#7 コンゼツ
「はあ、はあ、せ、誠也さんが・・・殺されました・・・」
「あー、それチーな。えーとどれ切ろうか・・・えっ?今何ていった?和夫。」
麻雀をしていた4人が、慌てて帰ってきた若い男の方を向く。
「誠也さんが、殺されました・・・梅屋の取り立てに一緒に付いていったんですが・・・」
「誰ぇーにやられたんや?あいつぁまだ簡単に死ねんはずやで。大事な大事な妹がおるけぇのぉ。」
「そ、それが・・・猫なんです。」
「ええ?」
「だーーっはっはっはっは!」
雀卓の残りの3人が声を出して笑う。
「おまん、バカにしとんのかワレコラ」
「ほ、ホンマです!包丁を、そらもう器用なもんで、ビューンと。」
「はあ、何わけわからん事吹いとんねんおまえは。ネコが人を殺した言うんか?酔うとんのか?」
「とんでもない!酔ってなんて・・・いやぁ・・・どうやって説明したらいいんだ・・・?ええ、まあ、はい。ネコが誠也さんを殺しました。」
どっしゃーん!!!
あの重い自動雀卓がひっくり返って、近くのガラスのテーブルを割った。
「あーっはっはっはっは!!」
「何言うとんじゃ!もうええわ!場所はどこや。連れてけ!」
「へ、へい。」
どっしゃーん!!!
事務所の下からも、何やら物音と、悲鳴が聞こえる。
「ふぐぁ・・・!!!」
「こんの、離せこいつ・・・!!」
「う、うわあ!なんやこいつ!?ぎゃあ!い、痛っ!」
な、何事?と、親分は戦争でも始まったのかと、額から汗が出てきた。
「あーあ面白いことをいう子分だな、源さん。・・・麻雀は今日は終いだな。あんたの大負け。ええと、私に1320万ね。キッチリ後で・・・あ、もしもし俺だ、リャンリェンチーチェンファーシャンライーシエンマーファンシ・・・」
シナの下衆が・・・
そう思いながら源は下の階を覗いてみる。まだ上には来ていないようだ。
チャカ持っとったら厄介や。防弾チョッキ、防弾チョッキ・・・あれ?どこやっけあれ。
「どごやあ゛れ・・・・あ゛?」
声が。あれ?
喉笛が掻き切れていた。
「ごぽぽぽ・・・ごれあ?あれもおあんがったごぽh・・・」
誰や?誰もおらんかったやんな?
何もない所から、急に鋭い痛みを食らう。そんな経験が今までにあっただろうか。
修羅場はこの世界でも自慢できるくらいにはくぐってきたつもりだ。だが・・・なんだこの空気は。俺の知らない危険が、まだこの世にあるってーのか?
「にゃぁ」
親分はその声のする階段を見下ろした。
すると、きらりと光る2つの目。
よく見ると、口元が真っ赤な猫が、自分の足元の階段2段下にいた。
「ひぃ!!!多分そいつです!誠也さんをやったのは!確かに、猫でしょ?!」
はあ、人間ってやつぁ、なんて薄ノロだろう。あと何秒経ったら、まともに戦いが始まるのだろう。不思議だ。人間だった頃と時間の流れがまるで違う。気づいたと思っても、やれ、驚いて?そして怒った顔をして?そして力を込めて、やっと右足がでて、腕を伸ばして・・・?はあ。鈍臭いったらありゃあしない。のろすぎるんじゃ。人間の肉体は。
猫は、反射神経が良いわけじゃない。身体能力が高いわけでもない。筋肉だって、猫にはあまりつかない。身のこなしが器用なわけでもない。人間は勘違いしている。なぜ猫がそうなのか、それは時間の流れがまるで違うだけだ。人間に比べて、身軽なだけだ。
例えばウサギ。あいつらも、猫よりも感じている時間の流れが遅い。
人間が捕まえようとして、よくフェイントして逃げやがった!と、取り逃がす事がある。だがそれはフェイントじゃない。単純にそっちの方に逃げた方が面倒がなかったから、人間の体の向きが右の方に向いてきたから、面倒くさくなさそうな左に避けた、ただそれだけのことだ。
よく梅屋の魚の上で舞ってるハエどもはもっと時間の流れが遅い。
逆に象は?俺は一度だけ、前世でインドへ向かう行商人が乗る象という生き物を見たことがある。
あの生き物は人間よりも薄ノロだ。そして長命。きっと人のことを『なんてせわしない奴らだ』と、見ているに違いない。
俺は颯爽と、その禿げたおっさんから伸びた腕の上を駆け登る。
「うがぁあ!あんあ!んあんあああぎゃー!!!!!」
血走った目。喉から噴き出る血。
逆の手で俺を捕まえようとしているので、そっちの腕に飛び乗って、悠々と頭上に乗る。階段を見下ろす形で。
「あ゛・・・?」
ムキムキムキムキ・・・・
階段下のバッチはこちらを見て顔を青くしている。
「佐吉・・・兄ぃ・・・!」
腕の太さが普段の2倍、3倍はあるだろうか。
爪の太さも鋭さも普通の猫の大きさじゃないはずだ。
「禿げた頭にゃ、小さな爪じゃぁ役に立たんわな。ずびずびずび。よし、こんなもんか。」
でかい爪が、みるみる源の頭皮に食い込む。
そして佐吉は前転する。
「ふはははは!ハチロク流奥義。全界天・・・!!くぁっ!!」
「ああ、ああああ!あああ!」
どしゃ!どどん、どしっどしん!どどど・・・パカン!!!
バッチは物凄い回転で転げ落ちる源を避けた。床に置いてあった木箱の角に見事に頭を打って、目を見開いたまま動かぬおっさんの下向く横顔を、バッチはすぐ横から見て、そして震えた。
子分の和夫が駆け寄って、階段上から見下ろす。
「お、お、親分ーーー!!!」
階段から駆け下りてくる。
「佐吉兄・・・!何て猫や・・・!あの腕は、なんや・・・!?鬼の所業や・・・!人間をああも簡単に・・・!!!」
そうだ、その姿には見覚えがあった。佐吉兄の脱糞の体制。本気の脱糞。その時に見せるあの体制と同じだ。ムキムキムキ・・・っと、鬼のような形相と異常に膨れ上がる上半身。脆くなったアスファルトの粒が、爪ではじけ飛ぶ。その時ばかりは佐吉兄と目を合わさないようにしていた。
パンっ!!
はっとした。しかし佐吉兄は、俺が弾丸を見逃すか?と言わんばかりに、ちらっと階段下のバッチを見下ろしながら、舌なめずりをしている。
銃声に驚く仕草は少しも見せない。驚く間もない。急いでバッチは階段を駆け上がった。中華系の男が3人。一人は倒れた雀卓の裏から銃をこちらに向けている。一人はムキムキマッチョ。もう一人は目の色が死んだ顔色の悪い男。どちらも切れ長な目。銃の男はサングラスをしていた。
「来るなバッチ。」
パンッ!パンッ!!
佐吉は階段を登り切ったところにある台所の流しの中に隠れた。
雀卓裏のシナ野郎は何やら電話で話しながら、銃を乱射してくる。
「おい和夫!お前は新宿へ行け!電話で話はついている!その下の階に木箱がある!いくつか中の物をもっていけ!」
和夫は源を見下ろしながら、ドスやらをサラシに差し込み、泣きながらさらに奥の階段を駆け下りていった。
木箱の裏に隠れていたバッチが階段を駆け上がる。
「ひい!まだ居たのか?!」
「佐吉兄!オレ分かるんす。人間の心の動きが。ずる賢い人間ほど細かくね。チャカ野郎のことは任せておくんなせぇ。」
バッチは幾度となく人の行動の先を見通すことがあった。
俺はそれがなんとも、不思議だった。まだ開眼していないのに。
「佐吉兄!あなたから教わった技、今こそお披露目する時や!」
スタスタスタ。タンタンタン。
異様なステップを踏んでいる。
「うおっ!また別のネコが出てきた!!」
「みとけ、これが秘伝の朧月夜の舞」
「お前・・・それは、ハチロク親分の技じゃ・・・!」
「はい。暇さえあれば練習していやした。」
「うん??こいつ、重なってもう一匹さらに増えたぞ?何匹おんねや!」
ヒョロイのが騒ぎ出す。
「ええい・・・!しんどいのお・・・!」
捕まえようとするもスッとすり抜けてしまう。
「えっ?あれ?どこだ?」
ゴツイほうの男もわけもわからず、咄嗟に背中に仕込んだカランビットを両手に構える。
「なんじゃこりゃ・・・!?くっそ。むううううん!!」
宙を舞うバッチの幻影目掛けて、しゅん、しゅん、と両手のカランビットが空を切る。
しかしバッチの幻に、かすりもしない。
「うぁああお・・・」
バッチは奇妙な猫語を出す。
前から後ろから、声が響く。
「にゃあ・・・!」
「バッチ、明かり消すぞ。
俺はシンクから飛び出して、階段の上の傍にある壁の電気のスイッチを蹴った。
そう。ハチロク親分が『白夜』をかましたあの日、親分は目を瞑っていた。
ハチロク親分の技の多くは、光を必要としない。
「月は時に雲隠れ、時の流れの気まぐれの。照らす夜道の月光を、今か今かと待ちりゃんせ。待ちきれぬなら明るみへ、抜き足差し足まわりゃんせ。朧の月が出てきたら、そこに現る幻に、戸惑いながらおどりゃんせ。行きつく先は闇の奥。深い深い闇の奥。」
「ぬぁぬぁにゃににゃーにゃにゃうぉぬー・・・」
「こいつ・・・なんか言い出したぞ・・・?猫語?わからんが気をつけろ。この猫ら、なんか様子がおかしい・・・源の奴を一瞬で伸してるしな!」
ヒョロイのが戸惑う。
「ひとたび口に兄の事、云えば草木が騒ぎたもう。音ある先を辿ってみれば、そのうち声枯れ音も消え、気が付きゃそこは空の世界。」
バリバリバリ・・・ズドーン!!!
ざーーー・・・・
雨だ。それも土砂降りの。
下の階の電気も消えた。外の明かりも窓からかすれ、一段と部屋が暗くなる。
まだ小さい頃のことだ。佐吉兄は押入れの中の寝床の箱で眠りにつく前に、俺に不思議話をしてくれた。
ーーーー。
「バッチよ、夜目を鍛えろ。そして慣れてきたら、次はその髭の先に気配を感じられるようになる。全身の毛という毛まで、神経を研ぎ澄ませれば光など必要ないんだ。その肉球はさらにお前の気配を消してくれる。闇に溶け込め。これはな、遠い昔に俺の先生から教わったことや。夜は暗い。しかしだからといって、理不尽な暴力は待ってくれん。いいか?」
「うん。でもヤメってなあに?」
「これのことだ。」
佐吉兄は瞳孔をぎゅんぎゅん動かして見せた。
「うわぁ・・・すごい」
そして、青目が無くなり、佐吉の目は真っ黒になって落ち着いた。
「これが夜目や。今はまだこんなこと出来ないやろが、きっとできる。気が向いたら真っ暗な河原の草むらに行け。自然と鍛えられるわ。草が擦れ合って、草と土と風と石以外に、初めはなんも感じられんやろがな。」
「ええ、僕だけじゃ、こ、こわいよぉ。」
「・・・そこにはな、闇夜に潜む、おっかないのがおんねや。そいつぁ、いくら夜目を鍛えても捉えきれん。今の俺でも難しい。」
「え・・・?そ、それは一体誰なの・・・?」
「それはな・・・」
ごくり。
「まあ、そのうちゆっくりとなーおやすみー!」
「ええええええ」
マタタビで気持ちよさそうに寝だす佐吉兄。
後に聞くと、それは、ヨカゼさんのことだった。
ヨカゼさんの縄張り範囲は広い。あとから聞いた話では、ハチロク親分との修行は河原のそこで行われたそうだ。大好きなアジと引き換えに。ヨカゼさんは佐吉兄よりもずっとはやく、この朧月夜の舞を習得していた。しかもこの技は修練とセンスにより段階とレベルの差が顕著に表れる。
段階は「忍」「朧」「幻」「闇」そして、極まると、何もない状態の「空」となるそうだ。
その修練の行きつく先は、まるで有って無いようなものかのような、他者の記憶からも存在を消しさる。存在自体が怪しいほどに因果の法則を超えた技へと進化するらしい。それが、古い歌に込められていた。
気配を消す「忍」
夜目が効く「朧」
幻覚を見せる「幻」
動きを封じる「闇」
他にもいろいろあって・・・(忘れた)
行きつく先は色即是空の「空」
ヨカゼさんは早々に闇の段階を習得していた。
それは雨雲や霧を呼び出し、光や音を奪うことで、自他共にどこにいるのかも、何をしているのかも自覚出来なくする技だ。
「バッチ・・・お、おまえは・・・もう闇を習得してたんやな・・・」
「へい。これで相手のチャカは使い物になりやせん・・・!」
「ふんっ!!!ふんっ!!!どこじゃあ!!!」
ゴツイのは低い姿勢で、当てずっぽうで手当たり次第にガランビットを振りかざしている。
がっしゃーん!!
バコン!どがっ!
家具が乱暴に破壊され、その辺に散らばってゆく
「それっ!」
バッチは悠々と隙間を縫って、拳銃を構えて屈む男の手の甲を後ろ蹴りした。
その拍子に、中国人はあらぬ方向に発砲してしまった。
パンッ!!
「うげえ!!!」
その弾はヒョロイほうの左胸に命中した。
「あ、兄者!?」
ヒョロイのは、ゴツイ奴の兄らしい。
・・・兄?!あれ、ええっと・・・なんだっけ・・・何か忘れているような・・・?
「バッチ、お前・・・それはもはや、『呪』やで。」
そうだ!「闇」の次は、「呪」。
闇の中で、まるで呪いのような混乱に誘う「呪」。
「う、うわああ!!!どこにおるんじゃあああああ!!!」
がっしゃーん!!
シュバッ!!
暴れ狂うゴツイ奴。
「ひっ!!うぎゃあああ!!!」
暴れて戸棚から落とした高そうなツボの破片がゴツイののガランビットに弾かれて、腹に突き刺さった。
「なにしてんだ!お前ええ!下手に暴れるんじゃねえ!!」
「うがあああああ!!!!」
もうどうにも止まらない。
ウーーーーウー‥‥
銃声を聞いたラブホテルの客からの通報で、梅屋の傍にいた警察たちがようやく来たようだ。
「バッチ、終いや。もう大丈夫。」
「へい。」
二匹は5階から一気に階段を駆け下り、警察が扉を開け侵入してきた隙に闇に乗じて外へ出る。
まだ土砂降りなので、近くのラブホの駐車場に忍び込んだ。
「しかしバッチよ、『呪』は危険やから気を付けや。扱いを誤ると他へも被害が呼ぶ。これを鍛えると、精神状態をも操れるようになるらしいがのお。もはやそら、猫じゃねえ。」