#8 レイタイ
「大阪府大阪市生野区の駅周辺で、昨夜午後7時頃、暴力団組員とみられる住所不定38歳の男と、小売店店主の72歳女性が争いとなり、男は死亡、女性は耳に重症を負う事件が発生しました。なお男はピストルを持っており、ほかにケガ人はでませんでした。警察の取り調べによりますと女性は、金銭トラブルが原因で執拗な取り立てにいつも悩まされていた、と供述しており、警察はさらに詳しく事情を調べる方針です。
なおこの事件はSNSで瞬く間に広がり、現在でも多くの話題を呼んでいます。一体何が起きてしまったのか。真相を突き止めるべく地元の方々からインタビューをもらいに、特派員が先ほど現場に到着した模様です。・・・あっ、今中継がつながっています。大西さん。現場の様子はいかがでしょうか?」
「はい、大西です。只今この小さな商店街で騒ぎがあった周辺にきております。取材に応じてくださった地元の目撃者とおっしゃる方々にお集まりいただいております。只今より詳しく話を聞いていきたいとおも・・どわっ、押さないでください。今中継まわしてますから。待ってくださいとあれだけ⋯わっ!⋯お、落ち着いて!ね。昨晩の現場の様子はどのようなものだっ・・・・」
「もう、そりゃ殺伐としてましたわ!包丁で戦う婆さんと銃を持つチンピラがやで。でもね、婆さんちゃうねん、殺したのは。」
「・・・と、いいますと?」
「猫やねん。ワシャこの目で見た!大勢見とるわ。なあ?」
「そうよ!私も見たんだから!あの子、よくこの辺で見る野良猫よね?」
「俺もだ!しっかりこの目で見たぞ!猫がきれいにひゅんと飛んで、落ちてる包丁の刃をヒュッと喚き散らす男の顔めがけて飛ばしたんだよ!」
「私も見ました!きれいな目をした猫!」
「ワシもじゃ!ハチワレじゃったの!勇敢じゃった・・・!」
「ホンマやで!ワイもみよったわ!颯爽とタイミングよくな、人を避けてピュン!ヒュッ!サクッ!とねぇ。おいアナウンサーさん聞いとーーー」
「・・・げ、現場からは以上です!」
「その猫はねー!サキ」
中継が途絶えた。
「うーん、何やら猫が男を、といった声がありましたが、本日は法律に詳しい、元検事で現在は弁護士をされている、荒森弁護士にコメンテーターとしてお越しいただきました。こんばんは。荒森さんはこの事件、どう見ますか?」
「非常に難解な事件です。もし猫が殺人したとなると、通常その飼い主に業務上過失致死が問われますが、先ほどチラっと、『野良猫』とおっしゃる方もいらっしゃいましたよね?そうなってくると立件・起訴は難しいです。法律に出てくる『動物』は、飼い主がいることが前提なんですね。ですのでこの場合・・・」
ビショビショになったおれとバッチは深夜、久々にこの梅屋の家に上げてもらって、大嫌いな桶の湯に浸からされ、疲れて寝て、起きて、豪勢な刺身盛りを朝からご馳走になり、お姫様とバッチとテレビをぼんやり見ていた。
今でも外は騒々しい。
・・・きっかけは俺やけども、殺したのは俺だけじゃないんや、商店街のみんな。
そして俺の隣でテレビを見ながら「ふんふん♪」と言いながら、ニコニコしている姫を眺める。
・・・実は、猫の目に映るこの世界は人間の目に映る世界とは大きく違う点がある。
例えば猫は人間に懐く時、その人本人にだけ懐くのではない。その背後に宿る、「霊体」との相性も重要なのだ。もちろん、話す人間の匂いや雰囲気、態度や仕草、愛情と優しい手つき、表情や声のトーンも大事なのだが、それはそれで、魅力の一つとして、しかし、何と言っても憑いている霊体の存在が大きい。
猫には、生身ではない様々な有象無象達が目に映る。温かい守護霊には近寄りたくなる。恋しくて恋しくて、ほおずりしてしまうこともある。雰囲気で、その霊体が過去にどんな苦労をしてきたか、感じ取ることが出来る。相性にもよるのだが。
残忍であったり、つまらない霊が憑いている場合は何をしてきてもイカ耳になる。目つきや冷たい声、呼吸の粗さ、ひりついた動き、我慢や焦りの心情。大抵憑いている霊によって、本人のひととなりは大概が決まってきてしまう。
陣爺の背後には、まるで鬼武者のような見た目の、それはそれは恐ろしい甲冑の背後霊のようなのが憑いていた。だが見た目とは裏腹に、心優しく、芯があって、筋を通し、無口。周囲の者を愛し、守るために命を懸けて戦ってきた武士そのものだった。
たやすく笑顔など見せぬ!!といった面持ちだが、しかしなぜか、俺とバッチを目にするときは、優しい目をしていた。
にこやかに、「元気か?」と言わんばかりに陣爺が手を伸ばすといつもそれに重なって、一緒になでてくれていた。
梅婆の背後にはいつも寂し気で大人しめな、髪の毛の黒い、あるお姫様が憑いていた。
しかし内面は笑い上戸で、梅婆が陣爺に悪態をついたり叱ったりしていると、姫は腹を抱えて笑う。ごはんだよと梅婆に呼ばれてそちらを見ると、一緒にその姫は片手は袖の中から口元に、フフフと、もう片手で手招きして、俺たちを呼ぶ。そして、陣爺の鬼武者と同じように、梅婆の手と重ねて、食べているときには一緒に頭や背をなでてくれる。
ここの住人達の背後にも、1人や2人、背後霊やら守護霊やらが取り付いて気まぐれに現れたりしていた。いつもそこの角で突発的に始まる、おばさん方の井戸端会議では、友達が集まり始めて1,2時間も経過すると話に花が咲きに咲き乱れ、皆帰り際を逃し、その心の中では夕飯の焦りを感じだす。その時、実は背後で背後霊たちは、「はよかえしてやりーや!」と、騒がしく取っ組み合いをしていたりする。
逆に口げんかになっているおっちゃんたちの背後では、原始人のようなゴリラと、若い男の子の霊が長くなると知っての事か、囲碁をしだしたり。見ていて退屈しない。
姫は最近ずっと、無表情で1点を見つめるような表情で、宙で正座をして、梅婆を眺めもせずにただ座っていたり、時折、しくしくと泣き出していた。
昨晩の事件の時は、それはそれは恐ろしい形相で男を見つめていた。まるで呪い殺そうとするかのように、血走った目で、見ていた。「この恨み、はらさで置くべきか・・・」と。
俺の放った「オンネン」は、俺一人の技じゃない。もちろんハチロク親分から譲り受けた技法のおかげもあるが、それだけでもない。霊単体では直接、この世の物に物理的な干渉をすることは出来ないが、「人」のふとした感情を高めたり改めたりする場合がある。しかしあらゆる「物」に宿る引力や時の流れや動くための作用については、主に猫の行動をきっかけに霊が同調しやすい状態に仕上げることができる。この技はそういう技だった。
ーーーー。
「事を事とすればすなわちそれ備えあり。じゃい。この意味がわかるか?佐吉、ヨカゼ。」
「そりゃ、どういう意味で・・・?」
「俺がなぜ、目を開けずとも的を射るか、じゃ。そりゃ霊の力や。」
どどん・・・!!
目の前に、急に人間やら動物が現れた。
「えっ・・・ええええ!!!」
ヨカゼと俺はビュンと飛び跳ね、反射的に毛が逆立った。
「はっはっは!安心せぇ。こ奴らは皆、ワシの仲間じゃ。そうさな、太古からの。全部は見えとらんと思うが、あ、あと、ハエのもおるぞ。」
それら、ハチロク親分を囲う霊体達だった。
そんな存在は度々見ていたがいったいそれが何だというんだ、何もできやしないのに。と、それまではそう思っていた。
「こういう準備もあるに越したことは無い。ワシは仲間を作り、増やしたり、縁を深めてゆくことこそが、備えと見ちょる。さて、おぬしらにはその一助となる、面白いもんを見せてやろう。そこにコカコーラの赤い空き缶があるやろ?見とけ。」
その凹んだ空き缶の片側を踏んでコーンと宙に飛ばした。同時にヨカゼと上を見上げ、真上に飛んだと思ったら、そこにスーッと、黒装束の忍者みたいな霊が現れ、サッと空中の空き缶を蹴る仕草をする。
すると急に強烈な風が吹き、空き缶はひらりと回転しながら少し離れた別のコカコーラの空き缶にカーン!カラン、と当たって転がった。この辺に同じような空き缶は転がっていない。
俺とヨカゼは絶句した。
「フン。ざっとこんなもんやの。どや、わかったかえ?ん?」
何も分からない。なんでヤツらがこの世の物に干渉出来るのか。
「だーっはっはっはっ!そら分からんわな。教えてなかったからのう。まだまだ小さかったし、考えも浅はかじゃ。一つ間違えば命がないもんやし。じゃがもうそろそろええやろ。その落ち着いた面持ちなら。おん。」
ハチロク親分は俺らの目を改めて睨みつけ、その後納得した表情をした。
「ソコに2匹並んで巻き座りや。ほんで、目を瞑れ。」
言われた通りに俺とヨカゼはドラム缶の上に並んで、目を瞑った。
「そのうち、目の前に小さな白い点が現れて来るからの、そうしたらおまんらの髭の毛先に、鋭くアンテナを張れ。ええか?」
すると、本当にその白い点が闇の中からゆっくりと現れる。髭の先に意識を集中すると、その点は少しだけ、そしてゆっくりと広がった。しかし5mmといった感じか、それ以上はなかなか広がらない。その奥にあるものは何とも筆舌に尽くし難い、おそらく物凄い数の霊の数。膨大な思念の量を感じる。
「おい、ヨカゼ、見えてるか・・・?オレは震えてとるぞ・・・なんちゅーこっちゃ・・・」
「ああ、見える・・・!そして感じるよ!あたいはこんな思いの渦が・・・この世にこんな思いが渦巻いてるなんて、露ほども思わなんだ・・・」
「どや、すごいやろ。ワシが過ごす世界はその世界や。ソコを制したもんはこの世を制す。肝に銘じときーや?ほな、よろしゅう結はん。・・・よし、佐吉、ヨカゼ。そのままじっとしとけ。もっとみたいやろ。その白い隙間のその先を。今から施術するでぇ」
「へ、へい。」
「はい・・・!」
「奥義、画竜点睛」
ちくっ!ちくん!!!!
「にゃっ?!」
ちくん!!ちくっ!!!
「・・・?!」
髭の根本の、二つに割れた上唇の両方に鋭い痛みが走った。
「?!う、うわあああああ!」
感覚としては、目を瞑った闇の中で、想像の中の自分の髭がどんどん伸びて、小さい白い点をこじ開ける感じだ。その扉はみるみる広がり、やがて全開となる。そこは、見渡す限り、白銀の世界だった。夜なのに、明るくて、ポカポカしていて、心地よい振動が絶えない、心安らかな重低音の音が鳴り続け、自由な世界だった。そこに、無数の霊体が踊るように舞っていた。
「よし、目ぇあけぇ。」
暗いのに、その白銀の世界と夜の情景が重なり、明るい。
目の前にはおかめさんのような女性の霊体が微笑みながら佇んでいた。
「この霊体は鎌倉時代を生きていた『結』はんや。当時は裁縫の名手、針と糸の使い手、河内国錦部、今でいうとこの大阪府河内長野市に構えた、奈良時代から伝わる由緒正しい錦織の達人やったそうな。」
「初めまして、佐吉さん、ヨカゼさん。」
「うわああ!しゃべったああああ!!!!!」
二匹は度肝を抜かれた。
その様子に、あらあら、くすくす、と袖の内から口元に手を当てる。
「ねえ佐吉さん、少しお願いがあるの。私には過去未来が見えるのだけれど、私はあなたがまだ知らない、中将姫の末裔なの。そして、梅さんはさらに私の末裔。いつかあなた達がもっと大人になったある時に、その、私の先祖が佐吉さんの目の前に現れることでしょう。そうしたら、仲良くしてあげてくださいね!」
「フム。この結はんは霊界では、過去と未来を結ぶ時間の裁縫、つまり今や神に近い存在や。まあ長い付き合いになるやろて。それはそれは、永い永い、な。」
ーーーー。
そうして、俺が放った出刃包丁が何故あんなにもきれいにあの男の目を目掛けて刺さったのか。
それは・・・そう、梅婆に取り付いている姫、もとい、中将姫が「よくも私の末裔を・・・よくもわが末裔の大切な人を」と、怒りに震えていたので、その後の悲しむ姿だけは見たくなくて、出刃包丁の刃に霊力を同調させ、空中に飛ばし、中将姫がそれを空中で握り、力強く、真っすぐに男の目に突き立てたのだ。
それが、ハチロク流奥義、『オンネン』。