1/13
第1話 ちーちゃんが現れた日
その日、北の聖域の大樹に光が差し込んだ。
風に運ばれる花びらの中に、一人の娘が倒れていた。
ぼくは思わず駆け寄った。
白い衣をまとい、まるで花びらのように儚げな姿。
目を開けた彼女は、きょとんと辺りを見回し、そしてぼくを見た。
「……ここは、どこ?」
声はかすれていたけれど、澄んでいて優しかった。
けれどその瞳には、記憶の光がなかった。
「ちーちゃん」
ぼくは思わず、心の中でそう呼んだ。
ほんとうはマーシアって名前だって知っている。
でも、記憶をなくした彼女は、ただの“ちーちゃん”にしか見えなかった。
ぼくの前に座り込んだちーちゃんは、首をかしげて笑った。
「……かわいい狼さん」
その笑顔に、胸の奥がぎゅっとなった。
(わかってる。思い出したら、きっとまた遠くへ行ってしまうんだ)
(それでも……今だけは、ぼくのちーちゃんだ)
その日から、ぼくの世界はすべて“ちーちゃん”で埋め尽くされた。