだから。
「前世の人間族も、それと同じことをしてた。国や人種の違いや狂信的に信じる神の違いなんかを理由に、そらもうバッチバチよ。バカだねえ~、仲良くすりゃいいのに」
やつらが実際にそれを信じて戦争を起こしていたのかは、無宗教な民族だった俺にはわからんことだが。戦争を起こすものは神を利用しているだけで、信じていたのは戦う兵のみだったのではないか、と疑っている。
「そうですか。それがどうして性格が変わることに繋がったんです?」
「実のところ、そこらへんは関係ねえよ。ただ、人生二周目ともなりゃあなあ」
「あ~……なるほど……」
実はツィリルは俺よりも年上だ。正確にはわからんが、彼女と俺が初めて出会った頃は、俺はまだ彼女の腰のあたりまでの身長しかなかった。少年というより幼年だ。比して彼女はいまと変わらず、少女と呼ばれる年齢だった。
魔人族ってのは人間族と比べてゆっくりと少年期を迎え、青年期で数百年を止め、その後、寿命まで百年あまりになってから急速に年を取る。
俺は前代未聞の人間とのハーフだから他の魔人よりは早く年を取るのだろうが、実際にそれがどれくらいなのかまではわからない。
でだ。そういうのを置いてしても、人生を一度きっちりと終えて二周目に入った俺から見れば、たとえ俺の方が肉体年齢が若くとも、ついさっきまでは頼れる綺麗なオネーサンだった彼女でさえ、いまやもう少女にしか見えんというわけだ。
子供だなぁ~って思っちまう。人間年齢で言えば十代後半くらいかねえ。
「単に老けた、と? やはり頭を打って混乱してるだけですね」
「言い方考えてぇ。傷つくからぁ」
ま、俺の肉体もまだ少年なのだが。だが少なくとも魔王に認められたいとか、魔族のために憎き人間族と戦うだとか、とっくに記憶にもない母ちゃんのこととか、そんなことはひっくるめて。
――もうどうでもいいわ~……。
ってなったわけだよ。歳食えば誰だって恋も愛も盲目じゃいられねえんだ。
力になってくれてるツィリルにゃ決して言えんが、正直もう、魔王を目指すのもアホくせぇしやめるつもりだ。謀略や謀反で殺されたかねえしな。
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