#2 インネン
「そんで、そんなズタボロっちゅーわけか、リュウ。」
バッチの弟分、つまり俺の弟でもあるがまだ小さい、白猫のリュウが昼下がりに血まみれになって梅屋の裏路地に帰ってきた。
「はぁ、はぁ・・・はい・・・あいつら佐吉さんのこと馬鹿にしたんです。それが許せなくて許せなくて。」
バッチが横で、煮えたぎるような目をしている。
「まあ、無事でよかったわいな。俺のことなんか気にすることねーのに。アホやな。白猫が。あーあーあー、きれいな白が真っ赤やないか。」
「めんぼくねえっす。。。」
「でもお前はちゃんと筋を通したんやな。偉いで。」
バッチが頭をコツンと、やさしく頭突く。
「悔しくて悔しくて。。。佐吉のやつ、最近ひよってんなーって。ケタケタ笑いよんのです。あいつら。いい仲間だと思ってたのに。気のいい奴らだと思っていたのに。」
「俺なんかのために、ありがとよ。俺も若ぇ時は、同じように暴れまわってたわ。筋を通すためにな。命がけで。ハチロク親分と、大恩人たちのために。あの大先輩はよ、本当に優しくて、散々蹴散らされたけど、でもそれも優しさやったんと思うわ。」
同じ昼下がりの時を思い出す。ハチロク親分。あっちで、元気にやってっかなーマタタビを。
ついこの間まで、梅屋の婆さんと爺さんが何やらやっかいな人間にいちゃもんつけられていたことがあった。
ーーーー。
「おぃ、金取り立てに来てやったぞ。本来ならおまんらが出向くとこやのにのう。・・・ほんで、儲かりよるんやってのお、その日干しのイカが旨いとかで。」
「もうちょっとまっとくれよ。先週の今日でそんなに金なんてありゃーしないよ!」
「は?先週の雀の涙みたいな金なんて、利息できえるっちゅーねん。」
「おい、頼むから帰ってくれや。客が寄り付かないから売れずに返せるもんも返せなくなっちまうよ。。。」
陣爺が困り果てた顔をしている。
俺はまだ小さくて、部屋の方でじっとそれをみていた。怖くて、少し震えながら。
「おいお前、ちとこっち来いや。はよお。」
明らかに陣爺より若いそいつが、えらっそーに大先輩を呼び寄せる。
「はい・・・・」
どがっ!
「ふぐっ!!!なんですか?いきなり!!!!!!」
陣爺の腹部につま先が食い込んだと思ったら、陣爺は吐きながらその場にうずくまった。
「顔が気に食わん。どっちが上だとおもっとんねん、ええ?こっちやわなあ?そうやろ?梅さんよ。」
くそっ・・・震えてなんもできない。くそっ・・・くそっ・・・
そんな時、煙のようなでかい影が宙を舞った。
「にゅあ!」
「うっうわ!!!!なんやこいつ!!!!」
これが、俺とハチロク親分の出会いだった。
物凄く早く、鋭い爪の全てがあの若造の顔に食い込んで、見る見るうちに顔が真っ赤な血だらけになった。
スタっとその巨漢に似合わず静かに着地するハチロク親分。
俺はその時きっと、目をキラキラさせながら、その光景を、怖い人間を前に堂々とする姿を、俺は見ていたと思う。
「てんめええ!!なにしてくれとんじゃあああ!!!」
そいつの前蹴りをすれすれでよけて、もう一度高い跳躍をする。
「おおおおぅらああ・・・!くらええ・・・!!!一閃!!!!!!!」
若造の目から血が噴き出る。
「ぎやあああああ!!!!」
フッ・・・・とにやり顔の親分。
そん時におれは漢というものを学んだ気がする。
「ハチロク!おやめ!!!!!」
他の指図など自分の筋道には関係ない、と言わんばかりに、ハチロク親分は真っすぐに、その若造の人間に向かい、そして真っすぐに、にらみつける。
2メートルくらい離れたところで、鋭く気合の入ったやんのかやんのかステップになり、でかい体がさらにでかく見えた。
「殺してやる・・・殺してやんぞ、デブネコ・・・」
「いやあああ!やめとくれよ!!!!!お願いだから。明日にはお金を用意するか・・・」
「るせーー!ばばあ!!!俺はこいつにむしゃくしゃしてんだよ!!!黙っとけババアが!」
その時おれは見た。ハチロク親分が、まるで分身のような、幻のやんのかステップを踏むのを。
「ああえ???なんやこいつ。似たようなんが・・・5,6匹!?あれ?後ろにも。」
「・・・必殺、白夜。」
事は一瞬だった。ハチロク親分は宙を舞い、円を描いて奴を切り刻む。
どうして落ちないのか不思議なくらい、顔の周りをまるで沈まぬ太陽のように、そして奴の顔は真っ赤な火星のように血しぶきをあげている。
『うわあ・・・半端じゃない・・・・』
「ぎゃあああああ!!!」
俺の目は釘づけだった。鮮やかな動き、そして有無を言わさぬ連撃。強い。
一目惚れだった。
「覚えてろよ!クソが!!!!」
その周辺は静まり返った。
凛として前足をそろえて、まるで敬意を表すかのような、真摯で梅婆の前に座るハチロク親分。
梅婆は透かさず、親分の前に膝をついた。
「あんまり無茶するんじゃないよ。でも、優しい子だね。ありがとう。ありがとうね。」
額に沿って、頭をなでる。
すると親分は、目を瞑って、ゴロゴロと唸るんだ。容易い御用さ、と。
陣爺も駆け寄る。
「ありがとうな。こんな老いぼれ夫婦のためによ。無茶しやがって。お前は漢の中の漢だよ。でも、気をつけな。あいつぁ大したことない三下かもしれないが、恐ろしい人間は他にいる。残虐非道な人間がよ。」
しかしそんなもん、俺がぶった切ってやると言わんばかりにまるでその眼にやどった炎を感じた俺は、、、、
『ああ、この猫のようになりたい』
ただ、そう思った。
「梅婆。ありがたく頂戴するぜぇ」
嬉しそうに、アジを食う親分。
俺はその横に駆け寄る。
「惚れた!・・・兄さんはハチロクさん、とおっしゃるんですかい!?」
「ぬぐっんっ!?お前さんは誰じゃ。見ねえ顔やが。まだまだ小いせえな。それより、いきなり話しかけてくんなや。せっかくのアジなのによ。」
「すみません。」
ハチロク親分も、梅さんが何年も前に拾ってきた猫だという。しかし、家にはいない。
「まあ、つれぇこと色々あると思うがよ。おれじゃぁなくて、若いお前らが、このしがねぇ世の中を正さにゃならんぞほんまにな。」
震えて動けなかった自分が情けなかった。弱い自分がくやしくてくやしくて。
「親分!親分と呼ばせてください!このヘタレを、叩き直してください!!」
「まだ若ぇのにいーい面してんじゃねーか。どれ、腹ごなしに、お前の腕をみせてみな。」
俺はがむしゃらに、ハチロク親分の首めがけて食いついた。
・・・つもりだった。
脚力には自信があった。しかし食いついたのはアジだった。
「だーーっはっはっはっは!旨いか小童!」
透かさずアジの下から猫パンチを繰り出すが、そこには親分の姿が既に無く、影のみ。
ドサッ!
「うぶぶっ・・・!!!!!」
「そんなんじゃ時代を変えられんわ、小僧。」
親分が俺の上にのしかかる。
なんて動体視力と瞬発力の持ち主だろうか。そしてこの体重。
「うっぷぷぷ・・・まいりまじだ・・・」
すッと、もう残り半分になったアジを咥えた親分が、面前に現れた。
フワフワと、立ったしっぽが左右に揺れている。
「しかしその深く青く、真っすぐな目には、何か大きな運命を背負って生まれてきたような、不思議な感覚じゃのぅ。お前さん、名は?」
「佐吉と申しやす。」
「ほうか。わしゃあハチロクじゃ。以後よろしゅうな。ゲフッ・・!」
何と男前だろう。
こんな強くて堂々とした大人になりたいと、心底思ったものだ。
フワフワの、ヒマラヤンだ。ハチロク親分の目も、うっすら青く、毛色はグレー。フワッフワだ。
そうして一件落着と思ったが、事件は深夜に起こった・・・。
「ばーん!ばーん!!どがっどんどんどん!バリーーーン!!!!」
「一体なにさね?!こんな夜中に!」
二階から駆け降りようとする梅婆を、陣爺が制し先に階段を下りる。
「うわあああ!!何しよる!お前たち!!!!」
「俺ら、むしゃくしゃしてんだよ。さっきの猫のせいでよぉ。こんなおんぼろな店の1軒2軒、潰すくらい暴れねーと気が済まねーってことよ。ばーん!!!!!!!!パリーン!」
「いやあああああ!やめておくれ!!!!」
バットやら警棒やらを振り回している。
なんて奴らだ。
俺は人間の愚かさを知った。なんて醜い、なんて浅はかで、なんて理不尽な存在だろうと。
奴らは暴れて、梅婆と陣爺は頭を抱えて慌てふためいているが、俺はなぜか自分でも驚くほど落ち着いていた。
そして、意を決して階段を駆け下りた。
『ハチロク親分。男を見せる時が来ました。』と。
階段の中腹から、昼下がりに来た男の絆創膏と包帯だらけの顔にあるもう片方の目めがけて鋭く研いでいた爪を振りかざす。
「・・・・一閃!!!!」
ハチロク親分から見て盗んだ技。最小限の動きで最小限の時間で、目標を貫く。
「ぎゃああああ!いでえええええ!」
一矢報いた。そんなつもりだった。
しかし、刺さったのは目の下。傷は浅かった。
「くっそ!またネコか!」
着地した瞬間のことだ。そこから何が起こったのやら、記憶がない。
気づいたら少し明るくなった朝に赤い光がちかちかとした光が舞っている。
体に張り付いた窓の下を見下ろすと、パトカーと救急車が下にいた。
警察官が、泣いて萎みこんだ梅婆を慰めているようだ。
外を見下ろすとすぐそばにはハチロク親分がいた。急いで下の階に降りようとしたが、まともに歩けなかった。右前足が丸々包帯でぐるぐる巻きになっていた。腹にも違和感がある。立ち上がろうとすると異様な鈍痛があったが、何とかゆっくりと、階段を下りる。
ハチロク親分も重症だった。片目はつぶれ、ふかふかだった毛の一部は剥がれ落ち、口の周りには固まった血が媚びれついている。
「はぁ・・・はぁ・・・佐吉。無事やったか。」
「へい。一体この騒ぎは・・・何があったんです?あっしあ気づいたらこの様でして。」
「俺が駆け付けた時にゃあ、ふうっ・・・お前が思い切り人間の一人に蹴られて、10メートルくらい先のあの電信柱にふっ飛んで、ゴツンと音を立ててから、その下に垂れ落ちとった。すかさずそれを追った陣爺は、お前を抱え込んでよ。なん十発も警棒やバットで体中背中頭を殴られながらも、お前を守ってたぜ。俺はそれを目にして煮えたぎる思いだった。ぜぇ・・ぜぇ・・・男だよ。陣爺は。ふうっ・・・ふうっ・・・ぶはっ!」
ハチロク親分が血を吐いた。
薄暗かったがよく見ると、その血反吐の跡がところどころ散見できる。
電信柱のところは、街頭に照らされた真っ赤な血溜まりがはっきり見える。
親分が・・・
陣爺が・・・
「命を救ってくださり、一体どうお礼をしたらよいのやら。そして、その、陣爺は・・・一体どこに・・・?」
「今頃・・・ごほっ・・・病院やろな。リンチを受ける陣爺を助けるためゴホッゴホッ、まずは陣爺に向けられた武器を何とかする必要があったんじゃが、俺がしくっちまって。何しろ警棒野郎が纏う怨念が強すぎてな。点で太刀打ち出来んかったわ。ほんでこの有様や。警察来る直前にあの人間たちはそそくさと逃げたが、警察が着いた頃にゃ、陣爺はもう血まみれで梅婆の声にも全く反応してなかった。ほんで、今いる救急車とは別の救急車で病院に運ばれてったわ。・・・俺があいつらにとびかかるのが遅かった。人間を舐めていた。人間にもおんねやな、あんなに黒いのを身に纏う輩が。警棒の動きが限りなく速かったもんだからよ、しかしあの武器があんなに重いとは。想像もついていなかった。ゲフッ・・・一人、異常な動きをする人間がおったんや。。」
「・・・無理はせんといてください。すいやせん、しゃべらせてしもて。・・・しかし、なんてことを・・・」
「因縁っちゅーもんは、どの世界にもある。まだ若けぇお前さんは特に気をつけんとあかんでぇ・・・・」
・・・そしてその夜、陣爺は息を引き取った。