#3 ジンジイ
あの猫嫌いだった陣爺は、体を張って俺を守ってくれたのだ。
俺がくすぐったくてにゃあと鳴けば、にんまりしていたのを思い出す。
透かさずその顔のことを、梅婆が突く。
「あんた、お客さんだよ!!ったく!最近のあの仏頂面ときたら・・・何を何時までニタニタしてんだいっ!・・・奥さん、本当すみませんねぇうちの人が。」
魚を買いに来たおばさんはクスクスと笑っている。
陣爺は顔をクシャっとして、手首で緩んだ顔を擦り、まるでそんな表情などしていないかのように、振る舞る。
「佐吉にだけは本当に甘いんだから!ご主人ったら。ここ数十年、梅さんだけじゃなく客にさえ、ぶっきらぼうで、男一筋って感じだったのにねえ。」
「・・・らっしゃーい。」
「にゃー!にゃー!」
「おいっ!おめーは降りてくんなって。床が魚臭ぇんだから・・・!」
「あら!佐吉ちゃんも魚屋さんの店員さんみたいだね!」
「にゃーん!ゴロゴロゴロゴロ・・・・」
「かわいいねぇ。本当に人懐っこい子やわぁ。うちのヨカゼは警戒心が強くて。知らない人にはなかなか懐かないのよ。」
記憶の中の俺が、しゃがんだおばさんに額をなでられた。
思わず、ゴロゴロと喉が鳴ってしまった。
「(リュウ。兄さんはな、考え事するときにはこうして斜め上を向いて固まるんだ。この時は神聖な時間だから邪魔するんじゃねえぞ。)」
「(はい、バッチ兄。知ってます。)」
はっ、として、現実に戻ってきた。俺としたことが。
弟分が血まみれだというのに。
「あいや、済まねえな。つい昔のこと思い出しちまって。」
何故リュウを見ると陣爺さんを思い出すかというと、いくつか理由がある。
一つは、ちょうど亡くなった頃にリュウが生まれたこと。
もう一つは陣爺はよく、都合が悪くなると顔をクシャっとしながら、手首で鼻を拭う癖があった。
リュウは、それとそっくりなクシャ顔で、顔の鼻のあたりを擦る癖があった。
切れ長な目。若さに見合わぬ落ち着き。
偶然なんだろうが、俺はリュウがその人の生まれ変わりとしか思えないでいた。きっと将来は大物になるだろう。
「その、ワシを馬鹿にしたっていう奴らはどこのもんで、どっちから仕掛けたんだ?」
「先に手は出してないです!ただ・・・」
リュウは横を向き、顔をクシャっとして腕で拭う。
「いや、おめぇから何か仕掛けたんだな?その会話を聞いて。」
「は、はい。」
「その集まりの頭上から飛び降りて、驚かしたってとこか。」
「全くその通りです・・・。」
「ふ、ふふふ」
俺は思わず昔の陣爺と重ね合わせてしまった。
「佐吉兄!笑い事じゃねえっすよ!聞く話によると、どうやら相手はヨカゼの姉御んとこのもんのようで。」
それを聞いて、壊れたバイクの椅子に座ってた三毛のミッケが颯爽とこちらに寄ってきた。
「ええ!?あんたヨカゼさんの取り巻きに喧嘩売ったの?!」
「し、しらなかったんだよ。あの神社の境内が奴らの集会場だったなんて。ヨカゼの姉御も居なかったし。」
ヨカゼは俺の幼馴染の漆黒のメス猫。細くてしかし筋肉質。まるで気配を立てず影のように現れる。最近、同じく幼馴染の、黒ぶちのタロそっくりの子を、また6匹も産みやがった。10匹の黒ぶち猫の母親だ。
「んあ!も、もし姉さんに弟がしでかしたことを知られてたら、顔向けできないよぉ!どうしよう・・・!」
こいつは楓。赤茶色のメス猫。デブだがすばしっこく、愛嬌のある仲間だ。
「ヨカゼなら、俺から話せば分かってくれるさ。ぷっ!」
俺は軽く屁をこいて、皆を落ち着かせた。
「いいか、お前ら。筋っつーもんは、己が持つ1本線。そら、他の誰かに何されようと、なーに言われようと、守り抜かにゃならんちゅうもんや。おい、リュウ。お前はその筋を通したんじゃろ?ほれ。」
「はいっ!相手が何だろうと、おれは兄さんの為、それだけの為にがむしゃらに・・・。迷惑かけてしもて、申し訳ない。」
「おい、聞いたかメスども。これが漢ってもんやで。馬鹿だろう?でもな、お前らに負けねー心情っつーもんを、若くして、もうこいつぁ持っとるわい。不器用だが曲がらぬ精神だろ?許してやってくれや。軋轢は、この老いぼれが今から埋め行きゃいいんだ。だもんで、誰もついてくんな。いいか?」
リュウは申し訳なさそうに、ゴメン猫をしていた。
そうして、俺は一匹、境内に向かった。
「おいヨカゼのババぁ!!出て来いよこっちから来てやったぞ」
颯爽とその歳に見合わぬ身こなしで、漆黒のとばりが下りる様に奴は現れた。
「誰がババぁじゃ?クソジジぃ。お前さんだけかい?舐められたもんだねぇ。・・・何が言いたいかはもうとっくに察しは着いとるが・・・何しに来たんえ?」
「ほんじゃあ話が早ええな。お前を囲む若ぇもん、連れて来い。」
「ふんっ。そんなしゃがれた声で・・・老いぼれたもんやのぉ。」
のそのそとヨカゼは祭神の社の縁の下にいる若者たちのもとへ、気だるそうに向かっていった。
「おい小僧ども。仕返しにきたでぇ?ただもんじゃねぇ、老いぼれが。」
ヨカゼは半身をこちらに向け、顎で小僧どもにこちらを指し示す。
恐る恐る、小僧どもが顔を出し、縁の下からゆっくりと出てきた。
「ちょっと待て。」
ヨカゼが小僧たちを制する。
「いいかお前たち。お前たちの股間にゃ何がついとる?え?・・・そうして生まれてきたからには、筋を通すことほど大事なことは無いと、知ってるな。ちゃんとケリ、つけといで。あたいらの顔に泥ぬるんじゃないよ。」
そうして恐る恐る、目線をそらしながら小僧どもが横並びで俺の前に現れた。
「すいやせん、佐吉さん・・・あっしらてっきり佐吉さんのことただの老いぼれと馬鹿にしてました。ヨカゼ親分の幼馴染とも知らずに。あの時はマタタビやってましt」
「ボケコラぁ!!!!猫を馬鹿にするたぁいい根性しとるのぉ!?ええ??ほんで?うちの大事な、まだ小せぇリュウに寄ってたかって?おめぇらは親分から何学んできたんじゃ!こら?ああ?」
皆震えている。
若頭っぽいのが前へ出てきた。
「覚悟はできています。腕の一本や二本。」
「落とし前ってことかえ。ほんじゃ前足二本くらいはいただくぞ。」
若頭は落ち着いた面持ちでまっすぐこちらを見ながら前足二本を差し出す。
素直すぎるそいつに落胆する。
「はぁ、その目本気だな。本気の覚悟だ。かーーーー!!!馬鹿だなぁ。おめえ。」
俺はへそ天状態になった。
若頭は目を真ん丸にして驚いた顔をしている。
「前足二本いってしもーたら、猫生がどうなることか分かっとるんか、おい小僧。」
「へい。覚悟しておりやす。」
「たわけ!!!!!てめぇにゃ大事にしてる仲間や恋人、おらんのかボケが。」
「・・・」
「いいか?お前は何のために生きてんだ?ああ?そういう奴らを守って、幸せにしたる為やろがい。ちゃうか!??」
「・・・はい。おっしゃる通りです。」
「んで、なんやそら。覚悟だと?それのどこが覚悟じゃ!?その二本、無くして守れるんか?おい、守れるんかこら!!!!」
俺は勢いよく起き上がって、その若頭の額に誰にも負けない固さと自負をしている額をぶちかました。
「うっぐはあ!!!」
「これはな、忘れないための痛みじゃわ。よく覚えとけ。お前が生まれた理由はな、その後ろで震えてる小僧どもを守り、親分を守り、親分の10匹の子を守り、自分を守り、ひいては皆が幸せになるために精一杯生きるためじゃ!覚えとけボケカスの小僧が。」
俺は真っすぐに若頭をしばし見つめる。
「にゃぁ・・・」
若頭が敗北の声を上げた。
「お前らの発言が軽率だったと、反省せい。反省したなら、許したる。」
「にゃぁ・・・!にゃぁ・・・!」
「分かったならマタタビよこせ。口に含んで帰ぇるぜわしゃぁ。」
「す、す、すびばせんでした・・・・この痛み、一生わすれません・・・・」
ヨカゼが少しほっとした顔を見て、何も言わず、俺はマタタビをもらって帰ったのだった。
「佐吉兄!!!!よくぞご無事で・・・!」
「佐吉兄!!」
バッチとリュウが出迎える。
遠くでミッケと楓がこちらを見ている。
「うーーーぃ。ちゃんと筋通してきたで。説教という形でなぁ!にゃはは!」
「佐吉兄!!!!ありがとうございます。ありがとうございます。どうなることかと心配しておりやした。ヨカゼさんの機嫌を損なったんじゃないかと心配してたんです。」
「んえっ?!おまえ、さらに赤くなっとるやんけ!こりゃ楓の仕業やなぁ~」
「そりゃそうですよ。ただでさえヨカゼさんは子供が生まれたばかりで大変だってのに。立場をわきまえろっつーの。」
「んっはっはっは!まあええわ。リュウ。俺の大事な弟。一つ一つ学びゃあええんや。お前が何かしでかしても、必ず俺が尻ぬぐいしたるわ。ありがとうな。俺をかばってくれて。でもな、まだおめーは若いんだ。こんな老いぼれ気にせず、お前がしたいことせぇ。そして多くを学べ。それだけでワシゃあ、満足じゃわいな、ほんま。」
俺は色んな兄妹たちに声を掛けられながら、幼いころ、陣爺に包まれているかのような温かいぬくもりと幻想を見ながら、マタタビに酔いつぶれてその辺で寝てしまった。