18回目 龍の目玉
ガチャチャチャ、ガチャチャチャ。ゴトッ。 パカッ。
事の起こりは今から二十年ほど前になります。
「今日からこちらでお世話になります。学芸員二年目の滝沢です」
大学の資料保管庫を訪れたのは、博物館から派遣された女性でした。
「主任から伺っています。藤田と申します。こちらこそよろしくお願いします」
運び込まれたまま、机、床に積み上げられたの大量の資料の前で、これからの作業の段取りを考えていたのが、この古文書整理担当の男性の助教授です。
「これが件の資料ですね。それにしてもこれだけあると、どれくらい期間がかかるかわかりませんね」
「滝沢さんの古文書の読解力は太鼓判と伺っています。期待していますよ」
「恐れ入ります。で、これはどちらの資料なのですか?」
「実は大学の近くなんですよ。旧庄家の蔵からです。ざっと目を通しただけでも、かなり資料的価値がありそうでした。間違いなく新しい発見もあるでしょう」
「ワクワクしますね」
その時です。滝沢の耳に、何者かが訴える声が聞こえてきました。
「………? 藤田先生。今、何か仰いました?」
「いいえ。何も」
すると次の瞬間、強い地震によって建物が大きく揺さぶられました。
積み上げられていた資料の一部は崩れ、彼女の足下には、ミカン箱くらいの漆の箱が落ちてきたのでした。
「すごい地震でしたね。滝沢さん、大丈夫でしたか?」
「はい。大きな箱に潰されそうになりましたが、大丈夫です。でも緊急地震速報も流れなかったですね」
「たしかに」
「ところで藤田先生、この箱って何ですか?」
滝沢は足下に落ちてきた黒い漆の箱を持ち上げて、机の上に戻しました。
素材が桐とするならば、重さとしては大体想像した通り。経年による傷みはありますが、漆塗りは上等な仕上がりです。
ただ、特徴的と言えるのが、幾重にも複雑に巻かれた組み紐と、箱の蓋、四方に『封』と書かれた札が貼られていることでしょう。
「禁忌な雰囲気を感じるよね」
「さっき、何か仰いましたか?と言った声。実は、この箱から聞こえてきたような気がしたんですが」
「まさか!? 本当に?」
「おそらくですが、本当に」
「実は、僕はオカルトが大好きなんだけど」
「開けてみてもいいですか?」
「マジで言ってる?」
「一応、本気で」
「なかなかの勇気だね。念のため言っとくと、ここの物は、売ったりしない限り、すべて自由にしていいことになってるから」
「ということは……」
「いってみようか」
ここでの彼女の初仕事は、どうやらこの箱からになりそうです。
二人は紐の結ばれ方を写真に収めながら順に解き、最後に糊の効果がほとんどなくなってる箱の封を、丁寧に剥がしていきました。
「じゃあ、開けるよ」と言って藤田が蓋を持ち上げます。すると箱の中には、さらに時代を経たと思われる漆の箱が収められていたのでした。
「漆の箱の中に漆の箱というのは珍しい気がしますが、中の箱の方がより時代を遡る感じがしますね」
箱は外箱の複雑な組み紐とは違い、一本の紐で横一文字に、一通の封書と共に縛られていました。
中箱の上に置かれていた封書の題は『龍の目玉』となっています。
まずは藤田がその封書を抜き取り、中の文書を広げていきました。
「中身には何と書かれていますか?」
「ずいぶんとクセの強い筆跡だな。誰かに読ませる気なんてないんじゃないか。えぇっと、これは本物の龍の体の一部で、……封を解くな。……箱を開けるな。えぇっと……覗くな。それから、声を掛けられても応えるな……っていう感じかな」
「えっ!?」
「滝沢さん。君、さっき声が聞こえたって言ってなかった?」
「はい。でもその声に応えてはいません」
「ふむ。何て言ってたかわかる?」
「いえ、まったく。返事もしていませんし」
「もし仮に応えていたらどうなったんだろうか。文書には、箱を開けたらその地域一帯にに災いがもたらされるとも書かれているよ」
「開けた人に祟りが、とかじゃなくて、一帯に何か良くないことがおこるんですね。でも、そんなこと、あるんでしょうか?」
「じゃあ、中の箱も見てみようか」
「先生も躊躇しませんね」
そう言って藤田が中の箱を取り上げた時です。建物が再び大きな揺れに襲われました。
「先生!箱を落とさないように気を付けて下さい!」
叫びながら、滝沢はバランスを崩しかけている藤田に近寄って箱を支えると、二人で机の上へと戻しました。
「危ないところだった。ありがとう滝沢さん。しかし、これは……!?」
地震の揺れ自体はすぐに収まったのですが、今度は漆の箱自体に異変が起こっていました。
「何!? 何で動いてるの?」
箱の蓋が、中から何物かに突き上げられるようにして、開こう開こうとしてガタガタと動いているのです。
横一文字の紐で縛られていますから、すぐには開かなかったようですが、この中には意思を持つものが入っているとしか思えません。
二人がその状況に呆然としているうちに、紐の結びがわずかに緩んだのでしょうか、蓋の隙間から何かが覗こうとしているようです」
「ヤバいっ!! 滝沢さん、これはどう考えても、さすがにヤバいぞ!」
「ですねっ!! 私も安易に開けてみたいなんて、考えが甘かったと猛省していますっ!」
言いながら、藤田が両手で箱を押さえている間に、滝沢は紐をきつく縛り直しました。
重量をあまり感じられない何かが、箱の中で暴れている振動を両の腕に受けながら、二人は箱を元通り外箱に収め、封印の紙を化学糊で貼り直したのでした。
二人とも慌てていて気が付きませんでしたが、作業を終える少し前には、すでに箱の振動も収まっていたようです。
「ふうーっ。これに触れるのは、もう止めておこう」
「ですね。私も反省しています。どういうつもりで、どういう思いで、昔の人がその文章を綴ったのか、そこに思いを巡らせるという古文書学の原点を忘れていました」
「なるほどな。僕も勉強になったよ」
「ところで藤田先生。実はちょっと気になって……」
「うん?」
「さっき気象庁のページを見てみたんですが、地震なんて起きてなかったんですよ」
「マジか!?」
「本当です」
「二回とも?」
「はい」
「少なくとも震度4以上はあったぞ」
「緊急地震速報、鳴らなかったじゃないですか」
「確かに!」
「やはり、あそこで引き返したのは正解だったようですね。中身が何なのか確認できなかったのは残念ですが、この出来事を経験談として語れるだけで、今回は十分成果があったとしませんか?」
「そうだな」
その後その箱は、赤いマジックで『祟りあり、開封厳禁』と書かれた紙を貼られ、資料保管庫の一番奥にある、古い大型金庫の最奥にて厳重に保管されたのでした。
それから約二十年の時が流れ……
今現在、大勢のテレビ・スタッフやタレントが、その金庫をぐるりと取り囲んで撮影を行っている真っ最中です。
「大学の資料保管庫の隅に、数十年放置されたままだった謎の金庫。鍵もダイヤルの番号も紛失して開けられなくなったこの金庫に、神の手を持つと呼び声の高い天才鍵師が、今まさに、挑もうとしています!!」
おわり
※ちなみに、この物語の前日譚が、拙著『レンタル・ドリーム』の中にあります。以上、宣伝でした。