119回目 とある魔王の物語
ガチャチャチャ、ガチャチャチャ。ゴトッ。 パカ
かつて世界中を震え上がらせていた恐ろしい魔王が、ある日ふとしたきっかけで、人々に感謝されるという珍しい経験をしました。
魔王の城の近くで薬草を探していた男に、薬草の生えている場所を教えてあげただけだったのですが、突然男の表情が笑顔に満ち、心からのお礼の言葉が返ってきたことで、魔王の胸の奥には、長い間感じたことがなかった温かさが広がっていったのです。
破壊と恐怖だけが自分のすべてだと思い込んでいた魔王は、その優しい温かさに驚き、そしてとても嬉しくなったのでした。
その嬉しさが、魔王を思いがけない行動へと向かわせました。
困っている人を見つけては、そっと手を差し伸べるようになったのです。荒れた土地を一晩でふかふかの土に耕したり、壊れた丸木橋を頑丈に直したり、夜明け前の暗い道にぽつんと灯りをともしたり。
いつしか魔王の名は、恐ろしいものとしてではなく、恵みをもたらす優しい存在として語られるようになりました。
城の門の前には野原の花束や手作りのクッキーがそっと置かれ、子どもたちは魔王の大きな影を見つけると、嬉しそうに大きく手を振りました。そのたびに、魔王がずっと抱えていた深い孤独が、少しずつ溶けていったのです。
けれども、人の心は、魔王が思っていたよりずっと複雑でした。
初めは純粋だった感謝の気持ちは、やがて、またやってくれるだろうという期待に変わり、いつしか、やってくれて当たり前だという要求へと変わってしまったのです。
最初はささやかなお願いごとばかりだったのに、もっと、いつも、どうしてやってくれないのと押しつけるような声が増えていきました。
魔王にとって、それはかつての暗い恐怖を思い出させるほどの息苦しさでした。
そして、魔王がほんの一度だけお願いを断ったときのことです。悪い噂はあっという間に広がり、恩を仇で返すような冷たい視線が、魔王に向けられるようになったのでした。
悲しみと怒りが入り交じったとき、魔王は昔のやり方をふと思い出しました。といっても、もう昔のような恐ろしい破壊はしません。魔王は、少しだけ皮肉のきいた嫌がらせをすることに決めたのです。
真夜中に村の広場の鐘を逆さまに吊るしてみたり、道に迷わせるような小さなきらきら光る霧を撒いてみたり、無理なお願いをしてきた役人の書類を、すべて蝶々に変えてしまったりしたのです。
人々は再び困惑し、広場や家々から、恐れと不満の声があがりました。
それを見て、魔王はどこか満足そうに微笑みましたが、実は、人々の感謝の言葉に酔いしれる優しい自分と、冷たい拒絶に傷つきやすい不器用な自分、ふたつの心がせめぎ合っていたのです。
今でも魔王の行いは、善と悪のあいだを振り子のように揺れ動いています。人々は魔王の優しさを慕いながらも、同時にちょっとだけ警戒しているようです。
魔王自身も、誰かの期待に応えることと、自らの気分との間で揺れながら、今夜も城の窓から、遠くで瞬く村の灯りを静かに眺めているのです。
おわり
※褒められてばかだと、そのうち図に乗り始めるるが必定(笑)




