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93回目 香水

ガチャチャチャ、ガチャチャチャ。ゴトッ。  パカ

 通りすがりの人が残していった香りが、私の鼻をくすぐりました。


 それは、少し甘く、とても懐かしい香り。その香りに、私の心は一瞬にして時を超え、無力で自己主張もできなかったほど幼い娘だった頃の自分に戻ってしまったのです。


 (付けている人がいるんだ、お母さんが使ってたのと同じ香水。まだ売ってるのかな?)



 百貨店の化粧品売り場。人混みを縫うように歩く母の隣で、私は手を握られながら付いていくだけでした。


 ショーケースに並んだ、きらびやかな香水のボトル。その中の一つを、母が手に取ったのを覚えています。すごく特徴的な形の瓶の中には、琥珀色の液体が揺れていました。


 母は、自然素材由来の香料は高価で、何百、何千とある香りの中から、自分だけの個性を表現するために選ぶものだと教えてくれましたが、今考えると、それは母の密やかなプライドだったのかもしれません。


「これは、特別な日につけるのよ」


 そう言って、母は少しだけ微笑みました。その香りは、母の温かい腕の中にいるような安心感と、どこか手の届かない特別な世界への憧れを同時に私に与えてくれたのでした。


 その香りは、母娘で出かけた特別な日の記憶を思い出す鍵となっていたようです。母の頑張りや愛情の象徴ともいえる、私にとっても大切なもの。



 あれから、ずいぶんと長い時間が流れました。母はもう、その香水をつけていませんし、私も、もうあの頃の無力な子どもではありません。


 己の力で人生を切り開き、時には厳しい現実に直面しながらも、自分らしく生きているつもりです。


 あの香りから受け取った安心感と心強さは、今を生きる自分自身へのエールだった、と言えば大袈裟でしょうか。


 いつか私も、特別な瞬間に、自分だけの香りを見つけられるでしょうか。そんなことを考えながら、私は再び、自分の足で前を向いて歩き始めました。



おわり

※そういえば、磯の香り、土の香り、命の糧となる生き物の香りを、人はいつしか平気で「臭い」と言えるようになってしまったようです。

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