28回目 古井戸
ガチャチャチャ、ガチャチャチャ。ゴトッ。 パカッ。
地方の山奥に戸建ての家を買い、私はそこで念願のリモートワークを始めることにしました。
昭和中頃の古い一軒家ですが、庭は広く、その隅には井戸もあります。
朽ちた屋根と滑車もありましたが、井戸自体は金属性の蓋で閉じられています。
隣に設置された電動式のポンプは、まだ動かせるとのことでした。
ただ、井戸自体の掃除が必要ということで、使用はまた業者の都合がついてからということになりそうです。
ここに暮らすようになって数日が経った頃から、時々夜中に庭の方で、女性がすすり泣くような声が聞こえることがあります。
最初は気持ち悪くて、庭をのぞくのも嫌だったのですが、慣れてくるとそれを腹立たしく感じるようになってきたのでした。
確認しようと庭に出てみると、どうやら声は井戸の方からするようです。
「やっぱりね」
近づくと、その声が若い女性のものだとういうのもはっきりわかります。
だいたい男の場合は、こんな風に寂しげな声を出して泣いたりしませんから。
翌日、昼のうちに井戸の蓋を開けて確認してみましたが、中には何もありませんでした。
掃除が必要とのことでしたが、確かに少々ゴミが浮いているのと、一部石組みが崩れている箇所が確認できます。
水自体はかなり透き通っていて、水深は深そうですが、懐中電灯で照らすと底まで何も無いのがしっかりわかりました。
もちろん人の骨などありません。
「昼間は誰もいないということか」
夜まで待ちますと、その日の泣き声はいつもより大きく聞こえました。
「昼の間に、蓋を開けたままにしておいたからだな。よし、行って苦情をぶちまけてやろう」
私は懐中電灯を手に庭へ出て行きました。
井戸へ向かうにつれて、泣き声もしっかり聞こえるようになります。
幽霊といえども、元は人間です。理を説いてやれば、案外大人しく成仏してくれるかもしれません。
とりあえず、懐中電灯を井戸の底に向け、底の方を覗き込んでみることにします。
するとその瞬間!私は誰かに後ろから押され、頭から井戸の中へと落とされてしまったのでした。
懐中電灯の明かりは消え、どちらが上かも下かもわからないまま藻掻き続けていますと、おもむろに、井戸の中に『ありがとう。おかげで助ました』という女性の声が響き渡りました。
しまった、そういうことだったのか!
おわり
次の身代わりが来るまで、この井戸の中で何十年も過ごすことになるのか……。
と、一瞬だけそう思いましたが、そもそも結構水深のある井戸です。突き落とされたくらいで死んだりはしませんし、幸いなことに深刻な怪我も無いようでした。
井戸の石組みで一旦体を安定させ、手探りでその感触を探っておりますと、どうやら指で掴めるだけの凹凸は十分にありそうです。
苔の感触に気を付けながら、フリークライミングで鍛えた握力で石組みを上って行ったところ、30秒とかからずして井戸の上にたどり着いたのでした。
すると井戸の脇には、濡れた長い黒髪を指でとかしている若い女性の幽霊が!?
しかも、まるで幽霊でも見たかのような形相でこちらを見返していたのでした。
私にも彼女自身にも理由はよくわかっていませんが、結局女性の幽霊は、呪縛が解けて自由に活動ができるようになったようでした。
もっとも活動できるのは、夜間のみという制限があるらしいのですが。
今は私へのお礼ということで、ありがたいことに毎日朝食を作ってくれています。
おわり
※その朝食って、食べても大丈夫なの?




