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84回目 終末の終わり

ガチャチャチャ、ガチャチャチャ。ゴトッ。  パカ

 この星で雨の日に傘を持たずに外出するというのは、その身を危険にさらすことに他なりません。


 小雨がいきなり暴風を伴った豪雨に変わるというようなことも少なくありませんから、できればレインスーツの着用も欠かしたくはないところです。


 雨に濡れることが即、死につながるというわけではありませんが、酸性の雨を長時間浴びていれば肌の炎症や布地の劣化は覚悟しなければならないでしょう。


 有害物質を含んだ酸性の雨を体内に取り入れるなどというのはもっての外。気象条件によっては呼吸さえも気を付けなければならないことだってあるのです。


 私がいま手にしているのはガラス繊維を織り込んだ撥水性の高い傘です。骨組みはグラスファイバーで非常に軽く、強い風にも耐えられるように造られていました。


 今日のところは、風はさほど強くはないのですが雨の量は多いようです。足下の雨水の流れにも気を配って歩かなければなりません。


 わざわざこのような雨の中を歩いて行くことなどないのではと思われるかもしれませんが、舞い上がる砂埃と強烈な紫外線を避けねばならない晴れた日の方が、実はかえって行動しづらいのです。



 地球がこのような有様になってしまった理由について語る時、その始まりは今世紀初頭まで遡らなければなりません。


 きっかけは、それまでずっと貧しかった国々が富を生み出す力を急激に付けてきたことにありました。


 世界で同時多発的に工業化、都市化が進行し、決して自然界に放ってはならない物質が、海に、山に、空に、とにかく大量に放出され始めたのです。


 衣食足りて礼節を知るということわざがありますが、衣も食も足りない間は、誰しも他人の迷惑など顧みたりはしないものです。


 最初のうちは近隣諸国の健康被害の増大が政治的問題として取り扱われる程度でした。先進国が通って来た道を我々も歩んでいるだけだ、というのがもっぱらの言い分だったのです。


 ただ、かつて先進国が工業化にまい進していた時代と比較しても、新興国の人口は問題にならないくらい多かったのです。排出される汚染物質の量は、誰のどんな予想よりも遙かに上回っていたのでした。


 こういうとすべては新興国のせいであるかのように感じますが、その国々に投資し多くの利益を得ていたのは、実は先進国の方だったのです。


 地球に住む人々の責任を伴わない富の追求によって進んだ汚染は、地球が人々を守れる限界を一気に超えてしまったのでした。



<全球溶解>



 世界が変わり始めたのは、今世紀半ばを過ぎた頃でした。


 突然降り出した強い酸性の雨が、地上のありとあらゆるものの形を強制的に変えていったのです。


 雨を避けることができなかった植物は枯れ、隠れる場所を失った生き物たちは死に絶えました。


 アスファルトは溶け、コンクリートの構造物は(かど)という角を失い、大都市のステータスでもあった高層ビル群は、まるで巨大な蟻塚のような姿に変わってしまいました。


 このような変化は一部地域に限ったことではありません。地球全体で一斉に始まったのです。


 結果として人々は、水と食料を失い、住む場所さえも失って、かつて経験したことが無かった苦しみを味わうこととなりました。さらに、暴風雨と強烈な紫外線が交互に繰り返し、わずかに生き残った人々にさらに追い打ちをかけ続けたのです。


 そんな状況が約二十年も続いていましたが、最近になってようやく酸性を示す値が下がり始めたのでした。


 とはいえ屋外で生命が生き続けられるような状態には、まだ回復できていません。地球の自浄作用が本格的に働き始めるには、まだまだ時間が掛かると計算されているのです。



 私は、溶かされ、流され、再び固まるというのが幾度となく繰り返されたアスファルト道路を、つまづいたりよろけたりしながら進みました。


 かつて高速道路の高架だったものが傘となり、向かおうとしている施設はその下で奇跡的に残っていたのです。


 天然石材の特徴を生かして作られたその建物は、かつての公立図書館でした。そこに今日、あるものが届けられることになっていたのです。



 図書館の中は、外とはまったく別物の世界でした。雨音は遠くのこだまのように聞こえ、空気は少し乾燥しているようです。古い紙とカビの混じった匂いが、この星がまだ青かった頃の記憶が蘇らせてくれるようです。


 外からキャタキャタと、かなりの重量を感じる無限軌道(クローラー)の音が響いてきました。


 「ついに来た!」


 私は急いで表へ出ると、大型のトレーラーが正面玄関へと向かうように案内を行いました。正面玄関の上には石造りの屋根が伸びており、雨の中でも安心して荷下ろしが可能となっているのです。


「お待たせしました」


 彼らが両腕で抱えらながらトレーラーのコンテナから降ろしたのは、大量の樹脂製の箱でした。それらは手押し台車に乗せられ、図書館の地下に設置された冷蔵庫へと、次から次へと手際よく運び込まれて行きます。


 そして、最後の箱が降ろされた後、荷物の搬送を指揮していた女性が、特別に箱をひとつ開けて見せてくれました。


 現れたのは、たくさんの植物の種子です。様々な種類の種が、丁寧に梱包されているため中の様子まではよくわかりませんが、それぞれの箱にはラベルが貼られ、何の種かわかるようにされていたのでした。


 かつて、世界には『シードバンク』と呼ばれる場所がありました。そこで再生された植物の種や苗が今、全世界に届けられ始めているのです。


 こんな状況であっても、未来を信じて、命を繋ごうとする人々はいるのです。その有様は、かつて私を含む多くの人間たちが犯した過ちの贖罪をしているようとも感じられるのですが。



 雨はまだ降り続いています。けれども、私の心の中には、新たな希望の光が差し込んでいました。


 それは、やがてこの星に、緑の葉を茂らせるかもしれないという希望。小さな、しかし、確かな光だったのです。



おわり


※いやぁ、この暑も夏かったですねぇ。


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