#12 クラウド
少年は河原で、リュウと出会った。
「なぁ、白。俺は何のために生きてるんだろう?」
何か重いものを背負った目。悲しい目。寂しそうな目、真っ黒な目。
人間の小学生という部類の少年が話しかけてくる。
「にゃぁ」
「学校で、ある友達に、やめろ!やめろ!って何度言っても、そいつがやめてくれないとき、どうしたらいいとおもうー?」
もしそうなったら、佐吉さんだったら「やめぇ!さっき言ったわな、ワシゃ。みんな聞いとるわ。おまんは二度聞いても分からんやっちゃか?いや、分からんやんなぁ。・・・ほんで?ワレぁ、何しとんねや、ええぇ?どう落とし前つけんねん。おおい、聞いとったやんな?みんなあ!」って、みんなを巻き込んで味方につけて、有無を言わさぬ状況をつくるだろうな。目に浮かぶ。・・・でもしかし・・・
「にゃあ・・・」
今の俺ではこれしか言えない。
ああ、しゃべりたい。言葉の意味は理解はできるけど、しゃべれない。
少年はズタボロだった。毎日朝は白いTシャツを身に纏って学校へ行くのに、帰りはなぜか、泥だらけのズタボロ。もうすぐ夕暮れと言わんばかりに空が黄色からオレンジ色を帯びるような、そんな時間のこと。
「お前はどこで飼われてるの?俺は東京から1か月前に引っ越してきたんだー。」
俺はパン屋で働くアヤさんの家、それはそれは、想像ができないくらいの大豪邸で暮らし、俺の首輪には撮影と録音ができる最高級の情報伝達アーカイブを持っており、すぐその、データセンター施設のようなデカい家に今も映像と音の情報が送られているのだけれど、しかしこの子にそれを伝えようとしても、無理だった。
「にゃあ」
しか返せない。
平野川が淡々と水を運び、そこに浮くカルガモが、「ガァ」と、子供たちを呼ぶ。
俺はこの子が何故川辺を歩く散歩中の俺に声をかけてきたのか、今いちピンとこなかった。だけど、俯くその少年の、その目を放っておけなかった。まだ若いのに、なんて業の深い目をしているんだろうと。
「お前は今、幸せか?人間に生まれなくてよかったね。」
目をそらした。それは猫にとっては敬愛のしぐさだ。好きな相手と、まじまじと目を合わせたくない。猫が目を合わせるということは敵対の感情を意味する。人間もそうだったと思いだす。うーん、時と場合によるか。
触ってこようとする少年。俺はそれを拒まなかった。
優しく、そっと、身を低くしてエジプト座りをしている俺と目線を合わせようと、額からしっぽの付け根の方まで、なでる。優しさを感じた。思わず腰が上がりそうだったが、我慢した。
「モエミっていう、口数の少ない同級生が居てね。その子は俺が転校してきたときに優しくしてくれたんだー。」
少年は、モエミの、その時の東京人に興味津々で、キラキラした目で、真っすぐ見てくるあの顔を思い出しながら語った。
「ふふっ。教科書がなくて、あたふたしている俺を見て、慌てて机をくっつけて、国語の教科書をみせてくれたんだー。それのおかげで、先生から指されたおれも、ゴンギツネってやつを読むことができた。」
暑くなって、俺は寝転んだ。少し陰って時間がたったコンクリートがひんやりと冷たくて気持ちよかった。この少年は、どんな学校生活をしているのだろう。なんで帰りにはズタボロなのだろう?学校か・・・遠い昔の記憶に、毎日のようにそこへ行っていたような・・・なんだろう。懐かしい響きがする。だがこの子は、そんな格好にはなっていない。
「俺は今、その話の、兵十の気分。」
そのゴンギツネ?は知らないが、おそらく筆舌には尽くしがたい何かがあったのだろう。
ゴロゴロと、喉の奥から自然と音が出てきた。
「モエミがそれで、キョウカって女に目をつけられてね。『アンタ、空くんのことそんなに好きなの?机までくっつけちゃって!』って。おれはそのときー、『教科書がまだないから、みせてくれたんだよ!』って言うんだけどさ、モエミはそんな俺を制して、まるで、やめて。って言うように、こっちを見るんだよね。」
それを口にした少年の口元が震えている。
ーーーー。
「あんたさあ、ちょっと可愛いからって調子に乗ってるよねえ・・・?そういうの、『ヤリマン』って言うらしいよ!この間、大池中行ってるおねえちゃんから聞いた。」
取り巻き達が一斉にモエミを責める。
「やーりーまん!やーりーまん!やーりーまん!」
やりまんが何なのかよく知らなかったが、悪意がある言葉だということは分かった。俺はそれが許せなかった。しかしモエミはこっちを見て首をふる。そしてキョウカの方を真っすぐ見直す。
「・・・やりまんじゃない!」
モエミの力のこもった声を初めて聴いた。
しかしそれを見るキョウカの口角は悪魔のようにキリと上がる。
「じゃあ証拠は?」
やりまんの意味を知らないモエミは俯いて、また口ごもる。
「ほらね、こいつはこういう奴なんだよ。都合が悪くなると目をそらすの。ねー?・・・ってことで、モエミ、ちょっと来て。」
モエミはキョウカグループに連れ去られた。大変だ。どうにかしないと。でも、周りを見てもニヤニヤしている男子たちとブルブル震えるデブしかいない。今は中休み。二時間目と三時間目の間の20分休憩。あと15分くらいはある。・・・いや、しかし・・・
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
先生は当分来ない。でもこの後どんな凄惨な事態が起こるか分からない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
・・・ああ、行くしかないよな。男なら。
本来なら男が守ってやらないといけないのに、俺ときたら・・・
一人の、世話になった女も助けられないようじゃ。きっと後悔するだろう。と、そんな言葉にならない想像をしていた。
バタン!!!
女子トイレの扉を強めに開く。
キョウカ達がぎょっとした目でこちらを見る。
「!!!なに?!あんた!ここ女子トイレなんだけど!」
そんなことは知らない。ずかずかと、変な汗をかきながら奥へ進む。
奥でキョウカの取り巻きの一人がスマホで動画を取っているのを見て、それを勢いよく取り上げて固い床に投げつけた。
パァン!
「わあ!何するの!」
そんな罵声は聞こえないかのように、女子トイレの扉の奥のモエミの姿を見て、凍り付いた。
下半身はすべて脱がされて、足を閉じて震えている。
「おい・・・お前ら。何してるのか分かってるのか?先生だけでなく、お前らのお父さんお母さんに全部ばらすからな・・・?」
キョウカがヒッ!という顔を一瞬するが、すぐに余裕があるかのような振る舞いに戻す。
「証拠は?あんた、そのスマホ投げつけて壊したじゃん。ばらすと言ったって、どうやって?ほら、あんたがユカのスマホ壊した。ふんっ!つまり、証拠はない。・・・所詮なんも出来ないのよ。私のパパは議員をしていてね。そしてお母さんはこの学校の理事長。ねぇ、状況分かってる・・・?転校生の空くん。こんな学校いつでもつぶせるんだから。」
俺は、はあ、とため息をついた。
「お前ら、東京行ったことないだろ・・・?分かってんだよ。行ったことないよな。見てて、聞いてて分かる。」
いきなり自慢話?東京に行ったことは無い、それはそうなのだが、しかし、は?何を言い出すこの男子?といったキョウカの顔と、その取り巻き達がじっとこっちを見つめる。
「まあ、分かんねーか。東京じゃあな、全てが監視されている。今、この時にお前らはすべて監視されている・・・なんてこと、想像つかんよな。」
えっ?!と、キョロキョロしだす。
「ふ、はっ!何をキョロキョロしてんだよ。じゃあ、一部を見せてやるよ、おれのほら、これ。スマホ。」
こっそり撮影した、父が議員だの、理事長だのの録画を見せつけんばかりの、そんな仕草。
キョウカ達は硬直する。その様子を一瞥して空は淡々と言い出す。
「真実は一つしかない。それがここに入ってる。だからもう、撮られた時点でお前らはもう負け確。・・・ふう、やめといたほうがいいよ。記録はすべて自動で、クラウドに送られているから、俺のスマホをどうこうしようとしても無駄。家に帰ればいくらでもSNSに晒せる。わかったか?」
全部嘘だった。何が起きているのか目に映るものと耳に入る情報を収集するのに精いっぱいで、録画なんてしてる暇は、なかった。
「・・・ふんっ・・・クラウド?分からない事言ったって、効かねーよ!・・・ねえ、ユカ。クラウドって・・・?」
取り巻きのユカに聞く。しかしインテリ風のそのユカって女子も、それが何なのか分からないようで口ごもっている。
「そ、そんなものは、私のお父さんがそれさえもねじ伏せてくれるし!あんた、私らに歯向かったね?全部調べ上げて、どん底まで突き落としてやる・・・!!どん底がどんなことかも知らないあんたに、ね。」
そうして顎で、取り巻きの女子たちに指示をしながら、キョウカは女子トイレから引き下がった。
ーーーー。
リュウは、そんな思念を、なでてくる手先から読み取った。
そりゃあ、ズタボロになるか。こんな言い合いしてるんじゃ。しかし、次の言葉に体が凍り付く。
「土に埋めた、あの男子・・・今夜すぐに、警察にみつかるかなぁ・・・」
その言葉にこもる思念は、先ほどの思念とは異なる、異様で、強烈なものだった。
こいつの目の色が、異常だった。なでる手先から、凍るように冷たくて刺さる感覚が伝わる。
何だって・・・?つ、土に埋めた・・・?男子を・・・?その男子ってなんだ?これは尋常じゃない。
急に瞳孔がぎゅんぎゅんと広がったり狭まったりしながら驚いて、立ち会がって、俺はこの少年から少し距離を取り、顔を見上げた。
「あっ!あれ?!どうしたの?驚かせてゴメン。白には関係なかったね。でもね、この人間の世界はさ、議員だとか首相だとかに縛られてるんだ。でも俺は頭がいいことだけは取柄でさ。と、思ってたんだけど、でも、モエミが泣くのを止めることができなくて。どうしようもなかったんだ。誰に相談しようとしても、大人は大人で、忙しいようで気に留めない。こういう時どうしたらいいかな?このままあいつが見つからなければ、いいんだよね・・・?そうすればしばらく、モエミに向けて言いがかりが来ることはもう無いと思うんだよね。・・・なあ?白。」