9回目 思い出の皿
ガチャチャチャ、ガチャチャチャ。ゴトッ。 パカッ。
それは小学校卒業を目前に控えた春先、当番の私たちが校長室の掃除をしていた時のことでした。
目の前を不用意に横切ろうとする友人を避けようとして、動かしたほうきを、莉子ちゃんは思わず手離してしまったのです。
はずみで木製のほうきの柄は大きな弧を描き、机の上に置かれていた三枚の大皿のうちのひとつに当たってしまいました。
大きめの鈍い音を立てた皿は、衝撃で縁が欠け、さらに完全に割れてはいないまでも本体には深刻な亀裂が入っているようです。
茫然と皿を見つめる私の後ろで、その瞬間を目撃した友人たちが一斉に大きな声を上げ始めました。
騒ぎはもちろん、その場にいた他の友人たちにもすぐに伝播します。目撃者がいるので、言い逃れもできません。
責める子。心配して慰めてくれる子。成り行きを見守るだけの子。それらに囲まれたまま、私の親友、莉子ちゃんは動くことも、声を出すこともできなくなっていたのでした。
直径四十センチを超える大皿の中央には、私たちの担任の名前とありがとうの文字と、そこから放射状に卒業生である私たち一人ひとりのお礼の言葉が書かれています。
それは今年で退任される先生のために、私たちが校長先生指導の下クラス全員で準備した贈り物だったのでした。
全方位から一方的に責められる圧力は、それだけにより強く感じられてしまうのです。
「校長先生に知らせた方がいいって」
「謝った方がいいって」
私は莉子ちゃんに付き添い、そういった声に押し出されるようにして校長室を後にしました。向かうのは、掃除の間校長先生が待機しているはずの職員室です。
そこで校長先生はすぐに見つかりました。
莉子ちゃんは勇気を振り絞って仔細を話し始めたのですが、その最中で耐えられなくなりついに涙を流してしまったのでした。
乱れた呼吸のためうまく伝えられたとは思えませんが、校長先生は私が言わんとしていたことを理解して下さったようです。
校長先生は担任の先生をお呼びになり、四人連れ立って校長室へと戻ることになったでした。
校長室に戻るまでのわずかな間、莉子ちゃんは私の腕にしがみつき、黙ったままでしたが、私はそんな莉子ちゃんに何と声を掛ければ良いかを考えていました。
ただ、頭をフル回転させて考えましたが、動揺した頭では良いアイデアなど浮かぶはずもありません。
校長室の入り口からは、入れ替わりでこちらの様子を伺うクラスメイトの頭が出入りしています。
みんな成り行きが気になって、おそらく掃除どころではないのでしょう。
莉子ちゃんに、一体どのような処分が下されるのか。記念の大皿はどうなるのか。
誰もが心配しながら、新たに担任の先生も加わった私たち四人を見つめていました。
校長室の机の前に集まると、すぐに「これか……」と言いながら、校長先生はヒビの入った皿を手に取り、その状態を確認し始めました。
そして、
「しまった!」
わざとらしく皿を落とし、完全に割ってしまったのです。
「いやいや、手が滑ってしまったよ」
その瞬間、担任の先生をを含め、その場にいた全員が目を点にしたまま固まってしまいました。
そして引きつっているみんなの顔をひと通り見渡して後、校長先生はその反応に満足したかのように笑顔で静かに話し始めたのです。
「この皿にヒビが入ったままでは、君はいつまでもクラスメイトに責められるだろうね。そして君の心にも傷は残り続ける。それは大人になってもずっと癒えることはないだろうね」
校長先生は私たちの目線と同じ高さになるまで腰をかがめると、同時に大きな破片を両手に取って私たちに見せました。
「だがこうして割れてしまえば、もう誰も君を責めたりはしないよ」
これまで校長先生とは、ひと言ふた言交わした程度です。
それなのに、ここにいる生徒みんなの将来を考えて、このような大胆なことをして下さるとは。
その思いやりに感激し、莉子ちゃんはもちろん、私の目からも、先程とは違う涙が滝のようにあふれ出てきたのでした。
「もともとこの皿は誰かを苦しめるために作ったわけではないですからね。これは割れて良かったんですよ。ねぇ、先生」
私たちだけではありません。それを受け取るはずだった担任の先生の頬にも涙が伝っています。
「はい、割れたことで逆に特別な思い出を作ってくれました」
誰かを責めるというのは、本人が感じるよりもずっと心に緊張を強いられるもののようです。
それから解放されたクラスメイトたちもまたホッとした表情をお互いに見せ合い、自然と笑顔になっていきました。
「怪我をしてはいけないから、これは私が片付けるよ」と、校長先生自ら空き箱に皿の破片を集め始めたところで、その日の掃除時間は終了しました。
その三日後、接着剤で復元され、化粧箱に納められたあの皿を、私たちは再び校長室で発見します。
そして卒業式終了後のホームルームで、その皿は私たちの手から担任の先生へと渡されたのでした。
おわり
※きっと校長先生は、ジグソーパズルがお得意なのに違いありません。