#15 ユイハン
母上の為に、父上の為に、心を込めて。
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン・・・
もう、何里もの錦を織っただろう。
ここは大和。
遣唐使を通じて大陸文化の影響が流れ込む、色とりどりの、色鮮やかな文化、そんな時代。
今でいう、奈良時代。
私は錦織をただひたすら、母と父を思いながら、織り続ける。
まず横の糸を流して、縦の糸に詰めてゆく。
その一本一本が、人の人生のように、深く、儚いものだから、ただひたすら丁寧に、織るんだ。
「またアンタは。何回言ったらわかるんだい?あんたに才能なんてない。諦め?」
口をはさんでくる義母。でも、関係ない。才能とか、どうでもいいんだ。
「・・・」
じっと見つめてくる。
こっち見んな。もう、何年も前にあちらにいった、母上のことを思っているのに、気が散る。
「はーあ、何がそんなにおもしろいのかねーぇ?はやく、ごはんだよ。」
私の握りこぶしの半分くらいのお米と、一尾のめざしと、昆布の入った汁。
・・・なんて贅沢な食事なんだろう・・・!!!
心が躍った。
「早くお食べ。ちゃんと噛むんだよ。ちゃんと噛んでそれそのものの味が変わって、汁になるまでね。そうしないと、本当の美味しさにたどり着けないよ。もったいないったらありゃあしないんだから。」
手を合わせて、この用意をしてくれた義母に。この贅沢をさせてくれるために、必死に働く父に。死んだ母上に。糧となってくれた、このめざしに。この芳醇なお米を育ててくれたお百姓さんに。この、時間をくれた神様に。感謝をする。
「いただきます。」
義母は、神の手と呼ばれていた錦織の母が死んでから、朝廷へ上納品を持ち込む際に父が出会った、腕前だけで朝廷に見初められた料理の、給仕をしていた。
普段の口先と目つきは鋭いものの、しかし食についてだけは、とにかく優しかった。
「ありがとうね。おいしそうな顔をしてくれて。うれしいよ。」
本当に、うれしそうな顔をする。そして、時折そんな顔のまま、涙が流れている。
嫌味をすぐ口にするけど、根は真面目だ。嫌いではない。
この人はまるで、縦の糸。
真っすぐで、ピンと張っていて、揺るがない。
母上はきっと、この人なら夫を幸せにしてくれると、あっちで引き合わせたのだと思う。勝手に、そう想像している。
最近の父上はぶっきらぼうで、酔っぱらって、毎日道を右往左往して、シラフならものの1分で帰ってこれるたった50mくらいの道のりを、30分かけて帰ってくる。
「いーまけえった!!!!!」
元気だけは、いい。
「くっさ・・・・!よくもまあ毎日毎日安酒をかっくらって、べろべろになっ」
「うるせえ!酒に、安いも高いもねぇー!!!酒は奇跡そのものだ。愚弄すんな。わしを愚弄するんはええで、せやけどなあ、酒にはな、想像もつけへんような苦悩があるんやで・・・毎日の苦悩と、努力と、根性と、曲げへん思いが詰まってるわ」
「はいはい、わかりました。ごめんなさい。未熟者で。私は心配をしているんです。あんたが道端で寝てしまって、そのままポックリ逝ってしまわないかと。」
「あーっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!!!!俺が死ぬだとお?死ぬかいな!こんな状態で。錦もまともに売れんこの時勢に。お前たちをどうやって幸せにせーっちゅうねん。笑わせんなや!あっひゃっひゃっひゃ!!!」
父上は震えている。何があったのかは分からないけれど、とにかく日々、苦悩していた。義母の後ろで見ていて、話を聞いているだけで、その痛々しい心が伝わる。
そういう人々の思いを、1本1本の糸に伝えながら、思いを込めて、織るのだ。皆、苦労をしている。
毎日、毎日、毎日、毎日、ひたすらひたすらひたすらひたすらひたすら・・・・・
織る。
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン・・・
あの時、死ぬ間際のあの時母上は、泣いてぐしゃぐしゃの、でも黙っている父上を見ながら、あの目で、あの、言葉に言い表せないくらいの優しい目で、何を思っていたんだろう?
私がまだ少女だった時に、私が義母に「お前は母上じゃない!」って言った時に、義母はどう思ったんだろう。
あの河原で、私が横にいる時に、父上が、優しい目で「なあ、きれいだろ?雲って。なんであんなにフワフワしてるんだろうな。」って、まるで少年のようなキラキラした目で斜め上を向いて、乾いた風を浴びながら空を眺めているとき、どんな思いだったんだろう。
母上が、家を守ろうと横柄だった身分の高い客人に逆らって、容赦なく腹を切られ、殺されるのを目の当たりにしたあの優しい父は・・・
一体どれくらいの苦悩を強いられただろう。
全部、形に残したい。残さなければならない。
この思いを、織り成す。
それが、錦だ。母がくれたこの手、この感情、このリズム。
1本の糸も、1秒だって、無駄にしない。
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン・・・
「ごほっごほっ・・・」
私は小さい頃から、病弱だ。
それで寝込む時、いつも母上のことを思い出す。
「よーいやー、あしーきやー、さーもなぁれぇどー
わーいや、おまえーや、今しかぬー
かがぁみーや、おまーえや、ちがーわーねーどー
しかぁあし、そのかおーぉおは、いまぁといぬぅー」
透き通ったあの子守歌を、思い出す。
そのたびに、早く元気になって織りたいと思うんだ。
ただひたすらに真っすぐ、いろんな人の気持ちを受け止めて。
そして、運命を共にしようと決めた、男女二人の婚礼に、この生地で、羽織で、飾ってもらったり、
冬は絹を、最高の五十織を仕立てて、何世代もの人に、継いでもらうんだ。
だから簡単にほつれないように、固く、綺麗に、織り成す。
そうして、悠久の時を過ごすあの世で、私は懸命に生きたと、その形でもって母上に見せるんだ。
母上・・・母上・・・!届いてる?この思い!!私は今全身全霊を込めて、母上の無念も、壊れてしまった父上の無念も、全部背負って紡いでるよ。ただひたすらに、紡いでるよ!
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン
じゃららっ ドンドン・・・