#5 オンネン
「よお、ババア。あれからまた半年経ったな。元気にしとるか。ええ?」
「う、うぅ」
「なんだぁ?気でも触れたかババア。数年出てこないと思ったら、ジジイはくたばったらしいな。馬鹿みたいに歯向かうから。あん時やろ?ほんで、とうとうボケたんかババアよ。」
「はあ、はあ、、、」
梅婆の様子がおかしい。ここ数年、順調にお金を返していたはずなのだが。
兄さんに報告しなきゃ。バッチはそこを離れた。
スタスタスタ
楓はじっと、梅婆の事を見ていた。
「ジジイ、見てるかい?もうすぐそっち行くよ⋯」
シャキン
梅婆は魚を引いて骨まで断つ鋭く長い包丁を取り出した。
「おいおいおい、どうしたんだ?ババア。いつもは無言で金だしてくるやろがい。」
「お前だけは。お前だけは。きえええ!」
「おっと!っぶねぇなババア!」
「はぁぁ。。。」
ヨタヨタと力無い全身だが包丁を握るその手は異常に震え、固く握られていた。
「お、おい、冗談だろ?」
梅婆は瞬き1つしない。
「お前は今日、死ぬんだ。今日な。今日。お前は!!!お前みたいなのは地獄に落ちるんだよクズ」
鋭く突く。
「まず、簡単には死なせないよ⋯先にねぇ、これはハチロクの分さね。あの子が死ぬより怖い目にあわせてやる。きええ!!」
ザクッ!!
「うあああ!!」
ハチロク親分は、こいつが連れてきた異常な身こなしの若いのにしっぽを掴まれ、宙づり状態で殴打殴打の連発を受け、それでも必死に梅婆を守ろうと死闘を繰り広げ、何とか追い返し、しかし必死の介抱もむなしく、数日後に亡くなったのだった。全身骨折だったそうだ。
梅婆はフェイントして、避けようとするチンピラの腕に深い傷を付けた。
10秒くらいの間を置いて、物凄い量の血がダラダラと抑える手の内から溢れできてた。
「このババア。正気じゃねーな。」
腕を抑えながら男は怪我をした手で内ポケットに、手を入れた。
楓は嫌な予感がした。
チャキッ
男が黒いものを出した。
拳銃だ。
「おいババア、見えるかこれが!ああ?」
パンッ!!!
「うっふ⋯」
梅婆の左耳が吹き飛んだ。
「はあはあはあ⋯」
「次は外さねえぞ」
チャキッ
男は本気のようだ。
その刹那、梅婆は50年前のことを思い出していた。
「梅、、さん。オレと結婚してください。」
あの無骨な男が、ちゃんと私に言った。
恥ずかしかったろうね。あんた。
あの、あの川辺で。そう、左吉をひろったあの場所と同じだった。
あの時の春の川の香り、思い出すねぇ。
「まあ、うちの店ぁ、おまえにゃしばらく耐えられんくらい臭ぇかもしれねーけど、ほれ、これやるから我慢してくれ」
そう言って、また手首で鼻を擦ったよね。あんた。
収入の何か月分はたいたかわからんくらい、デカいダイヤの指輪が入った、その開いた箱を片手に差し出してさ。
何カッコつけてたんだい。あたしゃ勇気振り絞ったその言葉だけで十分だったのに。
梅婆は少し涙ぐみながら、向けられた銃を前にくすりと笑った。
「気味がわりいなこのババアは。くたばれや。」
「ふん。⋯あんた、ハチロク。見てな」
パアン!!ぱしゃん!
楓はたまらず目を瞑った。
しかしリュウははっきり見た。梅婆の異常なまでに鋭い身ごなしを。
弾は反転した梅婆の後頭部後ろをすり抜け、しなやかに低い体制から、まるで伸びる腕のように男の足首を目掛けて水平に、反転しながら鋭くアキレス腱を切り裂いた。
「クッソ!!」
「あらやだ!昔のこと思い出してたら、何か体が思い出してきたよ!」
「ぐぬぬっふうっ⋯!」
男は足首と腕を必死に抑える。
「おひけぇなすって。手前、紅の12代レディース総長、人呼んで、バタフライの梅と発しやす・・・。ご覚悟を。」
シュン
仁義を切りながら、
梅婆の持つ出刃包丁が目にも止まらぬ速さで音もなく回転したと思ったら、その刃を逆手にした。
真っ赤に流血する左耳あたりに手を当てて、ベトベトになった左手の血潮を、男に振り飛ばす。
すかさず男は梅婆に銃を向ける。
「えや!!」
「うおおおおおお!!!!」
べキッ!
パンっ!
喉元を狙った一突きは地面との衝撃で柄の部分で折れて、道のすり切りの隙間に滑って行ってしまった。
男は転がって避けていた。弾は当たらず。
「くっそ、よーくもやってくれたのぉ、ババア。終いじゃ。」
俺は向かいの床屋のクルクルの上で一部始終を見ていた。
「おい、バッチ、あの男を良く見張ってろ。」
「へい。」
もういいんだ、梅婆。良くやった。
道の人だかりの隙間から俺はそこに這い出て跳躍し、その男の後頭部の髪の毛を爪で絡め取り、男を後ろに転ばせる。男は何が起こったのかと、チンプンカンプンだ。
梅婆は手を合わせ、なんまんだぶ・・・と呟いていた。
もういいんだよ、梅婆。
陣爺の元に行くなんて、言うなや。
陣爺も悲しむやろが。
縁石とすり切りの隙間に転がった出刃包丁。
高く跳躍して、片前足で勢いよくその隙間に踏みこむ。
たーん!!!
「ハチロク流奥義、オンネン⋯」
出刃包丁は真上に飜り、鋭い弧を描いて、倒れた男の、片目目掛けて一直線に突き刺さる。
ザクッ
「ひゅえっ!!⋯何か降ってきた?ああ、気持ち悪⋯」
そう言って、脳にまで達するその一閃を食らった男は絶命した。
うわあ・・・ きゃあ・・・! ザワザワ・・・
人だかりがざわつく。
もうすぐ警察がくるはずだと、騒ぎ始めた。
梅婆の前に行って、俺は梅婆に向かってにゃあと言った。
「もう、ええんやで。気にせんで。陣爺がありがとう、いうとんで。」
「おまえ・・・」
目が合ったら目を逸らす。
それが猫の仲間の印。
スタスタと歩いてると、人だかりは道をあける。
シーンと静まり返った人だかりの間を、俯きながら、抜けていった。
間もなくして、やかましい警察がやってきた。
その横で、バッチがこちらを見ていた。
「で、あの男は?」
「へい。あの3丁目にあるキラキラした建物ばかり並んどるとこの、小豆色の細長い5階建ての建物に入っていきやした。」
「よし、でかした。確か、そこは中国系マフィアのアジトやな。」
奴らはしぶとい。この怨念は根っこから絶やさねば、消えないことを俺は知っている。
⋯俺には前世の記憶がある。
怨念が怨念を呼ぶ世界にいた。
そこは古代ローマ帝国時代、西暦200年代の、カストルム・ディヴィオネンセという町。
物心ついた時には町はずれのブドウ農家稼業と、ワインを製造して行商人に売っては稼ぐ、行商人たちが行きかう街の4人姉弟の末っ子だった。
ーーーー。
「サキエルー!」
この街一番の広大なブドウ畑で俺が房を取っていると幼馴染のおてんば娘、カレンが声をかける。
「あんたまーた仕事してんの!?」
「ああ、仕方ないだろ?かーちゃんうるさいんだ。手伝えって。」
「今日はしゅーどーいんのシスター様が広場にきてるんだよ!」
??
珍しいな。
「後で行くから。」
「絶対だよ!早くしないと帰っちゃうんだからね!パンももらえないんだからね!!!」
カレンは足が速い。
あっという間にうっすら満月の上がる丘の向こうに消えていった。
あいつの元気は無限だな。ははっ
籠いっぱいにブドウを詰め込んで、重っ・・・と思いながら、母と姉さんたちが葡萄を踏むデカい桶へ向かい、そこに背負ってきた葡萄をぶちまける。
「はあ、つかれた・・・・母さん、今日はもう遊びに行っていーい?」
「ご苦労さん。もういいよ。パンパン!よし、もうひと踏みだよ!エレーヌ!ソフィー!ラウラ!こいつで最後だ!」
手を叩いて、また歌いだした。
歌いながら、踊りながらブドウを踏むのだ。
俺は広場に向かった。
カレンがパンを片手に、何かを見つめている後ろ姿が見えた。
「ああ、神よ。お許しください。せめて、せめて皆様に食事を。この哀れな子羊たちに、どうか・・・慈悲を・・・」
村の中年の男が首をかしげる。
「シスター様。お顔を上げてください。いつもは女神のようなほほえみでパンを下さるじゃないですか。しかし今日はどうなされた・・・?なぜそんなに震えて?」
「これは・・・厄災なのです。あんなに優しい女の子から花束をもらって。私は罪を犯している身なのに。」
シスターはさめざめと泣いている。
その辺に生えた草むらの花で作った花束を、パンの代わりに渡したカレンは首をかしげる。
「何だってんだい?むしろ、皆にパンをくれたじゃないのさ。それの何が罪なのさ?」
隣のおばさんが腰に手を当てて、シスターを見下ろす。
「違うんです。復讐。もうすぐ怨念の類がやってきます。私は大いなる罪を、背負ってゆかねばなりません。」
・・・?
地震か?振動がする。
ドドドドドド・・・・
「ん?なんだ?」
ザワザワザワ
村人は何事かを周りを見渡す。
北西の方角だ。
「修道院にいるベニーニュ司祭は、孤児たちに乱暴してから、強引に連れてゆこうとした男どもから、私は子供たちを守ろうとしました。手元にあったキャンドルスタンドを、槍のようにして男を刺しました。その時、司祭が現れてその男どもを追い払ってくれたのですが、私が刺した男が去り際にこう言いました。次の満月は血の満月だ、ブラッドムーン。その日を覚えてろと・・・」
その日の夜は満月。その町は焼かれ、その司祭は、その後命を絶たれる。
怨念は怨念を生む。
「おい!サキエル!戻れ!カレンも!」
「で、でもお父さんが!」
「よせ!カレン!行くな!」
カレンの父はベニーニュ司祭と共にローマからやってきた神父だった。その父はまだ教会にいる。
夕暮れ時。急なにわか雨や土砂降りのように、オレンジ色の火の矢が降り注ぐ。
同時に、何百メートル先か分からないが、悲鳴が近づいてきた。
「逃げるぞ!サキエル!」
カレンから目が離せない俺を、無理やり荷馬車に連れ込んだ。いつも馬車のきしむ車輪で外の人の声など聞こえないのに、しかし今日ばかりは響き渡る悲鳴が耳に入る。怖かった。
「大丈夫だ。司祭様はローマの騎士だった人だ。お前の名づけの親。あの人には神がついている。カレンも足が速い。どこへともなく、逃げられるだろう。」
ベニーニュ司祭様はこの街にキリスト教を伝えに来た司祭様だ。俺が小さな頃に、セーヌ川のように深い青い目をしていたことから、サキエルと名付けてくれた。水の天使のようだと。
司祭様は町に小さな学び場も作った。
そこで俺は学んだ。
「この両腕は何のためにあるか。分かるか?何故二本だと思う?分かる奴は?」
「はい!」
「よし、ソフィー。何のためだ?」
「お祈りするためです。」
「ああ、良い答えだ。だが惜しい。祈りは心でするものだ。手を組む作法はあるが・・・まぁ、それは重要ではないんだ。」
「はい!」
「ふむ。カレン。どうだと思う?」
「悪い奴を懲らしめるためです!」
カレンはシュッシュッと、1,2をする。
「まったく、お前は・・・」
ぎゃはは!
子供たちはムスッとするわんぱくカレンに大笑いする。
「だが、そうあながち間違ってもいないがな。でもカレン。お前はちょっと乱暴だ。」
「はーい。」
「正解は、大事な人を守るためだ。毎日働くのにも手を使う。ハグをするときも。お父さんお母さんたちは、大事な人を守るためにその手を使うだろう?」
翌朝、炎に包まれたであろう、くすぶった教会の奥に、その大剣を振るって真っ二つになった蛮族たちと、床に落ちた剣と、黒焦げた何人かの子供たちをその大きな両の腕で抱え、何本もの槍が背に刺さった形で、司教様の亡骸がそこにあった。屋根の穴の隙間から、朝日が差し込んで、それは神秘的で荘厳な佇まいだった。
カレンの父も跪きながら、その脇で息絶えていた。勇敢に戦ったことが、分かる。
散り散りになって死を逃れた住人達がそこに集まり、祈りながら泣いた。
「司教様・・・ 司教様ぁ・・・!」
そこに、カレンの遺体は無かった。
そして、おそらく蛮族はまだいる。
奴らの目的は子供たちの拉致だ。
必然的に、俺は強くならなくてはならなかった。