いまはまだ真面目
完結まで一日三話、中編程度の長さになる予定です。
よろしければ覗いて行っていただけると幸いです。
人と魔の領域を東西に繋ぐ大渓谷、竜の閨――……。
谷底の浅い川に膝を浸けていた。
頂の霞む両岸の中央に浮かぶ紅の月に、血飛沫が舞った。怒号が悲鳴を掻き消し、爆ぜた大地が命を呑む。霧は赤く染まり、夜の視界をさらに奪う。
時折月光を遮るのは、空の支配者たる忌々しい竜の影だ。
赤く染まった水飛沫を蹴り上げながら走り、剣を振るう。鋼鉄の騎士鎧を斬り裂いて振り切られた刃は、火花と血飛沫を伴い命を絶った。
鎧の騎士が膝から崩れて流れの中に倒れ伏す。
「行け行け行け行け! 走ってッ!! 立ち止まるなッ!!」
むせ返るような熱気と赤い霧。荒い呼吸と心臓の音がうるさい。
魔は水飛沫と悲鳴を上げながら西へと逃げ、人は血走った目と殺意の声を上げながらそれを追う。矢や魔術の炎が降り注ぎ、逃げ惑う魔を背後から灼き貫く。
だから僕たちはそこに身を入れて矢を叩き落とし、魔術を防ぐんだ。
背中を矢に貫かれ、浅い流れの中に転んだ魔人に手を貸し、立ち上がらせて押す。
追い縋る死から逃がすために。死に神に足をつかまれないように。
「振り返るなッ!! 立って走れッ!!」
剣を持つ腕が痺れてきた。だが、まだだ。
人間どもを何人殺したかなんて、もう数えてはいない。もちろん、こちらが何人殺されたのかは言うまでもない。
歯を食いしばる。
積み上がった屍の中、浅い流れに立ち止まり、剣を振るう。
「追わせないぞ……ッ!」
撤退戦の殿をしていた。
それでも、この両手で救える数なんてたかが知れている。命はみな、指の隙間からこぼれ落ちていく。握りしめる間もなく、つかみ損ねる。
迸る魔術の炎が、鋼鉄の矢や槍が、逃げる仲間の背を次々と貫いていく。
赤く深い霧の中では、逃げる姿が見えているわけではないだろう。狭い渓谷内だ。浅い水を蹴る音や悲鳴の箇所に放てば、どこかしらには命中する。
それは殿を務める僕たちの足下にもだ。
「危険です! わたしたちも撤退しましょう!」
隣で騎士を鎧ごと拳でぶん殴って吹っ飛ばし、闇の中で女が叫んだ。いつもは眠そうな目をした美女だけど、さすがにこの逼迫した状況ではかっ開かれている。
「現状の撤退率は!?」
「もう八割は完了しましたよ! 十分な成果かと! だからわたしたちも――」
「まだ八割だ!」
汗を玉にして飛ばしながら馬上から突き出された槍を躱し、僕は馬を斬った。崩れ落ちてきた騎兵の首を女がつかみ、華奢な片手で振りかぶって怒りを叩きつけるかのように敵集団へと投げ返す。
人並み外れた怪力は、魔人族ならではだ。
表情は不満げだけれど。
「ああもう!」
「そんな顔しないで。大切な兄上の軍だ。これはきっと大きな貸しになる。――ツィリルは僕を魔王にしてくれるんだろ?」
このツィリル・レッキアという女は変わり者だった。
「その前に死んだら元も子もないでしょう!」
上位魔族の魔人の中ですら一握り。魔王一族にも匹敵するほどの膨大な魔力という才覚を持ちながら、魔王一族で唯一の出来損ない、つまり僕なんかに仕えることを望んだ程度には。
「殿下はいつもいつも……!」
「こんなところでその呼び方は勘弁してよ。余計に狙われる」
「どうせ狙わせてるんだからいいでしょう! 他軍の殿なんて安請け合いして!」
「他軍じゃない。友軍だ」
上段から叩きつけられた剣を受け止め、鎧の上から腹を蹴って突き放す。すぐさまツィリルが追撃の魔法を放ち、騎士は炎の中で浅瀬に倒れた。
焦げ付いた金属鎧の中は、すでに炭化している。
「もう!」
必要なことだった。すべては僕が魔王になるために。
……違う。本音は。
すべては魔王から認められるために。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




